29.終わりじゃない、始まりなんだ。
家族会議は終結した__。
麻由の、『私は、カズ兄の方が大事』の言葉に、皆が頷いた。
俺は本当に嬉しかった。
今までの張り詰めていた心が溶けていくようだった。
母ちゃんに命令されて必死で搾り出した涙じゃなく、本当の涙が俺の頬を伝い……。
涙って、温かいものだと初めて知った。
俺は心底嬉しかったんだ。可愛い妹……麻由。
本当に、ありがとう。
家族会議が解散になって、俺たちは各自それぞれの部屋へ戻っていく。
その途中、兄貴が
『なぁ。俺の所為じゃないよな?』
って、急に言い出した。
『違うよ。誰の所為でもないよ。おれの所為でも、ましてや兄貴の所為でもないよ』
ったく。父ちゃんが余計な事言うからだ。
俺は、兄貴のお陰って思ってるのになぁ。
『俺、思い出したんだけどさ。お前自分の事、“かずちゃん”って言ってたの覚えてないか?』
は? 何の話だ?
『え? ……いつ頃だ? ……覚えてねぇ』
『俺、男のくせにって……。俺って言えって言ったんだ。お前泣きながら、“俺”って言ったよ。それから一回も間違ってない』
『そっか……。そんな事あったんだ』
『そうだよ。今思えば、嫌だったんだろうな』
マジで覚えてない。ってか、俺が“俺”って自分で言ってると思ってた。
『なぁ……』
『何だよ』
『……あのさ』
『うん?』
『俺からも頼みがあるんだけどよ』
『頼み?』
何で、皆が俺に頼むんだ?
麻由の“お願い”は、可愛かったなぁ♡
『ああ……』
『なんだよ! はっきり言えよ! 鬱陶しいなぁ!』
『あぁ。あ、あの。お前さ、妹になるんだよな?』
あ、コイツ話題変えた……。
『それは、兄貴の……受け取り方っていうか。兄貴次第じゃないのか?』
『俺?』
『だろ? 明日から妹って、言えるか?』
『……無理』
『だろ? 麻由も言ってたじゃんか。序々に……って』
『そうだよな……。もしかしたら、慣れないかもしんない……俺』
『……いいんじゃないの。俺は、一応……今まで男だった訳だから兄貴や、父ちゃんの事は微妙だった。もし、兄貴が俺みたいになってしまったら俺はどう思うんだろうって、何回も考えたさ。父ちゃんがどう思うだろって……。ま、父ちゃんは想像通りだったけどね。母ちゃんは……。信じるしかなかったな、期待も含めて。“母親”だからって……。麻由は、未知だった。けど、あんなにしっかりしたんだなって思った。いつのまにって……。俺、兄貴が俺みたいだったら同じ事言ってたかもしんね』
『そっか。けど、麻由には驚いたな。アイツ、適応力あるなぁって思った。それに比べて俺は……。ダメだわ』
そんなことないって。
だけど、兄貴とこんなに話するのって、いつからぶりだろう?
『急がなくていいよ。俺は、俺だ。何も変わらないって』
『なぁ。変な事聞くけど……今、どんな気分だ?』
だよなぁ。
逆の立場だったら、俺も聞くかも知れない。
『どんなって、別に普通さ。……じゃないな。やっぱ、麻由の言葉は沁みたね~。女になるって言うより、女に戻っていいんだ。みたいな』
『う~ん。分からんけど、良かったって事か』
『そうだ。よかったって事だ』
そうだ、良かった。
今、俺の気持ちは晴々してる……?。
『けどよ。あれだけは、勘弁してくれよな』
『何かしたか? 俺』
『いや~。麻由がよくするだろぉ?』
『……』
ん? 何が言いたいんだ?
『まぁ~く~ん、とかいって腕にしがみついてくるやつ……』
『ああ……。それが?』
『お前、あれ……俺に、すんなよな』
『するかっ!!』
馬鹿兄貴が! 何考えてんだ!
俺は扉を乱暴に閉めながら、部屋に入った。
はぁ~。疲れたぁ~。
ベッドの上に身体を投げ出して、大きく息を吐いた。
“カズ兄の方が大事だ”
また、泣きそうになってしまう。
嬉しい言葉って、何回も何回も思い出してしまうんだな。
あっ、嫌な言葉も思い出すか……。ま、心に残ったってことだな。
一応、家族にカミングアウトするって目的は果たした。
なのに、何故か気が晴れない……。
なんで?
母ちゃんの母性を感じ。爺ちゃん婆ちゃんの優しさを目の当たりにし、妹の心の広さに感激し……。父ちゃんの歯痒さを痛感し、兄貴の懺悔を聞いた。
うん。いい家族だ。この家族で良かった。
何故か落ち着かない……。
カミングアウトしたら、世界が薔薇色になると思ってた。
身体が喜びで一杯になって飛んでいってしまうんじゃないかって、期待してた。
だって、自分を自分って言える世界を手に入れる事が出来るんだから、自由になれるって思うのは当然の事じゃないか?
なのに、何で俺は落ち込んでるんだ? いや、落ち込んではいない。
それに、似たような……?
家族のバトルを見て疲れたか? いや、慣れてる。
ウソ泣きして、後ろめたいか? そんな事は平気だ。上手くやったと思ってるくらいだ。
兄貴の頼み事が、バカバカし過ぎたか? ああ。残念だったね、兄弟として。
『あ~っ! 何なんだよぉ! 俺は、どうしちゃったんだよぉ!』
何か、ムカついてきた。自分にだぞ。
あんなけ家族を騒がしておいて、何も得る物なかった感にムカついてきた。
ったく~。俺が望んだんじゃないのかよぉ。くっそぉ!
俺はじっとしていられなくなって、ベッドから起き上がり部屋を出た。
階段を下りて台所に向かう。
お茶でも飲むか……。
冷蔵庫を開けてペットボトルに手を掛けた時、隣の部屋から話声が聞こえてくる。
『……』
『……だろ』
父ちゃんと母ちゃんだ。
俺は、息を潜め……。耳を傾けた。
『もう、仕方ないじゃないのぉ。私らの子なんだから』
『わかってるよ。俺の子だぁな』
父ちゃん……。
『だけどよぉ。神様も何て情け知らずな事すんだよなぁ』
『何映画のセリフみたいな事言ってるのよ。アンタ』
『そう、思わねぇか? これから先……アイツはどうやっていくかと思うと……』
『そうだねぇ。見当もつかないねぇ』
『結婚して、子供作って……俺たちは孫の顔見て……ってことできないんだろ?』
『あの子に関してはそうなるんだろうねぇ。……可哀想に』
『まぁ、生きていれば何とかなるわさ。な?』
『そうね、何とかなるよね』
母ちゃん……。
俺は、冷蔵庫の扉をそっと閉めて部屋へ戻った。
原因が分かった。
俺のこのスッキリしない原因が……。
不安だ。
カミングアウトが終わりじゃないんだ。
始まりなんだ。
今から何が起きるか分からない不安が、俺の本能を揺さぶっていたんだ。
今まで、男として生きてきた。男のフリをしてきたと主張した。
そして女になっていいと、女に戻っていいと……。
だけど、女として生きてきた事はない。
女でいた事はなかったんだ。
女のフリをしてきていたんだ。
俺は本当の自分で生きてきたことがない事に……
今、気づいた__。




