第百四幕 到着
「リンドブルーム氏に、相談はしなかったのですか?」
レイヴンの質問にマスターは卓に叩きつけた拳を引っ込めた。気まずそうな表情だ。そんな顔するなら止めときゃ良かったのに。
「これは、俺の店とデルマンの問題だ。一つの商会を巻き込むような話じゃねえんだよ」
ふぅんと頷きながら、オレンジの房を切り離しては食べ、食べては無心で切り離して口に投げ込んでいた。何れエリザベス経由で耳に入りそうなものだけれど。
卓に肘をついたまま隣の様子を伺う。
「ねぇ、レイヴンさん。この店、何とかしてあげられないかな」
「貴方、その考え無しに何でも事件に首を突っ込もうとする癖は何とかならないのですか。鳥頭ですか。私までデルマンと相対するはめになるでしょうが」
「駄目ですか?」
「別に駄目だとは言ってません。ですが物事には優先順位という物があって」
最優先ですべきことなど決まっている。僕が水を飲む要因となった人間を全て血祭りに上げることだ。
「駄目ですか?」
押し黙ったレイヴンを見てこのまま押しきれると判断した。あのね、と続けオレンジの果汁に塗れた親指を立てる。
「最近妙に羽振りが良いデルマンさんが通うクラブがあって、同じく金払いのよくなったアシュバートン家で働いている執事さんもそのクラブに通っているんだよね。『ユニコーンと盾』は無理やり店を潰されそうで、ロンドンの各所で孤児院や浮浪者の子供が消える事件が多発していている。そのどれもに警察の介入が無い。この山積する問題の中で、僕達がやるべきことって、共通項を探っていくことなんじゃないかなあ」
例えばデルマンさんと名をあげ、卓に座る面々の表情を伺う。
「こっちには今、デルマンさんに対して有利に立てる武器が三つもあるんですよ。金銭で買収されない警察の知人がいて、その協力が見込めること。デルマンに対して良い印象を持っていない部下がここに居ること。おあつらえむきに標的とされている獲物があること。これらを利用すれば、相手の懐に潜り込めるんじゃない?」
「おいおい、誰も助けてくれとは言ってね……」
「勝手に動きますから安心してね!」
マスターが何か言おうとしたところを、笑顔で封殺した。
"僕、そんなに頭よさそうだったかな?"
いいえ、とすぐさま否定する。
"えーっ。演じるなら、もう少し色んな意味で心をこめてよ! 僕になりきって。はい、特訓です。リピートアフターミー"
はいはい、後でね。後で。
あぁ、そうだ。デルマンにお仕置きしたいんですけれど、何か相手が死なない程度で自分のやったことを反省するような、楽しい案はありませんか?
うん、と唸ると彼は黙り込んだ。
”例えば……”
「目には目を、歯には歯を」
悪くない。言った言葉の通り、相手にも返す。
握っていたナイフを回すと、木板の上へ刺した。ドンと鈍い音と共に鉄のナイフは卓の真ん中に突き刺さる。
僕の一連の行動を見たレイヴンは咎めなかった。普段なら思い切り顔をしかめたり、驚いたりするものだから、彼のその一切合切が抜け落ちた真剣な表情はかえって不気味にも思えた。
「ハーバー、次にデルマンが店に来るのは何日になるか、分かりますか?」
レイヴンからの問いかけにそうさなぁ、とハーバーが考え込む。
「何か仕込んでるみてェだったから。恐らく明日か明後日の、夕方辺りだろうぜ」
「マスター。その時間帯に店を出る事は出来ますか?」
「そりゃあ、買い出しだの何だの。理由をつければ出られるが? おい、まさか」
「ショウ、接客に興味はありますか?」
「うん」
レイヴンはニコリと笑みを浮かべた。白々しいまでの綺麗な笑顔に "ライン家敬語組は、外面が良いなぁ"と、のんびりした声が、頭に響いた。
【『ユニコーンと盾』裏口 / Side ???】
可哀想に。
マスターが置いて行った皮袋を開けると、中からぼたぼた、雫が垂れた。
木を使って土を耕した。赤土を掘り返し、柔らかくなった部分を掻いていく。
大きく広がった穴の中に、干からびた猫を一匹、入れた。
水を含んだ毛皮は重く、抱きかかえるとぐしょりと水で薄まった体液が流れ落ちた。
カラスに食われでもしたのか、柔らかい部分が少ない。
可哀想に。
次に痩せこけた犬を一匹入れた。
餌にでも釣られて寄ってきた所を殴られでもしたのだろうか。
折れた骨が茶色の毛皮から飛び出している。触るとごわごわとしていた。
犬に表情があるかどうかは分からないが、悲痛な表情に見えた。
可哀想に。
それと、鼠が六匹。
死んだものまで怖がることはない。
大きいものから小さいものまで。ああ、まだ子鼠だったのか。握るとぐにゃりとして、まだ柔らかい。
掌から尻尾がだらりとこぼれて垂れた。
これらは、自分が死んだことすら理解できたのだろうか。
まぁ、いい。分からない方が幸せな事もある。死で救われる生もある。
だから、形式的に「可哀想に」と言う。
土をかける。埋める。見えなくなるまで。
ああ、可哀想に。良かったね。
【三日後 『悪の嚢』入り口/Side:トマス】
計画には、ハーバーとゴドウィンの協力が必要不可欠であった。彼らはデルマンに「マスターが留守にする日」をわざと伝えた。そして、僕が店の手伝いを、そしてレイヴンが客の振りをして店内で待機。
万が一の為に信頼できる警察の人間が必要だった。幸いにもジャクリーンとダニエル、プラスお供の巡査達に事情を話して巻き込むことができた。彼らは珍しく正義感の強い人間でもあるので、デルマンと『ユニコーンと盾』の現状を説明するとあっさりと協力が取り付けられた。
あまりにもあっさり過ぎたので、逆に打ち合わせがあったのではないかと疑ったくらいだ。
今回、バグショー警視正には助力を乞わなかった。バグショーJr.から話を聞いていただろうから、何も言ってこないと云う事はある種の許可サインであると思いたい。
屋敷の人間にも相談して巻き込んだ。交渉は主にショウが駄々をこねた形だが、見映えはどうあれ結果が伴えば構わない。昨日はネリーが、今日は料理人のデクワンが店に来ていた。デルマンが連れてくるであろう護衛は、彼らと巡査組が何とかする手筈になっている。
案の定、三日後に現れたデルマンは思った通りに動いてくれた。デルマンがひきつれていた護衛の一人とレイヴンが交代し、残る二名は此方に引き込んだハーバーとゴドウィンだ。
ジャクリーンとダニエルも、打ち合わせ通りであれば後ろにいる筈だ。
「さぁ、着きましたよ。此処が、アナタの地獄です」
「君のでもあるね」
小さく呟いた。僕の呟きを聞いてしまったのか、ハーバーのこめかみから汗が伝っている。彼の視線にはいつも通り「分かりません」の顔で誤魔化す。
デルマン・トナー。君はいま、自分の手足の指が何本残るか、分かっているのかな。
「……キヒッ」
久方ぶりに感じる高揚感に、笑いが零れる。さあ、どんな謎々を御所望かな?