第百十四幕 動物 / インターミッション
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「で、猫だっけ」
「猫の話だね」
なかなか良いパンチをみぞおちあたりに頂いたので、とりあえず落ち着いた。さりげなく拳に捻りを加えてきたあたり大変筋が良いと思われます。
猫か。かなりのアニマルセラピー力を誇るのは身をもって体感している。動物が好きなリチャードは、きっと喜ぶだろう。
かなり良い案だけど、一匹の猫でねずみに対応するのは厳しくないだろうか。いや、魔よけの鈴代わりに連れて歩くとか? 猫盾。
「猫と言えば、トリスタンとイゾルデは無事かな」
「ああ、あれは……」
つい昨日のこと『ユニコーンと盾』での一件を思い出し、互いに暗くなる。
「トリスタンもイゾルデも、偶然昨日は帰って来なかっただけだよ!」
「そ、そうだよね!」
明るく言って、リチャードは再度暗くなった。そう、ジェイコブ先生のところにも、バグショー署長改め警視正のところにも、二匹の黒猫はいなかったのだ。詳しい内容を話すと発狂するため、ジェイコブ先生には『ユニコーンと盾』であったことは秘密にしてある。
逆にバグショー警視正からは協力を取り付けられた。例のあのおっかない手斧持ってそうな幽霊おじいちゃん執事が任せろと背後で力強く頷いていた事、更には彼らが水仙の刺繍を縫っている最中であった事を見なければ、とても平和な会話だった。トマスは引きつっていたけれど。見た目だけなら、墓守りでもしてそうな二人なのにね。
「そういえば、お墓を作ってくれた人にお礼を言いたかったな」
しみじみとした調子でリチャードが呟いた。
「いつの間にか埋葬されていたよね」
裏井戸に戻ると動物の姿は消えていた。マスターが樽の中からすくい上げて革袋に入れていたそうなのだが、離れた場所にある庭木の横に空になったびしょ濡れの革袋だけが放り投げられていた。
隣には掘り返されたばかりの赤土が散らばっていて、乱暴に折られた木切れで作られた十字架が刺さっている。
誰かが急ごしらえで動物の墓を作ったのだと一目でわかる、そんな乱暴な埋葬だった。
「ところでショウ君。実は大変なことが起きているんだけど、言ってもいいかな」
「どうしたのかね、リチャード君」
「君の頭に猫が乗っている」
そう言われて頭に手を伸ばすと髪以外のフサッとした感触があった。そのまま掴んで下ろすと、手のひらサイズの黒猫が「みーっ」と鳴きながら胴体を伸ばしていた。
「う、うわああああ!? どうりで重いと思っ、猫っ、出たぁー!?」
「どこから迷い込んで来たんだろう?」
「引きこもりを自他共に認めているわりにはセキュリティシステムがザルだよね!? この家ぇ!」
子猫を抱えて戸惑っていると、ハッとした表情でリチャードが何かに気付いた。その真剣な表情に、思わずこちらの手も止まる。猫持ったまま。
「その子の名前、プルートーとか、どう?」
「酒癖悪い人が飼ってはいけない黒猫の名前第一位を初手で引き当てるとは、さすがネリーさん教育、はんぱない」
プルートーという名前が気に入ったのか、リチャードの近くに行きたいのか。黒猫は手足をばたつかせ、自由の地に降り立った。
「プルートー、おいでー」
僕から離れてよたよたと歩くプルートーはいますぐ動画サイトに投稿すべき存在だった。途中でぺしゃりとへたりこんだプルートーを抱き上げたリチャードは、やはり近年まれにみる真剣な表情で此方を向く。
「これは猫です。私は猫が好きです」
「私もです。それはとても小さなかわいい猫です」
教科書あるある文章だ。言語能力がすっかり麻痺しかかっている。
「我は求め訴えたり」
「欲せよ。さらば与えられん」
精神世界内の猫は、現実世界のねずみに対応できるのだろうか。それが問題だ。いや、可愛いからどうでも良くなってきた。
「本当にどこから来たんだろう」
「欲しい欲しい言ってたら、出たんじゃない? アーサー兄さんやジャック兄さんの時もそうだったし」
「人格の誕生が思いのほか、お手軽だった」
よし、と僕は膝を打った。
「実験してみよう! リチャード。何かこう、欲しい生命体を思い浮かべて。人でも、動物でもなんでもいいから!」
「じゃあリス――」
「げっし類以外でお願いします」
「そ、そうだなー」
しばらく、何もない無言の時間が続いた。
「何もでてこないね」
「特に何が欲しいとか無いから、どなたさまでも歓迎しますので来てくださいって思ってた」
投げやりな文言で、禍々しい怪物とか来なくて良かった。
「やっぱり、プルートーはただ単に迷いこんで来ただけなのかなぁ」
ほいほい精神世界に迷い込んでくる猫って、本当に猫でいいんだろうか。
「あー」
「何か言った?」
「いいや、何も」
しかし、確かにそれは人の声に聞こえた。二人して上を見上げると、天井近くに黒い小さな点がある。二人そろって眼鏡を持ち上げた。
天井を周回していた黒い固まりはくるくる回りながら、ちょこんと不時着した。僕の頭に。
「小さい鴉だ」
「からす」
視線を僕の頭上に固定していたリチャードが目を擦る。
「ショウ君含めると全体的に黒く見える、境目が分からない!」
「そうだろうね!」
カラスと黒猫と髪を染めていない日本人。むしろ他に共通する色があるなら教えてほしい。
「一つ、確かなことが分かったよ」
「なに!?」
満足げに頷いたリチャードに何が間違いないのかと問いかける。
「この子は女の子っぽいから、名前はレノーアにしない?」
「ピンポイントでカラスに付けちゃいけない名前ナンバーワンを引き当てたことよりも、何の疑問もなく飼育が決定していることよりも、鳥の性別を一目で見抜いた君の隠された技能に驚いたなぁ」
レノーアと呼ばれた小さなカラスは、てちてち、と僕の頭の上で方向転換した。リチャードの言い分が確かならば彼女は喜んでいる様子で羽根を広げて一声鳴いた。
「ねばもあー」
「喋ったぁぁぁ! カラスが一番言っちゃいけない単語を喋ったぁぁぁ!」
「ショウ君、鴉は喋らないよ」
「ねばねばー」
「聞いて! これ絶対喋ってるから!」
「カラスって頭が良いから人の声の真似するらしいよ」
「ひーろーねばーだーい」
「言語理解してるとしか思えないんだけど素晴らしく見どころありそうなカラスだ!」
言い終えると本格的に咳が出てきた。風邪でもひいたかな?
確か映画館に入るときにのど飴を買ったはずなんだけど。ポケットをさぐる。……あるわけないか。
「ブレスユー」
「にゃあ」
「ねばーぎぶあっぷ」
「ありがとー」
少しだけにぎやかになった部屋の中で、笑いながら鼻を擦った。
これよりフィルム交換のため休憩に入ります。
次回更新は十一月を予定しております。