第九十一幕 交渉
アシュバートン氏との面会が終わった後、シスター・ケイトリンの無事を早急に確認するべきだと思った。
レイヴンにも共に来てもらいたいがアシュバートン氏との兼ね合いもある。こんな朝早くに呼び出すくらいだから緊急性の高い用件なのは間違いない。まだアビゲイルが家出したと確定していないのが救いだ。
最近では周囲も「予言と云う名の現実知識」を披露する僕のインチキ霊能に慣れてきた。ケイトリンの安否を確認したいと言えば無下に却下されることはないはずだ。……恐らく。
時折レイヴンから「タネを見破ってやる」という闘争心が感じられるけれど、僕が語るのはタネも仕掛けもない、ただの映画原作情報。なので常識的な推理でタネを見破ろうとしても無駄だ。
エルメダさんとネリーさんからは「世界には不思議な事が沢山ありますし」と達観したコメントを頂き、その他の皆さんからは「すごーい!」という好意的な反応を頂いた。もしレイヴンと別行動する事になっても、誰かしら一緒に来てくれるだろう。
シスター・ケイトリンは、もうシスターではない。彼女は修道院から出て、「ユニコーンと盾」の三人娘、人見知りのヴァイオレットの近くに住んでいる。
僕がウィリアムと会っていた時、ケイトリンはバグショー署長の部下に襲われていたそうだ。その場に居合わせたカイルと共に追い払ったというのだから驚いた。シスターって何、御者って何と十秒くらい黙考した。
とにもかくにも、カイルを教会に配置したアッシャー親子の采配には拍手をおくりたい。幸いにも教会組の怪我は擦り傷程度で、大きな怪我を負った人は誰も居なかった。
代わりに教会が変わり果てた姿になっていたけれど、人命には代えられない。中の様子を見て被害損額に頭を抱えたけれど、人命には代えられない。大切なことなので二度言いました。
教会の襲撃話をカイルから聞いている内に、もしかしたら、と思うことがあった。
襲撃者が手加減してくれたという可能性だ。特徴を聞く限り、十中八九、あのアダムスでホーンテッドな一家にレッツジョインしそうなホラー執事さんが襲撃者だ。
獲物が手斧。カイルはよく泣かなかったものだ。あの執事さんが手斧とピンクのカップを持って襲って来たら、僕だったら泣く。みっともなく泣く。その上、見なかった事にして逃げる。
ただ……あの執事さんは顔が怖いだけで、そこまで悪い人じゃない印象を受けた。心臓には悪い人だったけど、彼は無事だったのだろうか。再度バグショー邸に行ってまで確認する勇気はさすがにない。
襲撃の副産物として良かったことが一つ。シスター・ケイトリンがカイルの事を気に入った事だ。母性本能を擽ったのか、カイルの身の上に同情したのか。見ているこっちが「あ、お邪魔しました」と言いたいほど、可愛がっている。カイルの方も恥ずかしがりながらも嫌ではないようだ。時々、秘書の李さんが羨ましそうに親指を咥えてその光景を眺めているので、彼女も恥ずかしがってないであの輪に入ればいいと思う。
そんな訳で、僕に対するシスター・ケイトリンのむき出しの殺意が「カイルや他のメイドに何かしたら貴様の【 規制表現 】【 映倫判定 】してやる」程度の穏やかな殺意までグレードダウンした。
トマスのやってきた事に対する復讐と考えると生温いけれど、ケイトリンからの殺意はこれで安定期に入ったと考えていいだろう。……安定期の使い方、これであってる?
カイルの本当のママさんは聖メアリー病院に何年も入院している。何度か病室に遊びに行ったけど、おっとりとした母性溢れる可愛い女性で、僕の事はカイルの友人だと思っている。
彼女は些細なストレスでも吐血喀血してしまうので、僕がライン家のリチャードさんだとは、とても言えなかった。言った瞬間ショックで死んでしまう光景が目に浮かぶ。
カイルママもトマスの好みの範疇であったと追記しておく。
「ストライクゾーン、違うんじゃない?」と聞いたところ「君じゃあるまいし、人を小児性愛者扱いしないで頂けますか」と真顔で返された。
その返事は僕を混乱の極みへと押しやった。十歳未満の男女問わず穴問わず突っ込んでた人が何言ってんだ?
そう思ったけれど、未来はともかくとして、現在のトマスはそこまでイカれていないのだと納得し、ひとまず安心することにした。万が一そういう挙動を見せ始めたら、彼に存在する顔面の穴と云う穴に硫酸を二、三滴ずつ垂らそうと思っている。
シスター・ケイトリンは教会を壊した責を取って追放処分になった。だから正確にはもうシスターをつけなくても良い。吹っ切れた彼女は新しく人生をやり直すようだ。流石にライン家に仕えてほしいとか、庇護が必要なら言って、なんて彼女のトラウマを刺激することは言えない。だけど遠回しに援助する事はできる。カイルも非番の日はケイトリンと一緒に孤児院めぐりをしているようだ。
不思議なことに、ケイトリンの子供は色んな孤児院をたらいまわしにされていた。途中で記録が紛失しているらしいので、捜査は行き詰まり。
相談を受けた李さんが「任せろ」と云わんばかりに奮闘して、今、紛失した孤児たちの記録を洗っている。マット先輩も「ならワシは、寄進しとった貴族でも調べてみるかな」と協力を申し出てくれた。彼はやること成す事、かなりの確率で大事に繋がるので、ある意味結果が楽しみです。
なお、本来のマット先輩の役割は犯人の影武者としてお亡くなりになる被害者だ。まさかリチャードの身代わりも務めていたとは思いも寄らなかったけれど、今は過労が心配になるほど元気に働いている。
さ、いつまでもうじうじ考えるのは止めよう。何とかの考え、休むに似たり。もし「七つの謎々」が始まってしまったなら仕方がないことだ。次はこれからどうするか、被害をどうすれば水際で食い止められるのか、対策を考えよう。顔を叩いて気合を入れ直す。
「依頼は、アビゲイル・アシュバートンの家出について?」
レイヴンはアシュバートン氏からの依頼に大して興味が無い様子だった。
「詳しい内容は知りません。火急の用件で会いたいと、先程手紙が届いたばかりですから」
そう平坦な声で答えた。僕はレイヴンから離れると、目を回しているハーバーとゴドウィンの傍らにしゃがみこむ。
「ハーバーさん、ゴドウィンさん。起きて。起きないと……えっと、まもなく死にます」
僕は目を回している二人の頬を叩いた。しばらく叩き続けていると、まったく嬉しくない悩ましげな呻き声と共に二人の目が開く。
「馬鹿みてえに強ぇなぁ、あいつ」
「酷え目にあったなァ」
「おはようございます」
僕の顔を見た瞬間、倒れていた二人は数分前の出来事をはっきり思い出したようでバッタのように飛び起きた。彼らはナイフをかまえようと拳を突きだしたが、握っていた刃はとうに探偵に没収されている。
次に彼らは逃げようとした。しかしそちらは行き止まりだ。先程自分で体感したから間違いない。クククク。
「実はお二人、ついてきて欲しい場所が、あるです」
「はっ?」
驚いた声は三人分、レイヴン、ゴドウィン、ハーバーの三人だ。
「突然何を」とゴドウィンが云った。
「無茶苦茶いうな!」とハーバーが続けた。
「バカな事を言う、それなりの理由があるのでしょうね?」とレイヴンが不機嫌マックスで言い放った。
それぞれが、それぞれ。中々良い反応をしたところで頭を下げる。
「お願いします、来てください。ダメって言ったら僕にも考察があるんですからね!」
「考えがあります、ですね」
「そうそれ!」
丁寧に訂正をかけてくるレイヴンに礼を云うと、ゴドウィンとハーバーの二人へと向き直った。
「ハッ、お断りだね。殴った後に『言う事を聞け』と脅す輩に、マトモなやつはいねぇもんだぜ」
腕を組んだハーバーがそっぽを向く。ゴドウィンは戸惑っているようだ。
フフフ、そうだろうよ。ゴドウィンに関しては既にリンダ・ストックの関係者であるという事実を押さえている。脅迫ネタとしてばっちり使えるのだ。あとはハーバーさえ納得させれば、二人はきっとアシュバートン家に着いてきてくれるだろう。穏便な脅迫。何て平和的なんだろう。
この二人は、倉庫街で麻薬入りのトランクを運んでいた。もしアシュバートン家が麻薬の密売に一枚噛んでいたのなら、アシュバートン家には二人が知っている人物がいるかもしれない。そうしたら、後は根ほり葉ほり、色々と聞きだせるはずだ。
「分かりました。では賭けをしましょう。ハーバーさん、貴方が驚いたら以下省略。四の五の言わずに黙ってついてきて下さい。いいですね?」
簡略化していても、そのセリフに嫌な思い出が蘇ったのか。ゴドウィンが思いきり顔をしかめた。
「欲しかったのはブルーベルの花です」
言った瞬間、ハーバーはぽかんと口をあけて此方を見ていた。誰もがその意味を考え、何の事だと首を傾げる。
けれどハーバーにはちゃんと伝わったようだ。たっぷり五秒後に胸倉をつかまれた。彼より僕の方が数インチ、背が高い。おかげであんまり苦しく無い。シークレットブーツ先生、ありがとうございます!
「何でその事を知ってやがる」
「僕、霊媒師です。ケイトさんから伝言を頼まれた」
「霊媒師というよりも悪霊と言うべきなのでしょうけれどね」
レイヴンが小声で何か言ったように聞こえた。
ゴドウィンに妹がいたように、ハーバーにも妹がいた。名前はケイト。幼い頃に病気で死んでしまったけれど、ハーバーはいまだに彼女の死を自分のせいだと思って責め続けている。
彼女は亡くなる前日、ハーバーに頼みごとをした。「私の一番好きな花をもってきてね」と。ハーバーの持ってきた花は、妹が好きだった水仙。「違うの、本当は」と言った後にケイトの容体は急変。正解をハーバーに伝える事なく、ケイトは亡くなった。
それ以来、ハーバーは、ケイトが死んだ理由を自分が彼女の一番好きな花をもってこなかった所為だと思い続けている。
だからゴドウィンは、自分の妹の存在を相方のハーバーに隠していた。妹の存在を聞けば、ハーバーは苦しむだろうから。
「おおかみ森、ブルーベル畑。分かりました? そこに彼女、手紙を埋めた。花が欲しいというのは建前で、本当は貴方に手紙を見て欲しかった」
「な……」
ただでさえ大きい目を最大に見開いたハーバーは、ふらりと僕の喉元から手を放す。
よーし、放心状態になったな! これ以上サービスはしませんよ!
「驚いた!? 驚きましたね!? それじゃあアシュバートン邸に行きましょう、レイヴンさん! ハーバーさんとゴドウィンさんには隠れて様子を伺ってもらって、あの辺に見た事のある顔がいないかどうか見ていてほしい!」
ふらふらとしているハーバーの首根っこをつかむと、意気揚々と探偵を見上げる。
「余韻! 余韻を大事にしなさい!」
そして何故か怒られた。