第百十一幕 四棟
【聖メアリー病院/Side レイヴン】
「レイヴン殿!とつぜん病院に行きたいとは、一体どうされたのですか!? それに、あの、リチャード君を置いてきてもよかったのでしょうか」
ついてこなくても良いのに、ジャクリーン巡査部長は息をきらして私の後を追ってきた。細長い帽子をずらすと額ににじむ汗を拭う。
つかつかと迷いなく病院の廊下を歩く私に、すれ違った者は一様に振り返る。中には見知った顔や沈んだ顔もいたが、あいさつすら口にすることなく通り過ぎていく。
焦っている? 恐らく、私は、焦っているのだ。そうでないと信じたい友情と、そうであったのだと語る理性がせめぎ合っている。
「あの邪悪なクラブはバグショーに任せます」
断言はできないが、恐らく向こうは大丈夫であろうと私は予測をつけていた。あのクラブにたむろしていたのは、どれも事情を知らずに動く駒ばかりである。デルマンとアリスの二人はそこそこの影響力を持っていたが、彼らも真実には何一つ気がついていない。あの場所が魔術クラブであると本気で思っていたようだ。
中にいた人数や護衛の質から言って、バグショー率いる警察官たちで制圧は事足りる。だから私は離脱した。個人で動くために。
リチャードの事は気になるが、彼はこの場所に来ない方が良い。
私は歩く。聖メアリー病院、第四棟を。
弟について、考えることは多い。ここ三日の間、彼は彼であって彼ではなかった。「彼ら」について説明する時はどうしても、ややこしい言い回しになってしまう。私の弟であるリチャードを理解しようとするのならば、常識を一度投げ捨てなければならない。
私が知っている弟としてのリチャードの目元にはやけどの痕がある。あのやけどは私が去った日にも負っていた。
彼は私たち兄弟の中で一番父親に似ていた。もちろん外見だけだ。それが彼の不運であり、私たちの不運でもあった。三男にして後継者になるべく運命づけられた。己を主張せず、控えめで、穏やかな気性の持ち主だ。人間を恐れている半面、人形のような無機物や動物のような単純な生物を好む。彼はいつでも強者の意見に従い、自分の意見を持つことはなかった。彼は頂点に立つ事を求められたが、同時に生れながらの追従者でもあった。その大きな溝を埋めるために、彼は自分を殺した。
次に、父親。彼もまた、私が屋敷にいた頃から存在していたおぞましい人格だ。性格は残忍で冷酷。だが頭がきれる。そして貴族が持つべき思考やマナー、権力の使い方を知っている。それはそうだ。トマスは私たちの父親として教育され出来上がった人格なのだから。
最後に、最近現れたというショウ。あれはリチャードとは完全に別人格だが、誰よりもリチャードに近しい存在といえる。彼にも目元にやけどの痕があり、本気でリチャードのふりをされると私でもしばらく「彼」という存在を忘れて「リチャード」と話している気になる。独特の訛りがひどいのだが、リチャードをまねている時だけは、あのおかしなアクセントが姿を消すのだ。
この三人が、私の知っている「リチャード」という人間である。
私がいたころはアーサー、そしてジャックという名の人格もいたが消えたという。無理からぬことだ。この二つの人格は兄である「私たち」を模して作られた空想上の友人、人格だったのだから。
裏切り者には死を。私たちはもはや、彼の信頼に足る人物ではなく、彼の世界から消えねばならなかった。
この一カ月、私は長年会わなかった弟と行動をともにした。そして、分かったことがある。
ショウはねずみが嫌いで、酒に弱く、ナイフの扱いが下手だ。
リチャードはリスが好きで、精神的に幼いが、頭は悪くない。
トマスはナイフの扱いが巧みであり、加虐趣味な半面で、ひどく真面目だ。
この三日間、表に出ている人格が父親であることには気がついていた。
ショウはナイフの使い方が下手だ。知らないとすら言っていい。彼の料理の食べ方を見れば、それは誰にだってわかる事だ。しかし「彼」はオレンジの皮をなんなく剥いていた。
リチャードは目が悪く、控えめだ。かけている眼鏡のガラスの中でしか視線を動かさず、視線はいつも下向き加減。けれど「彼」は違う。眼鏡や前髪といった視界を遮るものを好まない。度が合わない眼鏡で乗った馬車に「彼」は酔った。
私が知っている昔の「彼」とは様子が違っていた。
それが一体どういう反応の結果「そう」なってしまったのか。理解できない。いや、本当は分かっているのだ。ある一人の異物によって、「彼」がまったく違う変化を遂げたことを。
彼の功績を褒める気にはならない。それ以上に咎めるべき罪科がありすぎる。
あれはもはや父親ではない。今のトマスならば大丈夫だという自信があった。彼が何かしようとするのならば、きっとショウが止めるだろう。そのショウを止められるのはリチャードだ。
この三すくみの関係に賭けるのは、我ながら馬鹿げた判断だと思った。しかし、彼らならできる。そう信じている。
だが、ひとつ。彼らに対して分からないことがある。やけどの痕だ。
エルメダから話を聞いた限りでは、痕が残るほどの湯はかけなかったというのだ。万が一、やけどなどをさせればトマスに殺される。実際、彼女たちはそれがきっかけで殺されかけた。
言葉では脅したものの、リチャードの顔にかけた湯の温度は、ほんの少し熱い程度だったと言う。
エルメダがそう思っていても、シャーロットが熱湯を用意していたかもしれない。
そう思った私は、ジェイコブの元を尋ね、診察を依頼した。
その結果、視力の低下はみられるが、目に熱傷を負ったことが原因ではない、とのことであった。
だが実際、皮膚のひきつれは存在している。思いこみで怪我を負うことなど、あるのだろうか?
そして、このやけど痕は一つの疑問を提示している。
なぜ、リチャードとショウが主人格となるときには痕が発生し、父親が主人格となるとやけどの痕が無くなるのか。
ショウという人格がリチャードの中に現れたのは、つい最近の事だ。
やけどを負った時点では、リチャードとトマス、二つの人格しか存在していなかった。本来、やけど痕が存在するべきはトマスで、ショウではない。
過去、未来のことを予言する彼のことだ。やけどを負った事実をすでに知っていたから、反応しているのだろうか。
そんな疑問を先週、マザー・エルンコットに会った際に私はぶつけてしまった。医学に明るい彼女ならば、何かしら助言のようなことが聞けると思ったからだ。彼女は笑って言った。
「それはきっと、彼がドロシーだからね」
突然、ドロシーなどと言う女性の名前が出て来たことに困惑する私の前で、マザーは「あら、いけない」と、いつもの少女のような笑みを浮かべた。
「『オズの魔法使い』はまだだったわ」
その発言の数日後に、彼女は亡くなった。
自然死と伝えられているが、私にはどうしても、それが自然だと思えなかった。