第九十二幕 美形
「そうか、アンタも大変だったんだな。探偵」
「本来ならあれは弟なのです。何の因果か日本人の幽霊とやらが取り憑いてしまって。元に戻す方法を探しているのですが、まったく先が見えず……もう駄目だ……何も救えない……所詮私なぞ呪われた暗闇転落人生がお似合いの男……」
「お、おい、元気出せよ。霊能力者の噂聞いたら、教えてやっからよ」
「ここ!? ねぇ、ここ、アシュバートン邸!?」
「お前は少し落ち着け!!」
破落戸と探偵が家族会話で交友を深めている。ごくごく一部の誰かに対する悪口で結束を固くしていた気もするけれど、ノープロブレム。何だか介入してないのにジャンルが変わっていた気もするけれど、無問題。
妹さんのネタバレを教えたのは僕なのに、何故かハーバー、ゴドウィン両名から、レイヴンに対する好感度が上がっている。やはり拳同士の殴り合いを経なければ、真の友情はないのだろうか。何てこった。
「流石のあれでも、恐怖を覚えていたのだと錯覚してしまった先程の自分を殴りたい」
「手伝うか?」
「いえ、結構」
ゴドウィンの親切な申し出を断ったレイヴンは、彼等へと向き直った。
「流石に貴方がたをアシュバートン家へ入れる訳にはいきませんので此処から別行動となります。今から二時間後に『ユニコーンと盾』へ集まることはできますか」
いいや無理だと二人は同時に首を横に振った。
「俺達にゃ時間なんて分からねえ。教会の鐘ぐれえしか、時間が分かるもんなんて無えし」
「じゃあ、僕の時計貸す」
実はのんびり屋で子供好きという驚異のキャラ付けを果たしたゴドウィンが云うので、持っていた懐中時計を差し出した。
またしても、三人がぎょっとした顔で此方を見る。良いトリオだ。打合せしてたのかな。
「お前は……俺達が時計持って逃げるとは考えないのか?」
「その時は妹さん達に泣きつきます」
「ぐっ、良い笑顔で何て汚え真似を!」
「実際にやりかねないから不安だ!」
突然二人は胸を押さえて、苦しみ出した。
妹さんに近況を伝えるのがそんなに嫌なのだろうか? レイヴンの反応を見るとウンウンと頷いていた。そうか、そんなに嫌だったのか。弱点みーっけ。
「わ、分かった。二時間後に『ユニコーンと盾』だな」
「知った顔を見つければいいんだろ? でも期待するな。この辺りは高級住宅街だから俺達みたいなのは目立つ。追い出されるのも時間の問題だぜ」
「じゃあ、外套も貸……」
「もういいから!」
「勘弁してくれ!」
そう言い残し、ハーバー達は背中を丸めて去って行ってしまった。
「一体、何がダメだったんだ……」
去りゆく背中に問いかけると、返事は隣から返ってきた。
「全部だと思いますけどね……」
見送るレイヴンの瞳に憐憫の情が浮かんでいる。その理由は分からない。
「アシュバートン氏より面会の約束をしております、レイヴンと申します」
「これは、これは。お待ちしておりました。ようこそ、レイヴン様。そしてお付きの方も。ただいま主人をお呼びしますので、向こうの部屋でお待ち下さい」
ドアノッカーを盛大に打ち付けると、ゲルマン系の特徴を色濃く継いだ若い執事さんが、僕らを出迎えてくれた。
歳はレイヴンと同じくらい、三十前後か。身長もほぼ同じだ。金髪のオールバックにえらの張った四角い顔。鼻は大きく、真っ白な肌に綺麗な歯並びをしている。真っ青な目。立ち止まる時はぴしりと踵を揃え、胸をはる。美男、恐らく自信家、そして美男。思わず二度繰り返すほどの正統派美形だ。
彼は迷いのない足取りで、豪華な屋敷の中を進んでいった。屋敷の使用人は皆、穏やかな笑みを浮かべてお辞儀をしてくれる。教育が行き届いているのだなと、そんな感想も浮かぶが、それ以上に無視できない問題がある。
「それでは」
と、執事が応接間の扉を閉めた瞬間。心に溜っていた澱みを開放する。
「何で会う人会う人、全員美形!?」
そういう人しか入れない館なの!? 僕だけ場違い感、凄いんですけど!
モデルのランウェイかと思った! 超高級服飾雑誌の撮影会場かと思った!
世界中のセレブが集う超VIPな会員制クラブとか、でかいカジノクラブのディーラーだとか。そういう気配の人間と、わんさかすれ違った!
目の保養と言えばその通りだけど、それだって限度というものがある。
見る分には構わないが、その中に放り込まれると辛い。そんな気分。
さらに此方は寝坊、遅刻からそのまま現場に直行というコンボで来ているのだ。いたたまれない、この気持ち!
実際、何名か名前を知っているモデルを見かけた。ハーバーとゴドウィンには知った顔を探せ、なんて軽々しく言ってしまったけど、僕だったら全員確認する前に目と心がつぶれるかもしれない。
さっきの執事さんとか水着でプールサイドに美女はべらせてサンオイル塗りたくっていても何の違和感もない体育会系筋肉だ。ラグビーの試合で逆転トライを決め、チアガールに抱きつかれる系の胸板だ。
こんなに煌びやかなギリシア神話界で優しくされようものなら、心がポッキリ折れそうだ。粗相をする前にいっそ一思いに殺してくれ。もう楽にしてくれ。屋敷の背後で渦巻くドロドロ人間関係でも想像しないと意識が保てない。
「は? あぁ。見目の良い使用人を雇うのは常識です。むしろ見目だけを必要とする場合もありますし」
「女中は美形、執事も美形、アシュバートン氏is美形、雇う探偵も美形。もう駄目だ。此処にナイフ持った血まみれのメイドが居たら、もう抑えられないし耐えられない。僕、馬小屋で待っています。馬まで美形だったら、あとはカボチャと交遊深めるしか道はない」
蒼褪めてガタガタ震えている僕に対して、残念なものを見る視線を向けられている。
「……貴方も一応……」
レイヴンがじとりとした目つきで何か僕に告げようとしたところで、応接間の扉がノックの後に開いた。
「レイヴン様、旦那様がお会いになるそうです。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
僕も一緒に立ち上がると、先程の執事さんが申し訳なさそうに付け加えた。
「内密なお話なため、レイヴン様以外はお通しできないそうです」
「なんですと」
椅子から微妙に腰を浮かせたまま、その宣言にショックを受ける。僕だけが、美形の中に取り残されると?
万が一、ちやほやされたら、どうなるか分かっているのでしょうな。使用人滅亡で燃える屋敷がアシュバートン家になりますよ?
思わずネリーさん口調で焦る。
今日のトマスがアップを始めたら、さすがの僕でも止められないかも。
いつもは喧嘩売っても売られても「下賤な平民風情が。話しかけないでもらえますぅ?」くらいの、語尾上がり調子の会話をする余裕があるのだけれど、今日は無言なんだもの。
まさに反抗期の息子さんそのものだ。高校のクラスメイトに一人はいる感じの。
「彼は私の助手です」
「申し訳ありません」
執事さんの言葉から、どう頑張っても僕はアシュバートン氏に会えそうにない予感がした。
「僕、ここで、待っています」
仲間外れにされる当初の予定通りといえばその通りだけれど、しかし、この肩透かし感。正統派美形の中に取り残される心細さ。これからどうしてくれようか、忍んで家宅捜索でもしてやろうかと中腰のまま考えていると執事さんがにこやかに続けた。
「助手の方には、お嬢様から『お会いしたい』とのご伝言を預かっております。もしよろしければ」
もし、なんて言いながら、声には絶対命令の色を含んでいた。アシュバートン家のお嬢様といって、頭に思い浮かぶ顔は一つしかない。
「よろこんで」
引きつった笑顔を浮かべた中腰のまま、僕はその申し出を受け入れた。