特典映像 うなぎゼリー殺人未遂事件1
爽やかな六月の午後だった。
蜂蜜色の陽光が庭の花に降り注いでいる。
木製の折り畳み式簡易テーブルからは、絶え間ない笑い声が響いていた。
表庭で一組の男女がお茶の時間を楽しんでいる。
茶葉の品質は低くとも、手間と努力によって一等級に近い味となった澄んだ紅茶は、春摘みの名にふさわしいふくよかな甘さで午後の茶会に花を添えていた。
戸棚に隠されていたローズマリー入りのスコーンは軽く焼かれ、皿にうず高く積まれている。好き勝手にバターやチーズをたっぷりと乗せ、燻製したサーモンや酢漬けオリーブを摘まむナンシーとリチャードは楽しそうだ。
平穏な光景に、僕は双眼鏡を置いて祈りを捧げた。
どこかにいるかもしれないトム先生宛てだ。
リア充爆発しろ、とうかつに願えば高確率で本当に爆発四散させる神なので、言葉には気をつける。
なぜか、レイヴン宛に届けられた荷物をリチャードが受け取り爆死。ナンシーは少し離れていたために重傷で助かる光景が浮かんだ。念のため今日の小包は全部受け取り拒否しよう。
とにかく今は感謝したい気持ちでいっぱいだった。世界はラブアンドピース。唐突な日常話が挟まれた後は高確率で味方の誰かが死ぬ法則を、ぜひ打ち破って欲しい。
ナンシーが探偵の解決した事件の話をねだり、リチャードはしばらく考えると、身振り手振りを交え、一生懸命に例の事件について話しはじめた。
(例の事件)
サイモン・トライフという人物は典型的な「扱いに困る病気の金持ち老人」の一人だった。
レイヴンに言わせれば「品性の欠片もない偏屈で自信過剰で傲岸不遜で好色な恥知らずの老いぼれ」だそうだが、引退する前は英国の成功した缶詰め会社の社長として有名だった。
妻を二度も替えたが、そのどちらも幸せな結婚生活とは言えなかった。
彼は一昨年、自分の甥と同じ年の、つまり年が三十近く離れた女優のヘンリエッタ・ソーンレイクを三番目の妻に迎えた。
ヘンリエッタは美しい黒髪を持つ女で、切れ上がったつり目は神秘的な色気を振り撒いていた。顔の作りは左右対象では無かったが、その不完全さが良いという人間は大勢いた。サイモンもその一人だった。
若く奔放で美しい彼女が寝たきり老人である夫の面倒を見る訳もなく、毎夜、ロンドンの社交界を飛び回っていることは誰もが知っていた。
サイモンの面倒を見るのは、住み込みの看護師であるアイリスと、女中のモーリーの仕事であった。
時折、甥のダラス・トライフが訪ねて来ることもあったが、その大半が金の無心であった。
ダラスはスポーツ好きの青年によく見られる健康的で日に焼けた快活さを持っていて、熱心なボート競技者だった。交友関係は盛んで、酒癖の悪さと女癖の悪さは誰もが知る所であった。
もちろんサイモンから金を貰えずに追い返されることが大半であったが、それでもダラスがトライフの住むマルベリーコテージへの訪問を止める事はなかった。
他にサイモンを尋ねて来るものと言えば、専属医者のドクター・コールマン。元秘書であったテネシー・クレイグ。そして弁護士のヒューバート・ロドニーぐらいのものであった。
「これは死ぬ」
トライフ家に出入りする人物を調べ終えた僕は、顔を上げて率直な感想を口にした。
例えばこんな状況で遺言書を書き換えると発表したら、サイモン・トライフ氏はその日中に死ぬだろうと断言できる。
これで近日中に急死しなかったら、僕の部屋にある「サイモン・セッズ」のパンフレットを誰かにあげてもいい……いや、やっぱりだめ。
『命を狙われているようだから何とかしろ』
要約すると、サイモン・トライフ氏からそんな手紙がレイヴンに届いた。
『この手紙を捨てておきなさい』
要約すると、レイヴンからそんな命令が僕に下された。
レイヴンは基本的に自分が気に入った事件しか引き受けない。そして、こういった金持ちの、または権威の意味をはき違えた人間が護衛代わりにレイヴンを指名するのはよくあることだった。
そういった手紙は大抵、助手の僕に回される。
捨てる様に言われているけれど、実はこっそり残している。ばれたらマズいけれど、ようは、ばれなければいいのだ。だってミス・トリの登場人物からの手紙を(たとえ出番が無い人からの内容が大変失礼なものだったとしても)捨てられるはずがない。
トライフ氏からの手紙の中身を読んだ僕は、英国貴族年鑑や商会一覧、そして集めてある新聞記事をひっくり返して彼の人間関係について調べた。その結果出て来た言葉が、上記のものである。
レイヴンはこの事件を受けないつもりだが、調べれば調べる程、サイモン・トライフの命が危なく見えた。どうやってこの気の進まない依頼を受けるように進言するか。
こういう時は、できる他の人の考え方を真似れば、良い案が浮かぶってリチャードが言ってた。できる人……そうだ、想像上のネリーさん、助言をお願いします!
『人間誰しも弱点がございます。そこをつけば良いのです』
無理だ。
そうやって頭を悩ませていた僕を救ったのは、呼び鈴の音だった。