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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
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特典映像 うなぎゼリー殺人未遂事件2

「主人が、命を狙われていると言うんです」


 黒色の外折れ帽に、同じ色合いのAラインスカート。ドレープカーテンのような布地を間近で見れば、黒ではなく深い紺色だと分かった。

 ヘンリエッタ・ソーンレイク、今はヘンリエッタ・トライフ夫人である彼女は陰鬱な表情の中、肉感的な赤い唇を動かした。

 まだ誰も死んでいないのに、すでに誰かが死んだような。そんな雰囲気を全身に纏わせていた。


 レイヴンが長い黒髪の女性に弱い事を知っている僕は、トライフ夫人の来訪にそっと親指を立てた。もちろん心の中でだ。彼女の前に紅茶を置くと、盆を持ったまま壁際に立つ。そうやって壁と同化しながら依頼人の話を聞くのがいつものやり方だった。


「初めは私も、年寄り特有の迷いごとだと笑い飛ばしていました。神経が過敏になっているに過ぎないと。けれど一昨日、私も見たんです。


 夜中に起きて、ココアを飲もうと階下の台所に降りて行った時のことでした。赤い血が、ワイングラスに注がれてテーブルの上に置いてあったんです。


 私、夢中でモーリーの名前を叫びました。モーリーというのはウチに勤めている女中で、何かあったら頼れるのはあの人しかいません。


 私、モーリーの部屋まで行って何度も扉をたたいたんです。『モーリー、大変よ。起きてちょうだい』しばらくして、寝ぼけ眼の彼女が部屋の扉を開けました。『なにごとですか、奥様。そんな大きな声をだして』そう言う彼女を引っ張って、台所に戻りました。その頃になって私の声で起きた看護師のアイリスも駆けつけてくれました。


 けれど、その時には血の入ったワイングラスはおろか、台所のテーブルの上には塵一つなかったんです。

 私は怖くてその場を動けませんでしたが、アイリスが勝手口が閉まっていることを確認してくれました。『何もありませんよ。奥様は悪い夢でも見たのではないですか』


 私は必死に否定しました。アイリスは辛抱強く台所の戸棚の中まで見てくれました。彼女は看護師なので、超自然的な現象を信じていないのです。『何もありません』アイリスは欠伸をしながらそう言いました。


 モーリーは笑いながら『奥様は寝ぼけて何かと見間違えたのですよ』と言ってココアをいれてくれました。アイリスは睡眠の仕方がよくなかったのだと言って、薬箱の中から睡眠薬を一つくれました。


 けれど、私、あれが見間違えだとは思えないんです。何だか不気味で。もしかしたら本当に、主人の命を狙う何者かが家の中に入って来て、警告代わりにあんなことをしたんじゃないかと、思えるのです。警察は取り合ってくれませんし、私、もうどうしたらいいか分からなくて……」 


 一気にしゃべり終えたトライフ夫人はハンカチを取り出す。その時の恐ろしさを思い出したのか、レースで縁取られた白いハンカチで目元を拭った。


「安心して下さい。ここにはそんな悍ましい物なんてありませんから。さ、紅茶でもどうぞ。一口飲めば落ち着きますよ」


 柔らかくトライフ夫人に微笑みかけるレイヴンはとても頼もしく見えただろう。トライフ夫人の力が抜けていくの分かった。


「お優しいのね、探偵さん」


 僕は静かに視線を上に向けた。今日、二階の空き部屋で、レイヴンが『刺された時と殴られた時、飛沫血痕はどう違うのか』実験を行っていた事は黙っていたほうが良さそうだ。


「うちは年老いた夫と、私。そしてモーリーとアイリスの四人で暮らしています。もし殺人者が自由に家のなかを出入りしているのなら、こんな恐ろしいことはありませんわ。調べてくださいますか」


 レイヴンは部屋の隅に寄せられた、茶色のチェスターフィールドチェアの上に座った。

 これぞアンティークと言わんばかりの、堂々とした本革張りの椅子も彼らから言わせれば現代風にアレンジしてあるらしい。

 レイヴンがこの愛用している椅子に座って推理するシーンはミステリアス・トリニティでもおなじみのシーンだ。ってことは、トライフ夫人の話で気になる点があったのかもしれない。


「トライフ夫人、いくつか伺いたいことがあります。あなたは何時ごろ、灯りを持って階下に降りましたか」

「確か夜中の一時ですわ。柱時計を見たから覚えています。枕元にあったランプを持って、そのまま部屋を出ました」

「台所の中に灯りはついていましたか?」

「ついていなかったと思います」

「それなのに、あなたは机の上に血の入ったワイングラスがあると分かったのですね」

「私の話が嘘だと仰りたいの?」


 トライフ夫人はレイヴンを睨んだ。鋭い目が吊り上がっていて凄みがある。


「いいえ、ただ私は貴女の無意識が拾い上げた事実を指摘しているのです。テーブルの上のワイングラスに入った液体を、あなたがワインではなく血であると判断した理由は何かとね」

「それは簡単です。私は舞台女優ですから、何度も舞台の中で人が死ぬシーンを演じていました。そこで使われる血糊は本物そっくりだと評論家の方が仰っていました。ですから、あのドロリとした真っ赤な液体が、血であると判断したのです。ワインならもっと透明感がありますから」

「そうでしたか」


 トライフ夫人の話を聞く間、レイヴンは始終彼女の話に相槌を打っていた。普段の彼の姿を知っている人間が見れば「何を考えている?」と疑問に思う事請け合いだ。


「もう一つお聞きしますが、モ-リーと、アイリスという看護師は手に灯りを持っていましたか?」


 レイヴンからの質問に、トライフ夫人は一瞬だけ呆けた表情を見せた。どうだったかしらとしきりに呟きながら、音がしそうなほど長い睫毛を上下に動かしている。


「持っていました。いいえ、持っていなかったかも。どうだったかしら。モーリーは持っていませんでした。扉を開けた瞬間、私が彼女の手を引っ張って台所に連れて行きましたから。アイリスは……持っていなかったわ。彼女はひどく慌てた様子でやってきました。パタパタという室内履きの音がして、それで、髪がこう横に広がっていました。彼女、凄い癖毛なんです。それで両手で肩にショールを巻きつけながら『どうしたんですか?』と私に聞いたんです。だから、灯りは持っていなかったはずです」

「素晴らしい。素晴らしい記憶力です」


 立ち上がったレイヴンの褒め言葉に、トライフ夫人の機嫌は上向きになった。しっかりと化粧のほどこされた真っ白な頬に朱が走る。


「私の身体には今も女優の血が流れていますわ。暗闇での観察力と記憶には自信があります」


 そう言って、得意げなトライフ夫人はレイヴンへ流し目を送った。


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