89.母たちの言い分
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塾のバイトは週4日。ビブレは2日。
働き詰めの毎日だ。
俺が担当しているクラスには週に2日、俺以外にも講師がいる。
その講師は基本中学生と高校生を担当しているので、あまり顔を合わせたことがない。
ようするに、俺が出勤している日には彼も他の授業に入っているから授業の進め方みたいな事でコミュニケーションを持ったことがないんだ。
その講師が最近子供達が浮き足立っていると注意を受けた。
多分カミングアウトの影響だろう。
「吉村くんがどんな授業をしているか知らないけれど、君が担当した次の日は非常にやりづらいんだよ。集中力を欠いているというか……。よそ見をしてる子が多いんだ。もう少し僕と歩調を合わせて欲しいんだけどなぁ」
「す、すみません。気をつけます」
俺がその講師にお小言を頂戴した日は晴華が来ていた。
塾長に長期の休みを申請しに来たんだと。
休みっていうか……一旦辞めた方がよくないか? と訊いてみると。
「自分勝手なお願いなんだけど……子供達と勉強するのは私にとって癒しなの」
「癒し?」
「ええ。あの教室に入るとホッとするのよ」
そう言えば晴華は小学校の先生になりたかったんだった。
そっか、晴華にとっては癒しだったんだ。
まぁそれが全てでないにしても、教師になりたい動機のひとつには間違いないだろう。
俺と晴華はあの日以来、初めて顔を合わせたんだ。
電話では毎日話しているし、合間があればメールしている。
だけど、こうやって改めて顔を合わすとは恥ずかしいなぁ。おい!
俺は平静を取り繕うのに必死だった。
普段しないような話題にやたら熱弁を奮ってみたりして……晴華が不思議そうなキョトンとした顔をしている。
ハハハ……。ハ……ハ……。
と、取り敢えず小学クラスでカミングアウトしたことを報告した。
「そんな……塾長はなんて仰ったの?」
「やってみろって……。その後、俺が塾に残る事で子供達の勉強が捗らないようなら辞めて貰うって言ってた」
「え? 辞めさせられるの?」
「子供達がどうなるかによってだってば」
「だけど……何で一言私に相談してくれなかったの?」
「え? 何で?」
「なんでって……。この事はは子供達にとっては……凄くショッキングな事だと思うの。だから、もう少し……」
もう少し? 何だというんだ?
俺がホルモン治療を始めると、見た目が変わっていくんだぞ?
その方がショッキングじゃないか? と、俺は思った。
「どっちみち話すことになるんだから、前もって話といたほうがいんじゃないか?」
「でも……子供達だけで済まないんじゃない?」
「保護者だろ? それは俺も考えたさ。だけどアイツらはそんなに器の小さいやつらじゃないさ。俺はそう信じてる」
「だけど……子供達の器の大きい小さいを言ってるんじゃないわ。保護者が言ってきそうなことを想定して……」
「想定? そんな事できるはずないじゃん。何を言ってくるかわかんないじゃん。なのに前もって反論を準備するってか? そんなの必要ないね」
「だけど……バイト辞めるようなことになったら……」
「俺は腹括ってるよ。俺はこのバイト……俺が思っている以上に好きみたいなんだ。だから、辞めるのは正直言って嫌だよ。だけどその為に何かを準備しておくなんて……ナンセンスだね。どんなに取り繕っても真実は変わらないんだから。俺が女だという真実はね」
「それにしても……」
晴華は納得がいかないようだった。
別に俺を責めているようではないんだが……。もしかしたら、相談せずに行動した事が気に障ったのかも知れないな。
でも、相談したら今みたいに反対するだろうと、実は俺は思っていたんだ。
優しい晴華のことだから、塾に来る回数が減った為にもし保護者が乗り込んで来た時に晴華自身が俺を守れないとでも考えてくれているんだろう。
大丈夫だよ。俺は口ではあんな事言ってるけど、ある程度の事は想定しているさ。
塾長とも話している。心強い味方だよ。
掛かって来い! ってんだ。
そしてその日は案外早くやって来た。
「この塾は子供達に何を教えているのですか?」
白いスーツを身に纏い……どっかの保険会社の外交員か?
化粧が濃いよ……おばさん。
年は……40歳そこそこかな? 土台は綺麗なのに……残念だな。
「そうですよ。この人が病気であろうがなかろうが子供達に関係ないじゃないですか」
「しかも……精神科に通っていらっしゃるんでしょ?」
「大丈夫なんですか?」
「もっと健全な方に担当して頂けないでしょうか」
何だと? 俺の何処が不健全なんだ。言葉選べよな。
オバさん達は精神科と心療内科の区別がついてないみたいだな……ホント残念だ。
不眠症でも精神科だっつうの。
俺が子供達にカミングアウトしてから10日ぐらいか……。
保護者達がやって来た。
塾長が一人で対応すると言うのを本人にも訊きたいことがあると母親達が言い張り、今俺は塾長の隣に座って母達の言い分を聞いている。
母親達はまず俺の品定めから始めた。
頭の先から足の先まで……はぁ、ぞっとするね。
事務局のオバサンを彷彿させるよ全く……あの目つきと同じだ。
「私も調べてみましたが……。ときどき、鬱のような状態になるとか? 確かにお気の毒とは思いますが、いつそんな状態になられるかご自分でもお分かりにならないんでしょう?」
はぁ? 何言ってんだ? この人……。
う……ん、もしかして治療に入ってからの事かな?
確かにホルモン治療を始めるとそういった症状が出る人もいると聞いているが、今のことじゃないじゃんかぁ。先読みし過ぎだ。
そんなふうになったら俺が続けられないっつうの。
「そんなだと……勉強の指導にも波が出たりしませんか? 子供にきつく当たったり……精神が不安定で教壇に立つなんて……子供を任せるのが不安ですわ」
子供にキツく当たるって何だよ。
体罰でもすると思ってるのか? この人達は何を話し合ってここまできたんだろう?
言ってる事が、凝り固まってるっていうか……何かの宗教を盲信している信者のようだ。
さしずめ、この白いスーツの母親が先導しているんだとは思うが……。
もっとよく調べてくださいよって言いたいところを俺はグッと我慢する。
塾長が『何を言われてもじっとしてるんだ』と言った。
相槌も打っては鳴らない、言葉を発してはならない、目を背向けてもいけない。
ただ、じっと相手の目を見ながら自分の横に座っていろと言った。
そして『決して下を向くな』と言ったんだ。
母親達は存分に自分達の思いを吐き出してたねぇ。
よくもまぁ、こんなにデタラメな知識で話せるよなぁって感心するぐらい、喋り捲っていた。
まるで俺の事を気遣っているかのような事も言ってたなぁ。
怒り出したり、上品ぶったり、急に猫なで声で話したり……百面相付きでさ。
でも、どんなに言い方を変えても彼女達から聞こえてくるのは、
『アンタみたいな変態は近くにいないで』ってこと。
不思議だよな、そんなことなんか一切口に出してなんかないのに……。
一貫した思いは言葉を変えても伝わるもんなんだなって思った。
『最近子供が落ち着かない』『吉村先生の話ばかりしている』『先生が女に見えてきた』
と、遂に母親達が子供達をダシにして危機感を煽る作戦に出た時、塾長が初めて口を開いたんだ。
「お止めになりますか?」
「え? 私達の子供がですか? 何を聞いておられたんですか塾長は。私達はこの先生を辞めさせてくださいとお願いしているのですよ?」
白いスーツの人は驚いた顔をして、塾長の顔を凝視した。
俺も驚いた。開口一番がそれ?
俺じゃなくてあっち?
「彼を雇っているのは私ですが? 面接もして人となりを見極めているつもりですが? 彼自身のことも始めに聞いています。彼が自ら話しました。その上で私は彼を採用したのです。もし私の人を見る目をお疑いになるのでしたら……止むを得ませんな」
「こ、子供達を見放すと仰ってるのですか? 塾長は」
「私はそんな事は一言も言ってませんよ。見放すなんて……、あなた方が子供達をご自分の所有物のように仰っているからここに通わせるのを止めますかとお聞きしたのです。本来なら子供達にやめたいか?と問うてみたい所だがそうはいかないようなのでね」
「当たり前です。子供達の環境を考えるのは親の務めですから、一時の感情や同情で子供達の将来を揺るがす事はできませんから」
おお聞いたか? 俺の存在は子供達の将来を揺るがすのだそうだ。
世間って本当はこういうものなんだろうなぁ。
塾長がいるから俺はここに座って母親達の言葉の表面を取り繕った罵詈雑言を聞いていられるが、実は心が折れ捲くっているんだ。
俺だって人間だ。傷つく時もあるさ。
「もちろんです。だから提案したのですよ。お止めになりますか? と」
「お話が通じていないようですわね」
「そのようですな。どうやら……あなた方の心はささくれ立っているようだ。人として会話が出来ない状態に在られる」
しぇ~! つぇ~。塾長ぉ。
こ、この人大丈夫か?
読み返すと誤字が多すぎて……。
失礼いたしました。
潤子さま誤字指摘ありがとうございました。




