46.逢瀬。
「俺、ヒロさんには……。色々買って貰ったり、食事や……。お世話になってばっかりで、まだ何も返せてません」
「ハハハハハ。可愛いことを言うんだな。まひるは何も返さなくていいんだ」
「でも……。俺……」
「じゃあ、聞こう。何を返してくれるんだ?」
「え……っと」
「もし、まひるが私にお返しを出来るような人なら、私は君に何もしてあげる事はないよ」
そうかも知れない。
いや、きっとそうなんだ。
ヒロさんのような人に、何かしてもらった分を返すことが出来るのは、ヒロさんと対等の人だけだ。
俺なんかが、何にも返すことなんてできる筈ないんだ。
「でも、何かを返したかったら。早く大人になって人を育てなさい」
「人を育てる?」
「そうだ。夢を掴めそうで掴めない人が夢を掴めるように。目標がない人が目標を持てるように、力づけ、育てるんだ。私も、色んな人に育てられた。ある時は叱られ、なじられ。ある時は褒められ……、力を与えて貰った。だが、そういった人達に私は何も返せてはいないんだ。だから、人を育てる。それが、私に力を与えてくれた人達への恩返しだと思っている。それに、私を育てたのは何も大人だけじゃない。子供にも、教えられることは沢山あるからね。まひる、君からも随分教えて貰ったよ」
「お、俺から?」
「そう、君からだ」
俺から何を教えて貰ったって言うんだ。
俺の方こそ、色々してもらった。教えて貰った。
会うときいつも最初、俺は男。
で、兄弟のように、男友達のように接してくれる。
俺をからかったり、諭したり……。
ヒロさんは、子供のように笑うんだ。
そして時間が経つと、俺を淑女に変身させる。
何処へ行くにも、レディとして扱ってくれる。
ホテルに入るときも、レストランに入る時も。
扉を開けてくれて、先に俺を歩かせるんだ。
絶対に、さっさと前を歩くような事はしない。
洗練された、紳士なんだ。
その時の俺は、まるでレッドカーペットの上を歩いているような気分になる。
ヒロさんは時々ふざけて、肘を折り曲げて俺の前に突き出してくる。
『お嬢様。腕をお貸しします』ってね。
そんなこと全部が、俺にとってワクワクする時間だった。
なのに……。何も、返せてない。
ヒロさん、本当に何も返させてくれないのか?
「ヒロさんの言う事は分かります。でも。俺、ヒロさんに直接恩返しがしたいんだ。頼むよ、何かさせてくださいよ」
そうだよ。でないと、俺の気持ちが収まらない。
俺は必死になって頼んだ。
ヒロさんは微笑んで、俺を見つめながら言った。
「じゃあ。一つ、私の願いを叶えてくれるかな?」
「はい! 俺、何でもします。それが、ヒロさんへのお礼になるんだったら」
ヒロさんの願いは__
『まひるの時間を一日だけ、私にくれないか?』
ヒロさんがお姉さん達に今日が最後だと言うと、凜さんが泣き出してしまった。
「いやよ。いやいや。ヒロさん、いやよぉ~!」
「凛。仕方ないじゃないか、分かっておくれ」
「いや。分かりたくない~。ヒロさんのバカぁ」
「そうよ。凛ちゃんだけじゃないわぁ。私達、皆ヒロさんに恋してたのよぉ。どうしてくれるのよぉ。」
「まいったなぁ。お~い、ママ。助けてくれよ」
「そんなの知りませんよ。いい男は、いい男なだけで罪なんだから。ちゃんと責任とりなさい」
「冷たいなぁ。ハハハハハ」
俺は、離れた席で凜さん達の様子を見ていた。
俺は思う。
あの日、ヒロさんの席に着かなかったら……。
多分、あんな楽しい時間はなかっただろう。
そして、こんなに切ない気持ちになる事もなかっただろう。
知らず知らすのうちに、俺はヒロさんを……。
いや、違う。親しくなった人との別れが辛くない奴なんていないんだ。
ただ、それだけなんだ。
そうだよな? 俺……。
しばらくして、ママが呼びにきた。
「まひる。ヒロさんのテーブルへ行ってちょうだい。凛ちゃん、お化粧直しさせるから」
「あ、はい。わかりました」
ママが凜さんを控え室に行かせるのと入れ替えに、俺はテーブルについた。
「丁度いい、頃合だな。これ以上お前が他の客といるのを見ていると、私は嫉妬の炎でヤケドをしそうだ」
「な、なに言ってるんですか。嫉妬なんて……」
「ハハハ。少しは本気にしてくれよ。変だなぁ、これでもモテる方だと思ってたんだが、まひるにはダメらしいなぁ」
「そ、そんなこと……。もう、怒りますよ。ヒロさん!」
「アハハ。じゃ、また連絡する。いいね?」
「はい。わかりました」
「あっ。車は待たせてあるから、帰りに使うといい」
「あ、いいです。大丈夫です。自分で帰れます」
「本当か? 今日の着替えは、寝間着じゃなかったのか?」
ゲッ! そうだった。
「ハハハハ。忘れてたな? 大丈夫だ。私を送って、引き返してきたら丁度いい時間になるはずだから」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
凜さんが戻ってきた。ピカピカになって……。
今日限りだと言わんばかりに、甘えている。
俺は、また別のテーブルに移動した。
だが、どこに移動してもヒロさんの視線を感じる。
俺もまた、肌でヒロさんを追いかけていた。
二日後、ヒロさんから電話が掛かってきた。
俺は、この電話を心待ちにしていた。
ちきしょう。ああ、認めるよ。
俺はヒロさんにはまっちまったよぉ。
あぁ、くそぉ。
「もしもし……。まひる?」
あぁ~。この声ぇ~。
渋すぎて……。胸がバクバクしている。
「はい。まひるです」
「出られるかな?」
「はい。今日は、ヒロさんのお気に入りの服を着て行きますね」
「いや、男でいいよ。」
「え、でも」
「まひるが、私の前で“女”になるのを楽しみたいんだよ。いつものように、お兄さんの服を借りてくればいい」
ゲッ、バレて~ら~。
「りょ~かいで~す」
ヒロさんと俺はいつものように、遊んだ。
そして、お決まりのファッションショーだ。
ヒロさんが、店の人に俺に合う服をチョイスして持ってこさせる。
もう何度目だろう。
俺も慣れたもので、ヒロさんの前でクルクル回ったりして……。
今日のドレスは“白”
いつものように、食事をして……。
ラウンジでカクテルを飲んで……。
友達のように、兄弟のように……。
恋人のように……、時間を過ごす。
これが最後なのか?
本当に……。
時間が経つにつれ、俺の胸の痛みが……。
苦しい。何か言わなきゃ……。
ありがとう? そんなんじゃない。
俺がヒロさんに言いたいのは……。
「まひる。後ろを向いてごらん」
俺はヒロさんの言う通りにした。
首筋に、冷たい物が……。ネックレス?
俺はそのまま肩を抱かれ、ヒロさんの胸に引き寄せられた……。
「これが最後のプレゼントだ」
その言葉に、俺の身体が震える……。
ヒロさんが、言葉を続ける。
「私はね、まひる。心は女なのに、女になりたがっているのに、その方法が見つけられない君を見ていて、もどかしくて悪戯をしたくなったのさ。だけど、悪戯を仕掛けているうちに……、私がまひるに恋をしてしまったんだよ。忘れていた胸のトキメキ、甘くせつない思い、君を追うの止められなかった」
「ヒロさん……」
「年甲斐もなく心がざわめき、若い頃のように胸が弾んだ。君は私に、恋する気持ちを思い出させてくれたんだ。まひるが好きで、たまらなくなってしまったんだよ」
振り向くと、ヒロさんの顔が近くにあった。
自然に重ねる唇と唇……。
甘く、切ない……そして、優しい大人のキス。
俺の身体が変わっていく……。
細胞レベルで……。いや、遺伝子レベルで……、組み替えられていく。
身体に纏わりついていた鎧が、ポロポロと崩れ落ちていくような感覚……。
唇がはなれ、ヒロさんを見上げると、
「まひる。やっと、女になったね」
「え……?」
「その顔が見たかった。せつなげに瞳を潤ませている、その顔がね」
「そんなのズルイです。自分だけ……。そんな顔を見たかったって、恋をしたって……。思い出したって……ヒロさんだけ……。ズルイです」
「そうかな? 正面からまひるを口説いたとして、果たして君は私を受け入れてくれたかな? その為には、どれくらい時間がかかる? もしかしたら、永遠に口をきいて貰えなくなる可能性だってあるんだよ」
「そ、それは……」
「まひる、君はノーマルだ。それは私にとって、とても残念だった。しかし、狙った獲物は逃さない。私はそのプライドに賭けて、色々と画策してきたのだよ」
俺の頬を、はらはらと涙が伝う。
「ありがとう、まひる。綺麗だよ、女におなり。まひるなら、ステキな女性にきっとなれるよ」
「ヒロさん……」
広く逞しい胸に、ギュっと抱き締められ……。
俺は、何も言えなかった。
ヒロさん……。
女として始めて好きになった人。
俺の恋が、ひとつ終わった。
明日、明後日。お休みします。ごめんなさい。




