91.ごめんよ……
「え? ど……うして?」
晴華は俺の言葉が信じられないというような顔をした。
俺の顔を見ながら視線を彷徨わせている。
何か掴みどころを失った子供のようだ。
「ごめん。俺、自分を通したいんだ」
「通していいのよ? 私は、何も反対しないわ」
「だけど……子供は無理だ。俺はそこまで待てない」
「あ……、私があんなお願いしたから……」
晴華が口ごもる。
「俺は晴華の夢を叶えてあげれない……ごめん」
「芙柚……」
「本当に……俺は」
「結婚は? 結婚はできるよね?」
「え?」
晴華は最後に残されたたった一つの希望にすがるように、テーブルに置いた俺の手に自分の手を重ねた。
「晴華……」
「子供は諦める。でも芙柚は諦めれない。私には芙柚だけなの! 昔も今も芙柚だけなの!」
必死にしがみつく晴華の顔をまともに見る事がてきない。
晴華……。
「無理だよ……」
「どうして? 何が無理なの? 戸籍まで変わっちゃうの? 身体が女になるだけじゃ満足しないの? 芙柚にとって私は何なの? 私にとって芙柚は全てなのに芙柚は……私達は同じ気持ちじゃなかったの?」
「同じだったよ。確かに同じだった……だけど」
まさか、あの日……。
俺達がひとつになった事が俺を変えたなんて晴華に言える筈もない。
まさか俺が晴華の身体に嫉妬したなんて言えるもんか……。
「俺は……」
「い、今から私の両親に会って! それから区役所に行こう! 今すぐ結婚するの」
「そんなの無理だよ! できないよ」
「何で? 何で無理なの? 芙柚は自分の為に身体を変えようとしてる! 夢を叶えようとしてる! なのに私の夢は叶えられないの? 身体を変えるより簡単なことじゃないの!! それを無理だなんて、しかもそれを言うのが芙柚だなんて! ひどいわ!」
「俺の水は、もう溢れてんだよ!!頼むよ! もう俺を女に戻してくれよ!!」
そんなことを言うつもりはなかったんだ。
俺が晴華を傷つけたいなんて思う筈ないだろ?
だけど晴華がいきなり、余りにも無茶な事を言い出したから思わず言ってしまったんだ。
いやそうじゃない。
俺が晴華に無茶を言わせてしまったんだ。
晴華はそんな常識を逸した事なんか言う人間じゃない。
少々宇宙人的なところはあるが、そんな道理に合わない事なんか言わない。
俺が言わせたんだ。
晴華の顔が悲しみに歪み、大粒の涙が瞳の全て被うぐらいに溢れ出した。
「イ、イヤ……。イヤよ。芙柚と離れるなんて絶対にイヤよ!」
晴華はテーブルに突っ伏して声を上げて泣き出した。
俺はただ晴華が泣いてる姿を眺めているしかなかった。
♪~♪~~♪~
「長尾……」
偶然に掛かってきた長尾の電話……。
彩と長尾が駆けつけた。
二人共俺達を見て唖然としている。
晴華は彩になだめられ何とか顔を上げたが俺と視線を合わさない。
当然だな。
そして、こんな状況になった原因を知った彩が黙っているはずがなかった。
「芙柚! アンタ何考えてんのよ! 何で晴華と別れるなんて言ったのよ!」
「加州雄、どうしたんだよ。あんなにラブラブで……。嘘なんだろ? 何か行き違いがあったんだよな?」
「どうせ芙柚が晴華の正論に言い負けでもしたんじゃないの? 負けず嫌いなんだから」
「それにしたって今まで別れるなんて言ったことないじゃん。加州雄が晴華ちゃんに自分から……嘘だろ?」
「もう! 長尾は何回も同じことばっかり言ってんじゃないわよ! 現実にコイツは晴華に『別れよう』って言ったのよ。自分の我を通す為に、人の……自分の恋人のたった一つの望みよりも自分の望みを優先させたのよ! 人でなしなのよ! アンタの事を一番理解して受け入れて愛してくれていた晴華をないがしろにしてまで望むものは身体だけなの? 心はいいの? 人を思いやる心は必要ないの? アンタが周りの人達全てに冷たくあしらわれているのだったらアンタの命を繋げる手段かも知れない。でも、そうじゃないじゃない!あの時……生まれ変わったら必ず女になれるんだったら今すぐここで死んでやるってアンタがいった時、止めるんじゃなかったわ!」
「彩ちゃん、何もそこまで言わなくても」
「ここまで言わなきゃ解らないのよ、この馬鹿は!」
「加州雄ぉ、本当にいいのかよぉ。おまえは晴華ちゃんなしでいけるのかよぉ。ずっと好きだったじゃないかぁ、純愛なんだって言ってたじゃないかぁ」
「もういい! こんなヤツ口もききたくない! 私はアンタが本当の女友達になるのを心待ちにしてたんだ。だけどこんなヤツ友達なんかじゃない! 自分の望むものを手に入れて孤独に生きればいいんだ! 吉村! アンタとは絶好だ!」
「彩ちゃん! そんな……コイツにもコイツなりの言い分があるんじゃないのかな?」
「コイツの水瓶が溢れたんでしょ? 聞いたわよ。その水瓶が溢れる前に私が叩き割ってしまえば良かったわ!」
彩は俺に向かって吐き捨てると、晴華に優しく声を掛けた。
「晴華……。行こう。送っていくから」
晴華は彩に支えられながら店を出ていった。
その後ろ姿を見ながら大切なものが煙のように消えていく寂しさを感じた。
俺は間違えたのか?
彩が言う通り、俺は恵まれていると思ってきた。
葵や他の人達の話を聞いて家族や、純子ママとの出会いや受け入れてくれた友人に感謝していた。
だけど、それとこれは違うんだよ。
ママがいうように周りの人への配慮もしてきたつもりだ。
でも、俺は見てしまったんだ。
今の俺は本当には女じゃないって現実をこの目で見て、触れてしまったんだ。
もう俺は自分を誤魔化せない。
もう止まれない。
治療開始……。
「そう、彼女と別れたの……」
「はい」
それ以上晴華の事に関して赤フチは何も言わなかった。
「じゃ決心はついてるのね? 始めしまうと後戻りできないのよ? 大丈夫?」
「大丈夫です」
そうさ、俺はこの日を待っていたんだ。
後戻りする為なんかじゃない。
前に進む為に!
赤フチに差し出した腕に注射の針が入ってきた。
チクリと痛みを感じた時、俺は呟いた。
「ごめんな……晴華」
初めてスマホ投稿しました。pcがない環境での投稿は至難を極めます。戻り次第修正しますので、お待ち下さいませ。




