24.赤縁メガネの女医
学内に貼られた俺の写真に群がっている人だかりに背を向け逃げた俺は……その後更に二日間、大学に行く気になれなかった。
レポートの為の資料は長尾が届けてくれたので、作業を進める事はできた。
だがいつまでも、ぐずぐず言ってられる筈もなく……。
学内に足を踏み入れた途端人だかりができるという騒がしい日が、何日か続いた。
目立ちたくなかった俺が、あれだけの事をしたのだ。
コレも、俺の責任だ。俺の選択だ。
人だかりの中には、あの時世話になった進行係の顔もあった。
しきりに、俺に手を振ってくれていた。
だからぁ~、惚れるなって。
だが、別に俺が人気者になった訳でも何でもない。
ただの一過性に過ぎない。
本当の俺への認識はこれから始まるんだ。
女装だけだったのか、本物のオカマなのか、変態か、病気か、ゲイか、ノーマルか……。
はっ。勝手に言ってろ。俺は今忙しい。
病院へは電話してみたが、予約の前倒しは無理だと言われた。
別に慌てる必要はなかったんだ。気がついたら2週間が経っていたんだから。
ハハハ、今思えば焦ってたのかもしれない。
焦ってたって言うより、不安だな。
自分が何者であるのか分からない不安。
分からないから不安ってのも何だかな?
分からなかったら不安も何もある筈ないんだもんな。
勝手に自分で何かの解釈をつけて、勝手に不安になっているだけの事だ。
それは、多分悪い結果への恐れだと思う。
俺の場合……良いとか悪い、云々かんぬんなどは関係ない。
不明確だったものが明確になるだけの事。
明確になる事によって、何が起きるか?
う~ん。
やっぱ、まず自分が受け止められるかだな。
それから、周りへの影響。
家族とか……勿論、晴華のこともだ。
だが、実際、病院に行ってみないと分からない事が多い。…
そんな事に不安がっていたり、焦っていたりするエネルギーが勿体ないと思った時……。
時間が、当たり前に過ぎていたんだ。
この二週間大学を避けていたから、かなり時間を持て余していた。
晴華とデートもした。
お決まりの麻雀ゲームだけどな。
ネットカフェで麻雀のプロ試験の過去問に挑戦したりした。
最初は、へ~って感じだったんだけど。
晴華がどんどん正解を弾き出すもんだから、意地になってさ。
燃えたね~。めちゃくちゃ楽しかった。
俺は、上がりの計算は得意だったんだが、どうも多面待ちには弱かったねぇ。
5段で頭打ちしたのはこの所為か? なんて思ったくらいだ。
晴華は凄かったぞ。
正解を出すのが早いんだ。頭の回転が速いんだなぁ。
正直、悔しかった。チェッ。
僅かな時間が、静かに流れた__。
遂に、赤縁眼鏡の女医に会う日がやって来た。
『吉村さ~ん。吉村加州雄さん』
『はい!』
『お入り下さい』
俺は看護師の案内で、診察室に入った。
女医は、前回と同じ体勢でPCに何か打ち込んでいた。
俺が、女医の傍にある椅子に座ると、ニパっと笑ってこっちを見た。
そして、
『おひさ~。来たね~、吉村さん。調子どう? あの日、疼かなかった? どう?』
軽っ!
え? こんなん? 女医って、こんなん?
……な、筈ないよな。
『はい。痛みは……無いに等しいくらいです』
『う~ん。やっぱ、若い子は早いね~。吉村君は、国語より算数が好きかな?』
『へ? あ、あぁ。そうですね、国語は苦手です』
『そっか~。苦手かぁ~。安達さ~ん、お湯持ってきて~ギブス外すから~』
何の質問だ? 算数? 数学じゃなかったな……。
『お風呂、入ったね?』
『あ、はい。入りました。シャワーを……』
『痛くならなかった?』
『はい。5日目くらいから、痛みはマシでした。っていうか、痛みを感じることなかったです』
『早いね~。5日かぁ~。安達さん、湿布だけしといて。』
女医は俺の手を乱暴にユサユサしながら、看護師の安達さんに指示を出した。
『吉村君は、何で国語が苦手なの?』
『え? 何でかなぁ~。多分、答えが複数だから……?』
『何故、複数だと思う?』
何でだろう? 何気にそう感じているだけだ。
例えば、俺はこの花は綺麗だ。と言う。人は、赤くて綺麗だと言う。違う人は、形が綺麗だと言う。また、違う人は佇まいが綺麗だと言う。
ただ、綺麗でいいじゃないか?
これが、俺が国語を苦手とする要因だ。う~ん、面倒臭いんだな。
だけど、算数の場合。答えは一つだ。1+1=2。
もっと複雑なものでも答えは一つだ。
で、それが?
『これ。このアンケートに答えて……明後日、来れる? 今日と同じ時間。いい?』
俺は、唐突に3枚の紙を渡された。
GID……? あっ。
『怒った? でも、反応したって事は……理解してるってことでいい?』
『は、はい』
『ごめんなさい。すっごく失礼な事したわ。試したの。医師として、絶対こんな事は有り得ない事なの。訴えてくれてもいいわ。私がこんな事するなんて……、こんな事させるぐらい、吉村君。あなた、綺麗よ』
『え? な、何を……』
『遺伝子の検査。まだよね?』
『は、はい。ってか……』
『何もかも未知なのね?』
『はい……』
『わかったわ。で、どうする? 明後日、来れる? 来る?』
『来ます! 絶対、来ます!』
『じゃ、待ってるわ。はい、安達さ~ん。次~!』
俺は呆気に取られていた。
でも、何だか暗号のような会話にワクワクした。
要は、DIG(性同一性障害)の検査を受けた事があるか? 受ける気があるか? 俺が綺麗過ぎるから(女医の言葉を借りただけだよ……♡)クラインフェルターの可能性があるかもってことだ。
で、その検査を受ける意思があるか? あるなら明後日、来ないか? って会話だったんだ。
誰だぁ? アイツ。あの女医。
“それほど、アンタ綺麗なのよ”
“私の目に狂いはなかったわ”
どうも、俺の周りには目利きが多いようだ。ママといい、女医といい。
そして、信頼できそうな人達……。
よし! 俺の勘は間違ってなかった。赤い縁の眼鏡。
そして、俺はアンケートを見て驚いた。
“#2 小学生 ランドセルの色( )”
と、書いてある。
その項目を見た途端。突然、胸が……詰まった。
『あ……』
そして、実感した。これからなんだ。
やっと、始まるんだ。
さあ! 始めようか。俺の人生。




