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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
100/174

第八十九幕 開始

【--三日前--】


 一面を覆う鈍色の雲。視界を塞ぐ土煙。煙突から一斉に立ち昇る体に悪そうな黄土色の噴煙。

 化学薬品と土と肥料とカビの混じった独特の匂いは、一朝一夕で慣れるもんじゃない。ガラガラガラと大きな音を立てて、馬車が横を通り過ぎて行った。


「新聞ー! 新聞だよ!」

「一部ちょうだいー!」

 息を切らしながら走ってきた僕を見て、新聞売りのロニーはニヤリと口の端を持ち上げた。

「よお、ショウの旦那。今日は遅いじゃん」

「寝坊した! 寝ぐせついてない!?」

「ついてる。どうしようもなくダッセェのが」

 後頭部を指される。パニック、ここに極まれり。

「あああ、ぜったい馬鹿にされる! どうしよう!?」

「嘘だよ。ついてねーよ。もしついてたとしても、そのボサボサ具合じゃ判断つかねーし。ほら、一部。そんじゃ、良い一日を」

「それもそうか! ありがとう、良い一日を!」


 角の通りで早刷りの新聞を売るロニーに銅貨を渡すと、帽子をちょんと上にあげるお決まりの挨拶を交わす。大人顔負けのニヒルな笑みに見送られながら、インクの匂いが残る新聞を脇に抱えた。

 道に戻ろうとした瞬間、僕が前を見ていなかったせいだろう。突然目の前に歩行杖ケインを持った髭もじゃ紳士がにょきっと生えた。


「ほわあっ、失礼!」

「此方こそ」


 身体を半回転させて、緊急回避。相手も驚いていたようだが、こちらも驚いた。正面衝突を避けられたことは奇跡に近い。とにかく、今は急いで事務所に行かないと。


 外套の裾が重力で下を向く前に、前方確認! 二度あることは三度ある。走ろうとした瞬間、また誰かにぶつかるだなんてちょっと笑えない。


「うわわわわ」


 前方で緊急事態が発生していた。向いの通りから大量の歩行者が雪崩のようにやってくる。十字路を通る馬車の列が途切れたから、みんなが一斉に道を渡っているんだ。人の群れ、というより次第にヌーの群れに見えて来た。轢かれるか、流されるかの未来しかみえない。どどど、どうしたらいいだろう?


 そうだ、迂回しよう! 僕は路地裏を熟知した猫だ。ちょっと入って、真っ直ぐ行って、曲がって、直ぐ出ればいい。そう言い聞かせて狭い通路に飛び込んだ。


 年中日の差さない建物の隙間は強い汚泥の匂いが満ちている。表通りは騒騒しいのに、こっちはやけに静かだ。人の気配すらしない。知らない世界に迷い込んでしまった錯覚すらする。


 キャギャーッと奇怪な鳴き声が背後で聞こえた。手に持った新聞を盾にしながら振り返ったけれど何もいない。今のなに? 鳥? 猫? 犬? UMA? 紙装甲でも防御できる?


 普通の人はこっちの道を通らない。靴も汚れるし。匂いもつくし。

 ただ、隣り合った建物の隙間に何本ものロープが電線みたいに張り巡らされ、オムツやボロ切れが吊り下がっているのを見る限り、付近の住民がゼロというわけではなさそうだ。気配しないけど。

 物凄く不気味だけど早めに通り過ぎてしまおう。これは人気の少ない、良い抜け道だ。うん、そうに違いない。


 なので、最初は後ろから二名ばかり追従者がいることに気がつかなかった。

 何度も言うようだが、この迂回通路ショートカットは暗く、不気味で、紳士淑女(レディースアンドジェントルメン)からの人気は低い。


 逆に、そうでない方々は時々利用していると聞く。危ないから通るなと何度か助言を受けたけれど、別に何も起こった事が無いので聞き流していた。それに、まだ朝だし。爽やかな朝に対する、絶対の信頼感は脆くも十秒後に突き崩されることとなる。


 もし、もしもだ。後ろに誰かがいるなら、それは好奇心で着いてきた汚泥ジャングルにもめげない冒険心溢れる地元の人か、あまり想像したくない用事が僕にあって追いかけてきている人の、どちらかになる。……できれば、前者がいいな。


 ポケットから懐中時計を取り出して時刻を確認する。遅刻、遅刻と叫びながら走ったら、不思議の国に逃げ込めるだろうか。それとも頭がおかしいと思われるだろうか。

 早足になれば、後ろの人も早足に。遅くすれば、後ろの人も遅くなった。

 此処までくれば、流石にノロマ、鈍感、バカの僕でも自信をもてる。


「へんたいだー!」

「誰が変態だ! それを言うなら泥棒、強盗、追剥、カツアゲの(いず)れか四択だろうがこの馬鹿野郎ー!」

「そう、まさに、そういうのが言いたかったー!」


 律儀な強盗に、丁寧な訂正を受けながら走った。人通りの多いところまで行けば、暴力沙汰は無いはずだ。少なくとも誰かに助けを求められるはず。最初は右折。次は、えーと左折。もう一度右折すると、そこには何と!


「行き止まりが!」


 慌てていた所為か、曲がる道を一つ間違えたらしい。急ピッチで進められた倫敦区画整理事業の弊害。すなわち、建物の間にぽっかりと出来てしまった空き地は、崩れかけの石壁に囲まれて暴力的な気配をぷんぷんさせた密室と化していた。

 こういった死角や地図上で本来存在しない空間って秘密基地みたいで憧れる。でも、今は困る。


「に、逃げ足のはやい……」

「おいついた……」


 唯一の逃げ道を塞ぐ、大小二つの影。肩で息をする尾行者達に一つ言わなくてはいけない。


「逃げられなかった時の『逃げ足』って、英語で何て言うの?」

「「知るか!」」


 怒鳴り声でも、返事をしてくれる人は良い人だ。


「ま、まぁ。良い。テメェ、金持ってそうな(ナリ)、してるじゃねぇか」

「お、俺達に恵んでくれるよな?」


 相手の息が落ち着くまで気長に待とうと思ったけれど、ゼェハァと泥棒……追剥ぎ……そうだ、チンピラという単語もあったな。

 ゴドウィン。そしてハーバーの二人が、震える手でナイフを取り出した。

 彼らには以前会った事がある。そうでなくても、一方的に彼らのことはよく知っている。

 倉庫街では大変申し訳ない所業をしてしまったので、慰謝料代わりに幾らかお渡ししようかなと考えていた。


「お金! あげます!! だから非暴力非服従!」

 お金をあげる代わりに見逃して貰う。そう交渉しようとしたんだけど、何か……何か単語が決定的に違う気が。


「ほら、やっぱりな。俺の見立ては当たるんでい」

「すげーな、ハーバー」

 鼻高々のハーバーに、ゴドウィンが素直に感心していた。


「お金渡す。代わりにナイフ、ポイ。オッケー?」


 今朝は、誰かさんの機嫌が特にやばいので。ナイフを持ったら僕でも抑えられるかどうか。頼むから、頼むから仕舞ってくれよ? 重要な部分は心の中でだけ呟く。


 比較的常識人な二人組の追剥はニヤニヤしながら此方の様子を見ていた。

「まぁ、そういう事なら」

「おい、待て。ゴドウィン。あいつ……」

 先にナイフを仕舞おうとしたゴドウィンの肩を小柄なハーバーが叩いた。

「あいつ、前に倉庫で俺達を襲ってきた奴だ!」

「本当だ! あの時の人でなし!」


 追剥に、人でなしと云われる不条理さ。


「あの時はよくもやってくれたな!」

「ちょっと殴って済ましてやる予定だったが、気が変わった! テメェには聞きたい事が山ほどある。そのあと沈めて埋めてやる!」

「僕、埋められる? 沈められる? どっち?」

「両方だ、両方!」

「いらないお得感!」


 改めてナイフを構えなおした二人に対抗できないものかと、使えそうなものを探す。新聞紙しかなかったのでくるくる丸めて、両手で構えた。

 紙装甲。長さはこちらに分がある。嘘、本当は全然ない。


 これで、遅刻は確定だ。首を切られないとは思うけれど、自分の中にある日本人的習慣として待ち合わせ十分前に着いていないと落ち着かない。落ち着かないといえば、この状況もだ。まるで……?


「死ねぇ!」

「ストップ! 動くな! 死ぬ前に確認したいことがある!」

「はっ?」


 ハーパーとゴドウィンの良い所は、そう言ったら待っていてくれる律儀なところだと思う。妙なところで生真面目というか。憎めないというか。そんなんだから小悪党ポジションから抜け出せないというか。

 内ポケットから再度時計を取り出すと、時間を確認した。この広場に追い込まれてから、二分が経過している。路地裏に入ってからはどれくらいだっただろうか。走っていたし、少なく見積もっても一分ほどではないかな。


 と、いう事は予想が正しければ。ありえないけれど。うん、でも一応やってみよう。

 パチンと音を立てて懐中時計の蓋を閉める。内ポケットに入れ、外套の襟を正す。息を大きく吸って、心を落ち着かせる。これで、準備は完了。


『……ま、待ってくれ。か、金ならあげるから』

「うん?」


 突然泣き声になった僕に、ハーパーとゴドウィンは顔を見合わせた。何が起こったのか理解できないといった困った表情でナイフを構えている姿はなかなか面白い。


「さっきもそう言ってたよな」

 おそるおそる、ゴドウィンが云った。そうだったかな。そうだったな。


『だから、殴るのは、もう、よしてほしいんだ。お互いのためにならないだろ?』

「いや。待ってって云われたから、まだ殴ってねえけどよ」

「おまえ、いったい何を企んでいやがる?」


 まったく納得していない顔でハーバーが云った。妙なところで疑い深い人達め。その猜疑心、大事にしてください。

 ゴドウィンとハーバーは怪訝な表情のまま互いに顔を見合わせた。周囲がみんなそんな感じだから麻痺し始めていたけど、アイコンタクトだけで会話が成立するって実は凄いことなのではないだろうか?


「糞っ。やる気が失せた。ならさっさと財布を寄越しやがれ。小僧」

「いや。出来れば先に殴って、倒れた所を取っていって欲しいんだけど」

「んんーッ!?」


 無理難題を言い続ける僕に対し、先に切れたのはハーバーだった。小賢しく頭を使う彼の事だ。色々と深読みをし過ぎてパンクしたのだろう。可哀想に。

 いや、だってさ。殴って倒れたところを、蹴飛ばしてさ。そんで貰っていくぜって、ポケットから財布を取り出さなきゃいけない気がする。少なくとも、僕が知っているのはそうだから。


「そんなに殴られるのが好きなら、好きなだけやってやらあ! おいゴドウィン、さっさとこいつの財布から金を抜き取れ! 時計もだ。金目のもん、全部盗っていく!」

「わ、分かった!」

 チョッキにしまった時計の針が動く振動が伝わってくる。

「四分三十二秒」

 ぼそりと呟いた声は、誰にも聞かれることが無かった。路地裏に響いた口笛の音が掻き消したからだ。


 ヴェルディ作曲。オペラ『群盗』より前奏曲。唐突に始まるドラマチックな曲調から管楽器の部分を器用に抜き出していくと、物悲しいメロディもどこか楽しげに聞こえてしまう。


「実に矮小。実に陳腐。それでいて普通。金銭という直接的な利益を得る為に恐喝とは、暴力行為とは。やれやれ芸が無いと思いませんか。弱肉強食は世の常ですが洗練さと礼儀と知恵が無い人間なぞ、その辺りの蛆にも劣る」

「てめェは誰だ!」


 朝と言えども光源は上から僅かに差し込む太陽光だけ。目深にかぶった紳士帽に黒外套。手にした歩行杖は銀の鴉の止まり木になっている。先程、ぶつかりかけた紳士が持っていた歩行杖だ。


 紳士は手品師を真似てクルリと杖を回した。再度手の中に収まったそれは、まるで杖というより細剣レイピアのように先端を相手に向けている。彼は顔の半分を覆っていた髭を外した。その下から現れたのはギリシア彫刻のように若々しい、青年の顔。


「私の名は慈鳥レイヴン。貴方たちとは以後会う事もないでしょうが、どうぞお見知りおきを」 




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