63.『芙柚』。
<診断書>
住所 ○○○○○○○○○
名前 吉村 加州雄
病名 性同一性障害(MTF)
附記 上記疾患により、当院に通院治療中であることを証明する。
現在の男性名での生活が非常に精神的に苦痛であり、女性名
に変更することが望ましいと考える。
―――――――― 以下余白 ―――――――――
上記の通り診断いたしました。
よし!
俺は赤フチが書いてくれた診断書を読み返した。
『提出するときは、ちゃんと封をしてね。本来、封印して渡すものなんだから』
赤フチはそう言ってた。
そうだよな、悪質なことに使用する為に書き換えるってこともあるかも知れないもんな。
赤フチは俺の精神安定の為だと言って開封したまんま渡してくれたんだ。
うん。確かに安心する。
この一枚が俺の未来を明るくしてくれるんだって思えてくるもんな。
俺は診断書を封筒に戻し封印した。
そして、その封筒を大切にカバンの中に入れる。
翌日、家庭裁判所に着いた俺は改名手続きをした。
費用は800円。
50才前後の女性に渡すと待合室に案内され、
「お名前をお呼びしますので、呼ばれましたらA-4の部屋へお越し下さい」
と言われた。
うわ~。ドキドキするなぁ~。
俺は気を紛らわす為に雑誌を読んだり音楽を聴いたりして時間を過ごしていたんだ。
暫くすると名前が呼ばれ、A-4の部屋へ向かう。
さっきの女性が前を歩いていくのに着いていった。
部屋に入るとその女性は電気を点け、俺は部屋の真ん中にある円卓に座るように促された。
その女性は俺の向かい側に座り、大きなノートを広げた。
「まず、改名されると元には戻せません。もし改名した名前が使っているうちに嫌になったとしても、二度と改名はできません。その点は宜しいですか?」
「はい。大丈夫です」
「分かりました。では、幾つか質問をさせていただきますね」
「はい、どうぞ……」
質問内容は病院で渡されたアンケートの内容とほぼ同じ物だった。
生い立ちから始まって、何歳ぐらいから違和感があったか? どんな少年だったか?
性格は? 家族は? なぜその名前が嫌なのか? 新しく考えている名前は? なぜその名前に決めたのか?
そうそう、ランドセルの事を聞かれた。
ランドセルは何色だったのか? 何色が欲しいと思ったのか?
その年齢の精神状態って余程重要なんだなって感じた。
「それでは、裁判官に報告してまいりますので、先ほどの部屋でお待ちください」
その女性はそう言うと立ち上がった。
俺が先に部屋から出ると電気を消して扉を閉めた。
うん、節電だ。コレ重要。
俺が再び待合室で冊子を読んでいると、20分程してから女性が現れた。
再度、A-4の部屋へ入る。
「今回の申請は却下されました」
「え? 却下?」
バクンッ!!
心臓が反応した。痛みを感じるほどだ。
俺は焦った。腹の下から何か嫌な感情が突きあがってくる……。
「な、なぜですか? ぼ、僕。改名できないんですか?」
「大丈夫ですよ、今回の申請が却下されたという事です。裁判官からの伝言を言いますね。宜しいですか?」
「あ。は、はい……」
「この診断書なのですが……。今後の治療を明確にした診断書が必要です。具体的に書かれていれば結構です。解りますか?」
「は、はい。解ります」
「では、次はいつ頃来られますか?」
俺は急いで手帳を取り出して予定を見た。
ここを出てすぐに病院に予約を入れてたとして……、約10日。
2週間もあれば大丈夫だろうか……、塾の履歴書の提出の方が先になってしまうけど……。
ええい! 大丈夫だ。
「じゃ、2週間後に……」
「……28日ですね?」
「そうですね。そうなります」
「分かりました。では……13時で宜しいですか?」
「はい。大丈夫です」
俺は家庭裁判所の建物を出るとすぐに病院に電話をかけた。
案の定、予約は10日後。
あぁ、何か遠い日に感じるよなぁ。
一回目の申請を却下されたことに落胆した俺は肩を落としながらトボトボと駅への道を歩いていた。
♪~ ♪~ ♪~ ♪♪~
晴華だ。
俺はポケットから携帯を取り出した。
「もしもし? 加州雄、今どこ?」
「家庭裁判所の帰り」
「ああ、行ってきたのね? どうだった?」
「却下」
「ええーーー!!」
「わっ! 晴華! 耳が痛いって!」
「ごめん、ごめん。でも何で?」
「診断書の書き直しだって。今後の事を書かないとダメみたい」
「そうなんだぁ……。でも、次は大丈夫よね」
「あ……ぁ、多分な。で? 電話、何だった?」
「ああ、塾長が3ヶ月間バイトしてくださいって」
「受かったのか?」
「うん、そうだよ。大丈夫だって言ったじゃない」
「マジか……」
「私が思うには昨日の、あの時点で決まって採点は終わってたと思うわ」
「へ? どういうことだ?」
「だってぇ。塾長は答えなんか知ってるに決まってるもの」
「言われてみれば……」
そりゃそうだわな。
晴華が言う通り試験の内容を一々変えなくても、もし仮に変えたとしても出題しているのは塾長なんだからな。
「そっかぁ。受かったのかぁ……」
「よかったね。加州雄」
俺の胸中は複雑だった。
奈々先輩に会いたいが為に受けた試験だったんだから……、もう目的は果たしてしまったんだよなぁ。
だから……正直、あんまり嬉しくないんだよなぁ。
おおっと。こんな事、間違っても晴華には言えない。
拙者、墓場まで持って参りますぞぉ。
って、持って行くものが増えてないか?
「ああ、晴華のお陰だ」
「うふ♡ 一緒にいられる時間が増えたね」
「うん♡」
そんな甘い会話をしつつも、俺は2週間後に思いを馳せるのだった。
10日後__。
「あちゃー!! そうなのぉ? 私が書き足りなかったのねぇ~」
赤フチは、診断書を見ながら唸った。
「今後の治療法とか……必要だと」
「うん。確かに……、これは現状だけを書いたものね。変更する事によって……、が必要なのね。解った、新しく書くと料金が発生から文言を付け足しましょう。OK?」
「はい。お願いします」
再度渡された診断書には、
平成○月○日から当院治療中であり、定期的に受診されている。
今後はホルモン療法、性適合手術を視野に入れながら、
現在精神療法を継続している。
と追記してあった。
よし! これで次は大丈夫だろう。多分……。
俺は塾に提出する履歴書に『芙柚』と書いた。
ちょっぴり気が引けるが……。
28日__。
俺は、約束の時間より早く到着して、待合室で待っていた。
13時きっかりに、前回対応してくれた女性が待合室の扉をノックした。
「吉村さん。B-3の部屋でお待ちください」
「あ、はい」
「部屋はわかりますか?」
「大丈夫です」
遂に来る時が来た!
俺は祈り続けた。もう二度却下されませんように……。
そして、10分ほどしたら呼ばれた。
「裁判官の承認が取れました」
その人は俺に向かって微笑んだ。
感謝だ。
「約2週間の間に、許可証が郵送されます。今後、新しい名前を使用するにあたっての注意事項も書いてありますので」
「解りました。後で確認します」
やった! 許可が下りた。
俺の名前が変わる。
さぁ! 始まるぞぉ!




