37.夢の夢は、ただの夢。
『私の主人は、MTFなのよ』
俺の頭の中に、この言葉がグルグル回っている。
そんな……事って……。
俺はフツウに驚いていた。
言葉が出なかった。
MTF歴、数年の俺の選択肢の中に「結婚」という文字がなかったからだ。
できるのか? やれるのか? おい!
いやいや、赤フチの場合は結婚後のことだ。
俺の場合とは違う。
俺は、今の自分をちゃんと認識しているし……。
カミングアウトして、受け入れられてからでないと……。
もしくは、黙って……。
いやいや、それは相手を騙す事になってしまう。
もし黙っていた事が、後々相手にバレたら……。
それこそ人間関係まで破綻してしまう。
ムリだ。
もしその相手が晴華だったら……、俺は一生後悔することになるだろう。
やはり、この項目は俺の選択肢から外しておこう。
確かに、赤フチの話は衝撃的だった。
こんな俺にも、微かな可能性が見えたと思えたくらいだ。
が、今やその可能性は完全に閉ざされてしまった。
病院を後にした俺は、バイトに向かうべく地下鉄に乗った。
何を考えるでなく……ただ、ボーっと窓の外の暗闇を眺める。
でも、頭の中には「結婚」の二文字が浮かんだり、消えたり……。
はぁ~。何、重くなってんの? 俺は。
バッカじゃねぇの?
あ~。もう、あっちへ行け!
ブンブンと頭を振って、俺の脳を占領している二文字を弾き飛ばした。
何気なく車両の中を見渡す。
自然に子供連れに目がいく……。
子供ねぇ……。
たとえ女になっても、子供を生めない身体……。
最近、結婚はしなくていいけど子供は欲しい。
って言う女性が増えていると聞いた。
何でだろ? それが、母性本能っていうものなのか?
俺なんかには、ないのかな?
子供は嫌いではない。
可愛いと思うが、自分の子供なんて……。考えた事もない。
結婚さえ考えていないのだから、当たり前と言えば当たり前だな。
想像したこともないや。
ましてや、俺自身の状況が変わってしまった今。
もはや考える必要もなくなった。
『加州雄に関してはねぇ……』
父ちゃんと母ちゃんには、兄貴や麻由に期待して貰うしかない。
と、いうのが結論だ。
あ~! ゴチャゴチャと色々考えてしまった。
バイトに入る前に疲れてしまいそうだ。
スゥーッ、ハァー。深呼吸……。
あっ!! 晴華だ!
俺は、車両の端に晴華の姿を見つけた。
沈みかけた船が、今にも空を飛びそうな勢いで浮上したかのように、俺の心臓が跳ね上がる。
あぁ、晴華。
お前は、俺の心の暗闇を照らす一筋の光だぁ!
ふむ。この路線ってことは、学校の帰りだなぁ。
俺に気がつくかなぁ?
今日の俺は女装。晴華はきっと、
「あっ、まひる!」って、呼んでくれるだろう。
さりげなく……。ジリジリと……。
少しずつ、近づいて……。ククククク。
真後ろに行くまでに気がつかなかったら、「お仕置きだべぇ~!」
俺は内心、ワクワクしながら晴華の方へ近づいていく。
途中、子供と目が合った。3歳くらいの女の子だ。
俺の方を、じっと見ている。
「大丈夫。変な人じゃないから、おとなしく向こうを向いてなさい」
俺は心の中で、そっと語りかけた。
すると……。
彼女はプイっと俺から顔を背け、彼女の母親らしき人物にしがみついた。
俺には、子供と心を通わす才能があるのかも知れない。
教育の職にでも就いてみようか? などと考えてみる。
うん。案外、いけるかも知れないぞ。
それにしても、まだ気づかないのかぁ? あと……2mもないぞぉ。
ん? 晴華……?
誰と話してるんだ? そいつは誰なんだ?
晴華はガッシリとした体つきの、友達らしき男と楽しそうに話していた。
おい! 晴華! 俺を見ろよ。ここにいるんだよ。
俺を見つけろよ。気づかないのかよぉ。
心臓がドクドクと音を立てているのが聞こえる。
え? 何してんだ? 俺。
何で、声かけないんだよぉ。
「晴華ちゃ~ん!」って、声かけたら晴華が振り向いて……。
「あっ。カズ……」って、言いかけたらウィンクして……。
人差し指を唇に立てて「シッ」って……。
すると、晴華が「ま、まひるちゃん」って、ニコッって笑うんだ。
一緒にいる奴が、きっと俺の事を誰かと訊ねるだろう。
晴華は「友達なの」と俺を紹介して、俺に奴のことを紹介して……。
俺は、ゲイバー“美無麗”の宣伝をして……。顧客をゲットするんだ。
でもって、後で晴華に電話して……。
「アイツは誰なんだぁ? 浮気してんじゃないぞ!」
なんて言って、晴華を弄ると……。
「やだ~。そんなんじゃないわよぉ」って、晴華が言ってくれるんだ。
それでいいじゃないか。そうなる筈なんだから、声をかけろよ俺。
早く! 声をかけるんだ!
だけど、なぜか身体が動かなかった。
見たくないもの、見てはいけないものを見てしまったような気がする。
そうなんだ。これが、現実なんだ。
突然、そんなことを考えてしまった。
きっと、赤フチの話のせいだろう……。
俺は、そっと晴華から離れた。
少しでも遠くに離れたかった……。
何やってんだよ。自爆してんじゃねぇって!
でも気持ちとは裏腹に、身体は晴華からドンドン遠ざかっていく……。
足が勝手に……。
晴華とは、反対方向に向かって動いてしまう。
『あら? まひる? ねぇ。まひるじゃないの?』
晴華の声が聞こえたような気がしたが、俺は振り向かずに電車を降りた。
『おはようございま~す』
控え室で化粧直しをしているママに声をかける。
『おはよう! あら。カズオちゃん、今日は元気ね。何かいいことあったぁ?』
『え? そうですか? いつもと変わんないですけど?』
『そう? でもまぁ、元気が一番よ。今日もよろしくね』
『はい! 頑張ります』
俺も化粧直しとくかぁ。
鏡の前に座り、グロスを取り出すと
『お! カズオぉ~。おっは~』
長尾が、出勤してきた。
『よ! ちょうどいい。背中のファスナー上げてくれ』
俺は、長尾に背を向けた。
『はいはい。お姫様』
『何言ってんだよ。ってか、店では「まひる」って呼べよ。ママが聞いてたら、また怒られるぞ』
『そうだな。ヤバイ、ヤバイ。まひる様っと。はいよ、これでいいか?』
『おお、サンキュ。そうだ、喉渇いたんだけど何か飲み物あるか?』
『麦茶でいいか? もって来てやるよ』
相変わらず気の利くヤツだ。
『まぁ、長尾ちゃ~ん。ありがと♡ えらいわねぇ』
ウィンク~♡
『へっ! お前にウィンクされても嬉しくねぇよ!』
『なんだとぉ! まひる様のウィンクを有り難くないだとぉ!』
『もう! 何やってんの! お店に丸聞こえよ! お客がいたらどうすんの?』
ママが控え室の扉を開けて叫ぶ。
いやいや。ママの声も、たいがいですって。
『『ごめんなさ~い……』』
『お前のせいだからな……』
長尾が俺のわき腹を小突いた。
『他人のせいにすんなよ……』
『あれ? カズオ。何かいいことあったのか? 今日は顔色がいいなぁ』
ママと同じ事を……。
『そ、そうか? 今日は……。ああ、麻由と彩に化粧の仕方を教えたんだ』
『あ、彩ちゃん?』
『そうだ。彩だ』
『ど、どこで?』
『どこって、俺んちだよ』
『お前の家に、彩ちゃんが? ん、なんで誘ってくれなかったんだよ~!』
『知らねぇよ。勝手に来てたんだから』
『チキショー! いいなぁ! 俺も会いたかったなぁ~』
その時、また扉が激しい音を立てて開いた。
『いい加減になさい、二人共! ここは仕事場よ! 遊ぶんだったら、よそへいきなさい!』
『『はぁ~い!』』
俺と長尾はお互い顔を見合わせ、舌を出した。
長尾とはしゃいでいる事で……。
そうすることで、地下鉄の出来事を思い出さずにいられた。
1mmも、思い出したくなかった。
私はまひる。
夜の帳が降りた時、私の舞台が始まる。
さぁ、始めましょう。
今夜あなたが見たい夢はどんな夢?
夢でよかったら夢魔法をかけてあげる。
どんな夢でも叶えてあげる。
ただの夢でよかったら……。




