第百二十幕 復活
数分後、広間で大の字に倒れた二人を咎める者も、心配する者もいなかった。行儀の悪さに目を瞑れば、全力疾走の鬼ごっこもなかなか楽しいものだと思っているが、二人ともある程度は大人なので口には出さなかった。
「そうだ。この子たちをよろしく」
「は?」
トマスの返事より先に現れたのは二つの黒い塊であった。
短時間で終わる料理番組のように、あらかじめ準備された手際の良さで登場した一匹と一羽は居心地悪そうに床に座っていた。
黒い猫と黒い鴉。
予想だにしなかった生物が登場したことにより、あっけにとられた表情でトマスは二匹を見比べた。ついに、生み出される人格が人類止めている。
「防犯対策にペットはどうかな。精神世界の警備ってザルだから心配で。もう少し対人関係に危機管理意識を持った方が良いと思うんだ」
不法侵入者に防犯対策を説教されることほど滑稽な事はない。が、現実に起こっている。
トマスはじっと一匹と一羽を見つめた。一匹と一羽もじっとトマスを見上げている。
そんな見つめ合いを交わし、先に視線を逸らしたのはトマスだった。
「この動物は一体どこから?」
「なんか出た」
「何ですか。その全ての説明を放棄したものは」
深く考えたら負けである。トマスの顔にありありと書かれた文字を読み上げるなら、その通りだった。
「いえ、もう常識的に考えるのは時間の無駄ですね。どうせ駄目だと言ってもいるんでしょう。こいつら」
トマスは諦めが早くなっていた。誰のせいかだなんて考えるまでもない。
「飼っていいって!」
「にゃー」
「ねばもあー」
喜び合う黒い集団に慌てた声で待ったがかかる。
「そのカラス、今喋りませんでしたか?」
「そんな。カラスが喋る訳ないこともない」
「いま、二重否定で肯定しましたね」
「ツッコミのいる生活はいいなぁ」
満足そうに目を閉じたショウに殴りかかったトマスは手を止めた。意外とそれが早くやってきたことを知ったからだ。ショウの手足は殆どが透き通っていて、間もなく彼が消えることを表していた。
「I'll be back」
「戻ってくる気ですか」
時間を越え、監督を変え、シリーズを変え、知事を経験し、ついでにTVと映画の枠を越え、新世代だの再生だのサブタイトルを引っ提げて戻ってくるかもしれないという不安が、そこにはあった。
人格は一度消滅すればそれまでだ。再び現れる事はない。何度も目にした光景を前にトマスは複雑な思いを抱いていた。
父親が、消える。
いや、トマスの知っている父親は雨の日に消えてしまった。だから、ここで消えかけているのは異物で異質な、ただの変態だ。
ようやくいなくなる解放感に歌いだしたくなるほど嬉しい。
そう。嬉しいはずなのに、トマスが抱いているのは紛れもない不満だった。
たとえば満ち足りた表情で安らかに逝きそうなところだとか。
散々こちらをからかって、勝手にいなくなるところだとか。
自分の話を嬉しそうに聞くところが見られなくなるだとか。
つまらない動く画像を見ながらあれこれ相反する意見を言うことも無くなるだとか。
ショウの嫌いなところを挙げるときりがないのだが、嫌いなところとは即ち「友人ならではの気軽さ」なのではないかとトマスは思い当たってしまっていた。
その想像に吐き気がこみあげてくる。
認めたくはない。だが、かなり真相に近いと気付いていた。
このまま放置すべきだとトマスは思う。
そうすれば、自分にとって非常に都合のよい展開が待っている。
「外ではリチャードが、あのナンシーとか言う女を口説いたみたいですね」
なのに、トマスはどうしてかそうしなかった。
その言葉に意味は無いし、外の様子をいつでも気に掛けるショウが好むであろうと、少しばかり現実を脚色しただけだった。
風が、舞った。
彼が起きたのは、まったくの偶然の産物であり、たまたま歯車がかみ合ったに過ぎない。
腹筋のみで起き上がった死にかけだったはずの男は、懐から取り出した黒い双眼鏡(八倍レンズ)を目に押し付け、サバンナで身を潜めて撮影するカメラマンのように素早く体勢を整えた。
外ではナンシーとリチャードが腕を組んでいた。
「なんてこった」
双眼鏡を外したショウは興奮した様子で叫ぶと、再びレンズの向こう側を覗き込んだ。そもそも外を見るのに双眼鏡など使う必要はないのだが、ようは気の持ちようなのだと以前本人が言っていたことをトマスは覚えていた。
しかし、その双眼鏡はどこから出してきたのか。些末といえば些末であり、重要といえば重要な疑問である。
「おい……」
まったく反応が無いことを確認したのち、トマスは自分のうかつな発言を呪った。そしてショウの背後で沼底の泥によく似た目となった。気のせいでなければ動物も似たような表情を浮かべていた。プルートーだけは後ろ足で首を掻いている。飽きっぽい性格らしい。
背後の状況なんて知ったこっちゃないと言わんばかりに、爛々とした目で、ショウは外を眺めていた。
そこに消えそう、死にそう、などという儚い単語は存在しない。
殺しても埋めても宇宙に放り投げても再度現れる、ゾンビか殺人鬼並みに追いかけてくる、タフな生命力に満ちた映画オタクが一人いるだけだった。
「推理小説におけるキャラクター同士の恋愛はあったら楽しむけれど、どちらかというとレギュラー同士は信頼関係を重視して欲しいし、愛は殺人の動機になっていた方が嬉しい派です。でも、あったらあったで嬉しいです。大切なことなので二度言いました。よく考えればリチャードってモテるよね? 主に被害者サイドに。今のところフラグ立てられそうなのが、お転婆盗賊令嬢系(首なし)のエリザベスさんに、おしとやかオカルト計画犯(アジの開き)アビゲイル、男装した秘書系美女(火だるま)のエルメダさんに、目隠れロリ巨乳(廊下で血塗れ)のカイルでしょう。何故だろう、ヒロイン候補の死にざまが走馬灯のように流れていきます。そこにまさかのナンシーかー。助手って言っていたし気に入ってるなァとは思っていたけれど、もしかしたら小さな恋のメロディが見られるのかなー。ところで、とつぜん体の調子が良くなったんだけど何でだろう。まぁいいか。Don't think, Feel It!」
「みゃ」
「ね、ねばもあー……」
ちょっとした出来心だった。ほんとうに、理由はなかったのだ。何も考えず行動した。今は反省している。
「こっち見たら眼球抉って殺します」
顔を覆った、青年はそう呟いた。