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俺の恋。決めた恋。  作者: テイジトッキ
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81.触発されて。

 

「私を女性として雇って戴けますか?」


 塾長は俺の言葉を聞くと、椅子の背もたれに上体を預けメガネを外した。

 そしてもう一度机に両肘をつき、組んだ手の甲の上に顎を乗せ怪訝な表情を浮かべながら、俺に質問する。


「君は何を言っているのかな? 私には理解できないんだが?」


 そりゃそうだろ、誰だって男だと思っている相手にいきなり女として接して欲しいなんて言われて、理由も聞かずに「はいわかりました」なんて言う奴はいない。

 ましてや、この手の頭の固そうな人物は特にそうだ。


 自分の知識の引き出しの中に存在しないアイテムを、受け入れるのに時間が掛かるか否定するか……無いものとするか?

 ああ、もうひとつ新しい知識として何もなしから受け入れるか……だな。


 実は、俺はその四つめ可能性に賭けてみた。


 男のくせに髪の毛が長いとか話し方がナヨナヨしてるって、塾長には散々嫌味を言われてきた。

 しかし、考えてみるとそれは塾長が決めた基準だということに行き着いたんだ。

 彼が今まで生きてきた時代の中学生は、殆どが丸坊主だった。

 きっと、男はこうあるべき。女はこうあるべきなんて四角四面の時代だっただろう。

 勿論、そんな時代にも俺のような人間はいた。

 しかし、そんな時代にそのことを公言するなんてことは、一切なかっただろう。

 あったとしても、極小数だったなんてことは察しがつく。


 現代でもカミングアウトなんてのは、かなりの意志と勇気がなければ儘ならない。

 この情報社会で“性同一性障害”なんて、パソコンの前で人差し指一本で検索できる時代であってもだ。


 そういった人達がいるってことなんて簡単に知る事ができる。

 何たって100年も前から研究されてきたんだからな。

 だがそれは、あくまで知識である域を超えないだろう。

 言ってみれば当事者である人達の立場までは知りようがないってことだ。


 その上で、我々に理解者の存在は必須だろう。

 いないよりいた方が良いに決まってるさ。


 俺は運良く家族の理解が得られた。そして友人も……。

 だが、シュンは……。

 彼は、本人が望むような結果を得られてはいないようだった。

 家族で躓いてしまうと、その先を望むことは難しくなってしまうだろうと思う。

 家族でさえ理解してくれないのに……他人が? なんてな。

 友達には言えたけど、家族には言えないってパターンもあるようだけど……。


 要は知らなくても困らない知識であることは言えるだろう。

 ただ、家族に俺のような人間が存在してまったら?

 友人にある日突然カミングアウトされてしまったら?

 ゼロからスタートせざる負えない。


 俺はこのゼロスタートに賭けてみたんだ。

 塾長の周りに……っていうか、俺のような存在自体が1/2800と言われているんだから。

 そう易々とお目に掛かってはいない筈だ。

 そこでだ。俺は塾長の好奇心、探究心に賭けてみた。

 学者肌の塾長なら、もしいきなり自分の知らない分野を目の前に突きつけられたら……。

 知りたい……と思うかも知れない。なんてな。

 勿論、その為には色んな質問もされるだろう。

 でも、そんな事はどうだっていいんだ。

 俺は何でも答えてやるよ。塾長が俺っていう存在を認めるのであればな。

 それにこの先、何度も同じ場面に対峙するだろう。

 言わば予行演習だな。


 葵が言ってた。

 今でこそ100%女性になったから、そんな説明なんていらなくなったけど……ここまでの過程はずっと『私は女なんです』って言いっぱなしだったと。

 一々説明することには序々に慣れていったらしいが、まともに顔をしかめられるのだけは慣れなかったと。


 そんなの当たり前だ、マゾじゃあるまいし。


 俺は、そんな葵の話を思い出して考えたんだ。

 塾長ほど予行演習にもってこいの逸材はいないと……。


 この人は正直な人だ。

 自分の考えや思いが、すぐに顔に出るし言葉にも出す。

 解り易いんだな。

 だったら、この人を世間の基準に見立てて反応を見るのも一案かと……。

 変に愛想笑いをされて陰口を叩かれるより、どんな言葉でも真っ向から言われた方がマシだ。

 もしかしたら、心が折れそうなことを言われるかもしれない。


 いや、実際言われるだろう……多分。


 しかし、そんなものを乗り越えなきゃ俺の望む生き方は手に入らないんだ。


 そして、今が乗り越える時なんだ。

 と俺は言うぞ。


 今、乗り越えなきゃ先はない!

 とまで、俺は言う。


 俺は葵に触発された。

 アイツの生き様をカッコイイと思う。

 そして、ここを俺自身がカッコよく生きていく為の起点にすることに決めたんだ。


「塾長は“性同一性障害”というのをご存知ですか?」

「聞いたことはあるが? 君がそれだというのか?」

「そうです。何なら、診断書をお見せすることもできます」

「いやそれは必要ない。君が態々その話をすること自体、それがウソでないことを示してると理解できるが?」

「ありがとうございます。僕はこの先、ホルモン治療を始めるつもりです。そして性転換手術を受けるつもりです」

「ふむ。それが君の選択なのだな? 私の意見を必要としている訳でもあるまい」

「はい。意見を必要としてるのではなく。これから女性になっていく僕をそのまま受け入れて、雇って頂きたいとお願いしているのです」

「君はこの仕事に魅力を感じているのかな?」

「もちろんです。でないとここまで来ません。ましてやいきなり塾長にカミングアウトなんて必要ないでしょう?」

「確かに……。しかし、君が受け持っていた生徒達はまだ現在も通っているが? そのことについて子供達への影響などは考えなかったのかな?」

「考えました。前に教えて貰った先生が女になって帰ってきたなんて……驚きますよね」

「驚くだろうな」

「でも、僕は考えたんです。子供の器ってそんなに小さいものでしょうか? これから色んなことを知って、色んなことを体験して、どんどん大きくなっていくんではないでしょうか? 人間に色んな人がいる。日本人、外国人、白人、有色人種、男、女……。その中に僕のような女性の心を持ちながら男性の身体で生まれてきた人間、その逆の人間もいる。その存在を知る事も子供達の器を広げる一つのきっかけになりはしないかと……。僕の事を知ることで子供達が、人の立場に立って物事を考える人になるきっかけになりはしないかと……」


 ここまで塾長は何の動揺もなく冷静に俺の話を聞いていたが、


「ふ……尤もらしいことを言うじゃないか」


 と、鼻先で笑うように言葉を発した。


 来た来た……。さぁ塾長節が始まるぞ。


「私も、常々思っている事がある。私が発する言葉の一部が、子供達の器の壁を形成する一部になっているのではないかとね。だが、私は私が生きてきた時代で私の器を形成してきたのだよ。今の時代にはそぐわないかもしれない解釈で形成された器をだ。だがそれを間違いだと思うかね? いや、言い換えよう。それに気づいているのなら変わるべきだと思うかね?」

「変われるのなら……変わるのが必要な時もありませんか?」

「私は変わる必要はないと考えている」

「え? そうなんですか?」

「正しくは変える必要がないと思っているんだ」

「変える必要がない……?」

「そう、そのままで良いということだ」

「そのままで……」


 俺は正直、拍子抜けしていた。

 塾長はもっと激しく色んな事を畳み掛けるように質問してくるか、否定するか、嘲笑めいた事を言うかもって覚悟して来てたからな。


「人の言う事に耳を傾け続けていれば、結果変わっている事もあるのではないかね?」

「そう……かも、知れません」

「という事は……。君は君のままで、変わる必要がないという事になるが?」


 え? 意味がわからないです。


 俺はきっとキョトンとした顔をしたのだろう。

 塾長は俺が見たこともない顔を見せた。

 ほんの……ほんの……本当に少しだけ……目を細めながら微笑んだんだ。

 そして、塾長が俺に言った言葉は……。



「女性として生きることが君だと……君が言うのであれば。きっとそれが真実なのだろう……。と、私は思うのだが?」



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