34.麻由と彩。
ある日、家に帰ってきたら。家の前の電柱に人陰を見つけた。
誰かいる?
私は電柱に回りこんで確認した。
『麻由! どうしたの? こんなとこで……』
私は驚いた。麻由ちゃんに会うのは久しぶり、小さい頃はいつも一緒にいたなぁ。
私と麻由と加州雄……。
『家に入りなよ。お母さんいなかった?』
『ううん。おばちゃんが、彩ちゃんはまだって言ったからここで待ってたの』
『家の中で待てばいいのに』
『……』
『どうしたの?』
ずっと一緒にいたからか、私は彼女を妹のように思っている。
でも、こうやって会いにきてくれるのはホント久しぶり。もう高校生かぁ。嬉しいなぁ。
麻由は私より少しだけ背が高い。
大きくなったよなぁ。
私は、麻由の頭をポンと軽く叩いて、
『何かあった? 入ろ。私の部屋にくればいい』
『う…ん』
麻由は私の誘いに小さく頷いたけど、動こうとしなかった。
私は彼女の手をとって玄関の扉を開けた。
『ただいまぁ』
『おかえりぃ。さっき、麻由ちゃんが来て……。あら……』
母が奥から出てきながら、私達を見て立ち止まった。
『うん。外にいた』
『だから、中で待ってれば? って、言ったのに。もうすぐ帰って来るからって』
『そうなんだ。まぁゆ。私の部屋へ行こ』
私は、母に「何かある? ジュースか何かお願い」と言って、彼女を連れて部屋へ入った。
暫くすると、母が飲み物とお菓子を持ってきてくれた。
麻由は私のベッドに腰掛け下を向いたまま
『ありがとう。おばちゃん』
と言ったきり黙ってしまった。
母と私は顔を見合わせ首を傾げたが、母は何も言わず部屋から出て行った。
『どうした? ジュース飲みなよ』
『……』
自分から話すまで、そっとしておこうと思い。とりあえず私は、服を着替えた。
『彩ちゃん。私、どうしたらいいか……』
『何がぁ?』
『……』
『麻ぁ由。どうしたらいいのか分からないの? それとも、迷ってるの?』
『……。分からないの』
『そっかぁ。分からないのかぁ』
『う……ん』
『全然、答えがないの? それとも、「多分、こうした方がいいかもしれない……。でも、できない」もしくは……。「できるかどうか、分からない」どっち?』
『……。こうした方がいいかもしれない。でも……できるかどうか分からない』
う~ん。一応、答えは持っているのね。
『あのさ。私の経験上でしかないけど。「こうした方がいいかもしれない」って思ってるって事はできる事だよ。だって、できない事とか、やらないって思ってる事は頭に浮かばないもの』
『……』
『じゃあ、次は私から質問ね?』
そう言うと麻由は俯きながらも、頷いた。
『それは、誰の為? 自分の為?』
『……。カズ兄……』
『加州雄ぉ?』
え? 加州雄? 何で? 何で加州雄の事でこの子が悩んでるの?
私はてっきり、友達か彼氏かってぐらいに思ってたのに……。
『彩ちゃ~ん! あ~ん。私、私……』
彼女は声を上げて泣き出した。
え~? 何があったのぉ? 兄弟喧嘩ではないようだけど……。
私は思わず、彼女の傍により肩を抱いた。
『麻由……』
『あのね……。あのね、カズ兄……。病気なの』
『えっ?』
加州雄が病気? 何の? 妹がこんなに泣く病気って……。
『カズ兄はね……。身体は男だけど、心は女の子なの……』
『え……』
性同一性障害__。
まさか……。加州雄が……。
『そ、そんな……』
『この間、家族会議があって……。母さんが話してくれた。私、カズ兄が可哀そうで……。私は大丈夫だよって。友達に何か言われても、カズ兄の方が大事だよって。言ったの……。これから、女の子の名前に変えても「カズ兄」って呼ばせてってお願いしたの。カズ兄は「いいよ」って。でも、カズ兄が……。ずっと、お兄ちゃんだったのに……。ずっと、男の人だったのに……。これから、どんどん女の人になっていくのを……。私……、普通に見れていくのかな……? って。私、変な顔とかしたらどうしようって。そんなのをカズ兄が気づいたら、傷つくかもしれないって思ったら……。上手く……できないかもって。……私、まだ分からない。カズ兄が女の人になっちゃうなんて、分からない』
……。
しばらく、何も考えられなかった。
加州雄が……。
あぁ、でも今は目の前にいる。この子の不安を取り除いてあげなければ……。
私の事は後回しだ。
でも、どうやって……。ああ、言葉が出てこない……。
私だって、分からない。
加州雄が、女?
加州雄は……。そう、女々しいと思ってた。ずっと……。
「男のくせに」……って、腹が立つくらい弱々しくて、加州雄の顔を見るとイライラしてた。
私の母がいつも「彩も加州雄ちゃんくらい大人しい子だったらねぇ」って言う度、男の子っぽく振舞った。
言葉使いや、仕草や……加州雄の反対の事をしてきた。
だって、アイツは優しくて、良く気がついて、可愛くて、色が白くて、手が綺麗で、絵がうまくて、いつもニコニコしてる。うちのお母さんにも「加州雄ちゃんは女の子みたいね。可愛いわ」って、可愛がられていて……。
羨ましかった。
そのくせ、「彩ちゃん。彩ちゃん、これ教えて」って、私を追いかけてきては、私を頼るの。
その度に「男のくせに!」って、腹が立って苛めたくなる。
ひな祭りの振袖だって、楽しみにしてたのに……。
お母さん達がふざけて加州雄に着せて……。私よりも先に着せて
「まぁ! なんて可愛いのぉ。良く似合うわぁ。まるで加州雄ちゃんの為に作ったみたい」
って、うちのお母さんが嬉しそうな顔するから私は着なかった。
あの振袖は……、一度も着たことがない。
加州雄は、私の女の子としてのプライドを尽く潰してきた奴……。なんだ。
……女の子だったんだ。いつから?
きっと、ずっと……。
私が苛めてきたときから、ずっと……。
心は女の子なのに、私は「男のくせに」って苛め続けていた。
中学の時、ヘヤピン男って言われてた。
馬鹿じゃないの! って、腹が立って、情けなくて顔を見るのも嫌だった。
その時、晴華だけが
「吉村くんって、きっと優しい子だよ」って言ってた。
「ふん! あんな女々しい奴。ただの変態じゃん」
「そうかなぁ? かわいいじゃない」
って。
私の周りの人達は皆、加州雄を可愛いって褒める。晴華まで……。
私は意地になって、お洒落するのに必死だった。
加州雄に負けたくなかったから。
高校が別々になって、私の心は落ち着いてきたのに……。
再会したアイツは、更に綺麗になって現れたの。
もう、お手上げ……。
もういい、加州雄の事は……降参よ。
晴華は、加州雄をずっと思ってきた。中学からずっと、好きだったの。
信じられない。
私と加州雄の距離が近すぎたから、アイツのいいとこが見えなかったんだ。
って思うことにした。
アイツは女の子だったんだ。
男だと言われ続け、心に違和感を持ちながら男として生きてきた。
その片棒を私も担いでいた訳よね?
だって、知らなかったんだもの。仕方ないじゃない。
私は、自分に置き換えてみた。
女なのに、男と言われ続ける事って……。
ムリ……。嫌だ、私なら。とっくに泣き出していただろう。
想像でしかないけど……。きっと、加州雄の辛さの何万分の一しか感じていないだろう違和感……は、私が加州雄にしてきた事を後悔させるには十分の感覚だった。
『麻由ちゃん。今は、あなたにアドバイスできない。ごめんなさい。私も今、驚いているから……。そして、お願いがあるの。いいかな?』
『お願い……?』
麻由は顔を上げて、首を傾げた。
『うん……。お願い』
『なぁに?』
『私だって、麻由ほどではないけど。これからの加州雄と関わっていく上では、今のあなたと同じ気持ちだと思うの。だから、麻由が「分からない」って言うのが分かる。だから、私も今は、わからない。ってしか言いようがないの』
私がそう言うと
『う……ん。そうだよね』
と、少し残念そうな顔をして、私を見ている。
私に話した事を、後悔しているような……。
『ありがとう。……だから、これから一緒に考えていかない? 病気の事を色々調べて、お兄ちゃんの心の変化とか、身体の変化とか、治療方法とか……。そこから、お兄ちゃんが置かれている立場を少しは計れるかもしれない。少しは理解できるかもしれない。難しいと思う、そんなに簡単な事じゃないと思う。でも、私達はそこから始めてみない?』
『その後は?』
『その後? その後は見守るの。その後は彼の人生なんだから、見守るしかないじゃない?』
『そうだね。カズ兄の人生だもんね』
『そうよ。麻由、私と一緒にやってくれる?』
『うん! やる。私、カズ兄の事。知りたいもん』
『うん。私も知りたい』
麻由は笑顔で帰っていった。
いい子だなぁ。あんなに泣いて……。
加州雄。アンタはいつも私を羨ましがらせる。
ほんっとに、腹が立つわ。
晴華……。
まだ、知らないよね。
加州雄……。言えないよね。
辛かったね……。加州雄……。
もう! 馬鹿カズ。
いつまで、手を焼かせんのよ!
そして、私は考える。私のできる事を……。
「彩ちゃん。彩ちゃん、これ教えて」




