60.講演会デビュー。
講演会はこのクリニックの院長の挨拶から始まった。
俺は後ろの方に席を取って座った。
ここからだと参加者の様子がよく見える。
赤フチの言う通り色んな人が参加している。
まぁそれは、院長の話しで分かったことなんだけど。
『この研究会は、基本は性同一性障害の研究としていますが様々な方が参加されています。もちろん当事者の方、その家族の方。本日は教員の方もいらっしゃいます。生徒さんにGIDのお子さんがいて、その生徒とどう関わっていけばいいのかという事を学びに来られています』
って説明があったからなんだ。
へぇ。ってことはその子、カミングアウトしてるってことだよなぁ。
勇気あるよな。それとも、余程耐えられなかったのか……。
で? 先生がその子の為に勉強しに来たってかぁ?
そんな神様みたいな人がいるのかよぉ。
俺の学校にそんな先生がいてくれたら、俺はどうしてただろう?
相談に乗って貰ってたかなぁ?
俺の頭の中に高校時代のことが走馬灯のように流れる……。
う……ん。俺はそういうタイプではないな。
自分の事を曝け出すというより、どっちかと言うと内に秘める方だな。
講演会の内容はこの研究会の活動報告から始まって、性同一性障害の歴史、外国の医師の手記の紹介やこの病気に関する外国と日本の法律の違い、性転換手術と就労に関してのこと等、性に関する暮らしや生き方。
それぞれの題目を部屋の横に並んで座っている人達が順番に演台に立って説明した。
演台に立つと自己紹介をしたので、全員が医師なのだと分かった。
ビデオも上映された。
胸の摘出手術と作る手術……。
これは、俺にとってはかなりグロかったなぁ。
え~、あんなに切っちゃうのぉ?
なんて、とにかくリアルで俺は思わず「うっ」となってしまった。
あんなに大量の血を見たのは初めてだったからなぁ。
テレビでやってるドラマなんかのオペシーンもリアルにしてあるけど……、全然違った。
うっ、思い出すとまた……。
もうひとつ、名前や戸籍の変更についてとか……。
これは俺の興味のあるとこだったので必死で聞いてた。
まず名前。これは家庭裁判所に言って改名手続きをするらしい。
ふむ。変更許可申し立てとか言ってたな。
インターネットで簡単に調べられるんだと。あっそ。
あと、戸籍は……条件がたくさんあった。
性適合手術が済んでいること、外見が自分が望んでいるの性に見えること、未成年ではないこと、子供がいないこと(いた場合、子供が成人するまで認められない)、生殖機能が失われていること。
ああそうだ。性転換と就労の事……。
カミングアウトしたために職を失業してしまった。
また、戸籍と性が一致しないため就職できないなどの、社会問題的な話をしていたな。
これは身に積まされる話しだよなぁ。
こうして、俺の講演会デビューは終わった。
個人的に興味をもったのは歴史だった。
今から100年も前から研究されてなんて驚いたなぁ。
性転換に関する法律が制定されている国(戸籍の変更が認められている)
スウェーデン 、カナダの2州 、ケベック州、イタリア 、オランダ、トルコ、オーストラリアの1州、 ニュージーランド、イギリス、西ドイツ。
それに裁判の結果認めている国とか、行政が認めている国とか。
俺はこの辺に興味を持った。
久しぶりに勉強したっていうか……結構、頭に詰め込んだ感がある。
全ての講演が終わり、部屋の中がザワザワしている。
一人の男の人が、チラシを持って俺の前に立った。
「このあと親睦会があるんですけど参加されませんか?」
「え? はぁ……」
親睦会……。
時計を見ると、午後の3時をまわっている。
新幹線の時間が……。
俺が暫く考え込んでいるとその人は
「別に今日だけじゃないし。また講演会に来る機会があったら参加してみて下さい。マイノリティーの映画とかも上映しますんで……」
と言って、また違う人にチラシを配っていた。
そうだな。別に今日じゃなくてもいいか。
俺はそう思いながら部屋の中をぐるりと見渡した。
ほんとに色んな人がいるんだ。
俺の目に止まったのは二人。
いや、それだけではない、あくまでも印象的だってことね。
ショートカットで色白の女子……?。多分FTMだろうと思う。
服装はバッチリ男で決めている。
思わず、カッコイイ! って言いそうになるぐらいだ。
でも身体の線が細い。う~ん、全体的に華奢なんだな。
仕草も男っぽい。遠くにいるので声までは聞こえないが、話し方なんかは男風だ。
あれだ。宝塚の男役って感じだな。
あと……さっき目があった女性?
この場合女性と言うべきなんだと思うが……。
服装はスーツとまでは行かないが……上下の色と柄の揃ったジャケットとスカート。
3cmぐらいのヒールの靴をはいた。女性……。なんだが……。
ここへきて、店のお姉さん達と一般の人達のかけ離れた違いを俺は目の当たりにしたんだ。
顔はもちろん化粧もしている。
俺としてはもっとちゃんとしてあげたいくらいだ……。
なんたって俺はプロ級だと自負しているし、それが仕事だからな。
だから、彼女の眉の形も、頬紅の位置も、口紅の色や塗り方も全部綺麗にやり直してあげたい。
顔はお世辞にも女性には見えない、まるっきりの男。
それでも、控えめナチュラルの化粧をすれば見れないこともないだろう。
年は……50以上60以下ってとこだろう……。
だがな……。だがな……おじさん。じゃない、おばさん……でいいのかな?
できたら……カツラを被ろうよ。
頼むよ。もしかしたら、女装はこの講演会だけなのかも知れない。
ここにいる人達は皆、見知ってる人達なのかも知れない……。
俺は、あくまで美的意識のことを言ってるんだ。
あなたの性格がどうとか、人間性がどうとか言ってるんじゃないんだ。
いや、悪くはないんだ。
それでいいんだ、アンタの在りのままでいいんだ。
非難している訳でもなんでもないんだ。それは信じてくれよな。
ただ……。ほら、よくあるだろ? このスカートにはこのブラウスとアクセサリー、みたいな感じの……バランスっていうか、何ていうか……。
もし、あなたがMTFなんだとしたら……女性になっている今は至福のときだと思う。
その気持ちは、痛いほどよくわかってるんだよ。俺はね。
もちろん、俺はあんたのプライベートなんか知らない。
普段は男性用のスーツを着ることを強いられて、苦しい思いをしながら通勤しているのかも知れない。
だから今だけは……と。
いや。もしそうなら今だからこそ、もう一歩踏み込んでだな……完璧にとまでは言わないが……。せめて、せめてカツラを被ってください。
お願いします……。
俺は心の中で、そっとお辞儀をして……彼女に背を向けた。
すると、背中越しに誰かが駆け寄って来る足音が聞こえた。
「君、ねぇ君」
俺が何気なく振り返ると、その彼女が立っていた。
俺は心の中で『しまった。見過ぎた。失礼なことしたよな』と呟いた。
と、同時に動揺している。
「は、はい。僕ですか?」
「そう、あなたよ」
彼女は笑みを浮かべてそう言った。
「あなた、初めてね。ここへ来るの」
「あ、はい。初めてです。主治医の紹介で……」
俺は赤フチに貰った紙を取り出そうとカバンの中に手を入れた。
すると彼女は、
「驚いたのね。私のこと見てたでしょ?」
うっ、ヤッパリ……。
「ご、ごめんなさい。失礼だとは思ってたんですけど……うっ」
そこまで言って、口をつぐんだ。
何いってんだ、見てましたって言ってるようなもんじゃないか。バカ。
「アハハ、正直ねぇ。大丈夫よ、今日は帰っちゃうの?」
「あ、はい。新幹線の時間がありますから」
「そう、残念ね。また今度の機会を楽しみにしてるわね」
「あ、はい。僕、吉村と言います」
「私は高橋よ。よろしく」
「はい、宜しくお願いします」
高橋さんは俺をエレベータまで送ってくれた。
連絡先の交換をして少しの間、世間話をしながら歩いた。
「じゃ、またね」
「あっ、はい。さよなら」
「さよならぁ」
そして、高橋さんはエレベータの扉が閉まる直前に言った。
「今度はちゃんとカツラ被って、ハゲ隠しておくからねぇ」
うわ~ん。やめてくれよぉ。
俺って言いたいことが顔に出るタイプなのだとこの時初めて知った。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
明日、お休みさせていただきます。




