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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
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特典映像 うなぎゼリー殺人未遂事件4

「あああああ!!」


 辺りに漂う鉄の匂い。言い換えれば、その空間は狂気に満ちていた。ただただ壊れたようにアイスピックの先端を振り下ろす。力任せに。何度も、何度も。

 手のひらから滑り落ちそうになるアイスピックに痺れを切らし、放り投げた。傍らに置かれた拳銃に視線を注ぐ。

 これを使えばいい、悪魔の声が囁いた。

 迷わずつかんだグリップが手汗で滑る。握り直す手のひらは僅かに震えていた。これは興奮だ。これなら、きっと。


「あああああ!!」


 我を失っていた。震える指先で撃鉄を下ろし照準を定めて……笑った。カチリと歯車の噛み合う音が遠い。あとは簡単だ。引き金を引けばいい。これで、さよならだ。


 正気ではなかった。

 最初は純粋な気持ちだったのに、一体どこで歪んでしまったのだろう。もう分からない。引き金を引けと誰かの声が囁く。そうすれば終わるから。指先に伝わるバネの弾ける感触、銃声、火薬の匂い。微かに頬に散った、赤い液体。


「やった……か?」


 興奮は銃身の持つ熱と一緒に冷めていった。黒く、しかし見間違えようも無い特徴的な輪郭。煙の中で悠然と立つそいつは……開いてなかった。呆然とする僕をあざ笑うかのようにお洒落なラベルが此方を向く。 




【トマト缶】



「一体どうやったら開くんだァーー!」


 小さな穴一つしか開いていない、ほぼ無傷の缶詰を前に、膝から崩れ落ちた。地面に穴はなく、吸い込まれるように消えた銃弾がトマト缶の中にあるのは明白だった。開けたとしても、果たしてこの中身を人に食べさせてもいいのだろうか。


 

【ラベル:猿でも分かる缶詰の開け方】

 1、手元にある刃物を開くまで打ち付けて下さい

 2、それでも開かなかったら開くまで銃弾をぶち込んでください


「力技過ぎるわァー!!」


 缶詰開けるのに銃剣(ベイオネット)ありきの説明書、止めて下さい。




 ・・・



「こんにちはー!」

「はーい。おやまぁ、思ったより若い料理人さんなのねぇ。さあさあ、入ってちょうだい!」


 さて。本日はトライフ家にお邪魔しております。

 レイヴンがどう根回ししたのかはしらないけれど、天然パーマのおばちゃんが愛想よく迎えてくれたので安心した。

 おそらく、この中年女性がモーリーさん。年は五十歳前後か。丸い顔が愛らしいおばちゃんだ。


 おばさんでも、おばさまでもなく、おばちゃん。この微妙な日本語のニュアンスを、いまだに英語で表現できない。

 古今東西、いつの時代にもこういうおばちゃんがいるのだなと感動すら覚える。病院にいたダマスさんやフィオネルさんで多少おばちゃんとの会話には慣れていたので、緊張せずに済んだ。少しは英語力が成長しているのかもしれない。そうだとしたら、とても嬉しい。


「話は聞いてますよ、今日のシェフさんでしょう。ここにあるものは好きなように好きなだけ使ってちょうだいね、旦那様からもそう仰せつかってますから。庭にキッチンガーデンがあるからハーブはそこから取って、お野菜はそっち。向こうにベーコンとかお肉の貯蔵室があってこっちにはチーズと缶詰めが置いてあるのよ。そうそう瓶詰めはあっちでワイン貯蔵庫はむこうでね、あら、お野菜はこっちだったかしら。あらごめんなさい、チーズと瓶詰はこっちで、ワインはあっちだったわ。こっちも反対だったからしら。分からないことがあれば何でも聞いてちょうだいね。ああ、楽しみだわ。旦那様も奥様も食べる事が大好きなのに最近はお二人ともまったく召し上がらないし、これで少しは元気になってくれたらいいんだけど。ほら、この前も食べた料理がまずいってブツブツ言ってたでしょう。食べる量も少なくなってきたし。お年かしらって旦那様には言えるけど奥様には言えないし……」

「あわわわわ」

「何か言いましたか?」

「いえ、何も」


 誰だ、英語力が成長したとか言ってフラグ立てた奴は! そういう前振りは(何故か)積極的に回収されるって分かっていたはずだろう!?


 反省しながら、決壊したダムの水流を彷彿とさせるモーリーさんのお喋りを聞き流していく。あまりに流れが速くて沈没したとも言える。


 諦めるなら早い方がいいし、下手に理解しようとするより目で見て確かめた方がマシだ。

 さも話を聞いているふりをしつつ、深く意味ありげな目配せと共に相槌をうっておく。これで大抵は誤魔化せるはずだ。

 よし、あとで戸棚を片っ端から開けていこう。確認は必要だよね。怪しいものがないか、チェックしないといけないからね。


 彼女の勢いに押されながら、キッチンの中を見てまわる。

 ピカピカに磨かれたお皿と鍋、大きなかまど。それより大きな四角い木のテーブル。

 これが噂の血の入ったワイングラスが置いてあったテーブルか。一見、何の変哲もないテーブルに見える。とくにパッと物が消えるような仕掛けはなかった。


「モーリー! あのね、お魚屋さんで……」


 台所の説明を受けていると、勝手口が勢いよく開き聞き覚えのある声が聞こえた。そちらを見ればカゴを抱えたトライフ夫人が笑顔で立っている。

 先日とは違って地味な印象だ。ベージュのワンピースに、しっかりと後ろに纏めている黒髪に飾りはない。化粧も香水も薄くて、前と同じ女性だと言われても分からないだろう。女優って凄いな。

 彼女はモーリーさんの隣でぽかんとしている顔の僕を見ると、笑顔から一転、しまったといった風に口元を手で抑えた。こほん、とモーリーさんが畏まって咳払いで場を収める。


「奥様、こちらはショウさんです。今日、料理をしてくださるという」

「そ、そうね。そうだったわね。伺っているわ。今日はよろしくお願いいたします」


 モーリーさんがそうフォローすると、トライフ夫人は焦りながらも必死に取り繕った。絶対忘れてた顔だ、これ。


「どうぞ、よろしくお願いします。精一杯やらせていただきます」


 彼女いない歴イコール年齢独身独り暮らしとしての精一杯です。得意料理は焼きそばとお茶漬けです。だから期待しないでください。本音が言えたらどんなに楽だろう。


「あら、あなた。どこかで見たような……」


 トライフ夫人は僕の顔をまじまじと観察すると、理解したとばかりに目を大きく開けた。


「壁に立っていた人ね!」

「そうです。壁に立っていた人です」


 その言い方はどうかと思ったが、意味はかろうじて通じるので肯定した。案の定、モーリーさんは首を傾げているがこれでいい。僕に「その表現、ちょっとおかしくないですか?」なんて注意された日には、常人なら憤死しかねない。レイヴンが舌を噛みきり、ジェイコブ先生がショック死し、リンドブルーム船長が失踪しかねない。そんな阿鼻叫喚な世界なんてごめんだ。まだ殺人者にはなりたくない。


「どうりで見た事あると思ったわ。自己紹介が遅れたわね、私はヘンリエッタ・トライフ。サイモン・トライフの妻です。それから、これ、良かったら調理してくれないかしら」


 そう言いながら渡されたのはカゴいっぱいのウナギだった。

 ウナギといえばイギリスの名物料理をどうしても連想してしまう。そう、ゼリー状で生臭い……不定形で、黒い塊の……歌声が……。


「魚屋さんが、今日はウナギが安いって言うものだからね。つい買っちゃった」

「そうやって、また。困った人ですね?」

「ハッ」


 危ないチェック判定に入りかけていたところを、ごめんなさいと舌を出すトライフ夫人の声に救われた。

 トライフ夫人の印象は外と家でだいぶん変わったように見えた。どちらが彼女の本当の姿なのだろう。モーリーさんは「そういった無茶ぶりも慣れたものですけれどね」と言って苦笑いを浮かべている。


「ありがとうございます。使ってみます」

「ええ、楽しみにしているわ」

「それじゃあ、よろしくね」



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