第百幕 円卓
スーさん、アンドリュー君と別れ、僕達は店の奥にある円い卓へ案内してもらった。
部屋の角、此処だけ薄暗く冷たい空気に満ちている。密会やダークな取引にうってつけの卓だ。丸い氷の入ったブランデーを一つ。いえ、嘘です。水ください。
満足げに頷いていると、注文を聞いた看板娘のローズさんが少し引きつった笑いを浮かべながら去って行った。ほどなくして、それぞれの前に生ぬるいエールが置かれる。濃い赤と茶色の中間地点をさまよう雫がテーブルの上に飛び散った。
ただし、僕の前だけは木杯で作られた水が置かれていた。周囲から「何だコイツ、酒じゃなくて水を頼みやがった」という視線を向けられても動じません。酒場で水や牛乳を頼める勇気が、身を救うのです……ん?
「それで、どうでしたか」
擦れた声でレイヴンが尋ねた。
「あぁ、あんたらの言う通りだった。あの屋敷、知った顔が何人かいたぜ。一カ月前、此奴が奪っていったトランクを運ぶよう依頼してきた赤毛の女もな」
此奴と顎で示され、木杯の匂いを嗅ぐのを中断した。
いつの間にか視線が此方へと集っている。そのどれもが「何だコイツ、次は何やってんだ」って顔をしていた。いや、だって、中から水にあるまじき匂いがしたんだよ。
「あいつに頼まれて、俺たちゃエルマー屋敷から倉庫街に荷を運んだ。金髪の男に渡すようにって依頼だ。結局、あのトランクの中身は何だったんだ?」
ゴドウィンとハーバーはそれなりに裏社会で暮らしている。顔も広い。本気で悪道を走っていなかったのは逆に驚きだが、ある程度のことは覚悟している顔だった。
「あへんのロウソク」
僕の答えに、ゴドウィンとハーバーはやっぱりなと言いたげな様子で顔を見合わせる。
「俺達にしちゃあ、大物だな」
「大物過ぎた、な」
「赤毛の女、または待ち合わせに来る予定だった金髪の男の名は分かりますか?」
レイヴンの質問に、ハーバーが唾を地面に吐き捨てた。
「美人だってこと以上は、分からねえ」
「男の方もな。見たら分かるほど美形だとは聞いていたが、結局顔を見なかったからな」
美人で赤毛の女。アシュバートン家で見かけたトランクの運搬を依頼したのは恐らくミランダさんだろう。けれど、今回は相手が「美人」という事しか分かっていない。決めつけるのは早計だ。
そしてアシュバートンの家の中を一度見れば分かる事だけれど、あの家は全員が「美人」。葉を隠すなら森の中と言うけれど、随分と贅沢な森だね。
「だけどなぁ、ちょいと面白いもんを見たぜ」
エールを流し込むように飲み込んだゴドウィンが、大柄な身体と共に声を小さく、低くした。
「お前等、金貸しのデルマン・トナーって名前に聞き覚えはあるか?」
デルマンという名前には聞き覚えがあった。一カ月前、この『ユニコーンと盾』のダンスバトルで足をつった金貸しの名前だ。
気障で、髭と服装が悪趣味なので遠目からでも一発で分かる。少しばかり鼻にかかったフランス訛りだが、焦った時には普通の英語を喋っていた。口調はただのファッションである可能性が高い。
レイヴンもデルマンの名は知っていたようで、ゴドウィンからの問いかけに即座に首肯した。
「そいつが最近出入りしているクラブがあるンだけどな、そこで最近見かける顔がいたんだよ。執事服着ていたが間違いねぇ。あんたらを最初に案内した、金髪の男だ」
主人ではなく執事が会員制社交界にいるなんて。
「そりゃ異常だ。その怪しさマックスクラブの名前は?」
「知らねェ」
「俺達、文字読めないからなぁ!」
笑うゴドウィンも、ハーバーも、読めなくても別に困りはしないと言った様子だ。
それには深く同意する。別に読み書き、リスニングやトーキングができなくても、何とかなるよね。
おや、隣のレイヴンから威圧オーラが出ている。いや、そんなまさか。いくら探偵でも心の中までは読めないはずだ。読めないと言ってくれ。
「場所は分かるぜ。なにせ、今の俺達はデルマンの用心棒だ。案内が必要ならいつでも言ってくれ」
ハーバーが歯をむき出しにして笑い、ゴドウィンが補足する。
「あいつ、金払いはいいけど、好きじゃねえ。痛い目みろってんだ」
そうだろうね、と僕は同意した。デルマンはとにかく上から目線だし、人を小馬鹿にした口調の人だった。狡いし、身形に気を使う。ハーバーやゴドウィンとは相性が悪いだろう。
「そうそう『聖母様』やら、『祭壇』って単語を、よく言ってたな」
「宗教関係のクラブなのかもしれませんね」
顎を擦りながらレイヴンが言った。
「んで、お前は何か分かったのか?」
「え?」
話を向けられて、僕は少し悩んだ。ミシェルさんから聞いた話を、どこまで正確に話せるだろうかと。
「マザー・エルンコットが、亡くなったよ」
「はぁ!?」
「あのババア死んだのか!?」
まぁまぁ失礼な単語が聞こえたので「らしいね」と付け加えておく。
ハーバー達も彼女の事を知っているのだと驚いた。
「知ってるの?」
「知ってるも何も、ロンドンに住むなら誰でも一度か二度は、世話んなるババアだ」
「あのババアが死ぬとはな、寿命かなぁ……一応人間だったんだなぁ……」
さりげなく、先程からマザーが人外扱いされていることはさておき、彼らは彼らなりに、マザーの事を慕っていたようだ。
マザーの訃報にレイヴンは驚いた様子を見せなかった。ただ、咎めるように此方を睨んでいる。言っちゃダメだったのかな。気まずくなって身体を縮める。
「あと、さいきん、孤児院から子供が消えるんだって」
「確かに、子供がいなくなるって三軒向こうの売春宿で噂になってたよなぁ」
「どうせ暴力親に愛想を尽かして逃げ出したとかだろ。放っときゃいいんだよ、ンなもん」
ハーバーとゴドウィンの間で意見が分かれている様だ。
「おめえらも気を付けろよ。ちっこいからよう。ガキと間違われるかもしれねえ」
「ふざけてんのか、テメェ!」
「はい」
ハーバーに小突かれながら、僕を心配そうに見つめるゴドウィン。純粋に心配してくれていると分かるだけに、反応しにくい。素直にありがとうと感謝を伝えると、良いって事よと頬を染められた。
その様子を見ながら、ゴドウィンが誘拐か失踪した子供たちを助けたら最高だなと思ってしまう。
「……最高だな!?」
「突然どうした!」
大事なことなので、二度言いました。