146.徘徊。
「お疲れ様ぁ~」
「お疲れ様ですぅ」
ふぅ、今日はなんだか疲れたなぁ。
ややこしいお客もいなかったし、ボトルもすんなり降りたし楽な感じだったのに……。
はぁ、早く帰って明日の小テストの準備しなくちゃ……。
ん?
ロッカーから携帯を取り出し画面を見ると真っ暗だった。
カチカチ……。
「あちゃ~、充電切れてるぅ! 電源まで落ちてるしぃ」
なんで?
充電なかったかなぁ?
「充電器持ってないのぉ?」
「持ってませ~ん。凛さん持ってます?」
「持ってるよ。ホイ」
「あ、iPhone……」
「え? じゃなかったの?」
「Android……」
「誰かぁ~、Androidの充電器持ってなぁい?」
し~ん。
なんでだよ!
「あ、いいです、いいです。もう帰るだけですから」
でも、おっかしいなぁ。
電源落ちるくらい充電……減ってたかしら?
店出る時、柳にメールしようと思ってたのに……。
ま、帰ってから電話するか。
このあいだ朔也と一緒に家を出ると柳に伝えた。
なんでそうなったかの流れも併せて……。
柳ったら、最初笑ってたくせに家を出る決心がついたと言ったら、あんまり良い顔しなかった。
なんでだろ?
私は1人暮らし(コブつきだけど)にワクワクが抑えられないって感じなのに……ったく、水をささないで欲しいわ。
まだ住むところは決まってないけど……。
それにしても、何で柳の承諾を得なきゃなんないの? って思うけど、一応……ま、気不味くはなりたくないし……。
「お疲れ様~」
「お疲れ~」
「バイバ~イ」
バッグから携帯を取り出しもう一度電源を入れてみるが、ウンともスンとも言わない。
やっぱダメか……。しかたない、早く帰ろっと。
携帯をバッグに戻し頭を上げると、前方から小さな人影がゆっくり近づいてくるのが見えた。
その人影は身体を左右に振りながら、ヒタヒタと足を引きずるように歩いている。
ホームレス? ちょっとぉ、キモイんですけど~。
その疲れた足取りは、今にも膝をついてもおかしくないぐらいフラフラで……。
子供じゃないみたいだし……。
ヒッ!?
何気なく人影に目をやりながらすれ違った瞬間、私はゾッとした……。
「婆ちゃん!!」
その人影は、疲れ切ってボロボロになった婆ちゃんだった。
足元を見ると、なぜかトイレのスリッパらしきものを履いている……。
いったい……どんなけ歩いたの? スリッパの裏がボロボロで……裸足同然じゃないの!
「婆ちゃん! 何やってんの! こんなとこまで……どうやって来た……」
ま、まさか……ずっと歩いて……。うそ……。
家からここまでじゃ……私の足でも3時間弱は掛かる。
だが、それはあくまでもこの場所を目指して歩いてのはなしで……。
いつ、何時に家を出たの? どっちに向いて歩きだしたの?
徘徊……。
私の頭に浮かんだ言葉は……想像を絶する結果となって、突然目の前に現れた。
きっと婆ちゃんは、私が考える以上の距離を歩いてきたに違いない。
「あ、あ……ちょっと、お姉ちゃん栗栖町は……どう行ったらいいんかなぁ」
「あ、あ、あ……」
その言葉に何とも言えない悲しみが私を襲い、昔に皆で家族麻雀を打ってたときや運動会応援に来てくれたときや、いろんな場面でのばあちゃんの笑顔が瞬時に走馬灯の様に頭に浮かんだ。
それだけに今の婆ちゃんが私の知っている……、こうあって欲しいと思う婆ちゃんでないことが……。
「婆……ちゃん……。あぁ……婆ちゃん……。うっ……うっ……うぇ……えっ、えっ……」
思わず婆ちゃんに抱きついた私は、声を上げて泣いた。
疲れた顔をした婆ちゃんはそれでも、泣いている私を慰めようと背中をトントンと優しく叩いている。
「どうした? どっか痛いか? ここか? ここか?」
「えっ……えっ……えっ……。婆……ちゃん」
私は婆ちゃんを背負いタクシーを拾うと、急いで家に帰った。
家の前に着くと、警官が2人玄関から出来るのが見える。
その一人が私に気づいて声を上げた。
「あっ! 見つかりましたか!」
「え?」
すると、中から父ちゃんと母ちゃんが裸足で飛び出してきた。
「母ちゃん!!」
「お義母さん!!」
私に背負われた婆ちゃんに駆け寄り涙ぐむ母ちゃんの顔がやつれている。
父ちゃんは、私の背からまるで剥ぎ取るように婆ちゃんを抱えると、ヒョイとお姫様抱っこして家の中に入って行った。
「では、我々はこれで……」
そう言いながら敬礼をした警官が、母ちゃんと私に向かって交互に腰を折った。
「あ、どうもすみません……。ご迷惑をおかけしました」
「いえ、大事にならなくて良かったです。今後はご家族でよく話し合ってください」
「あ、はい。わかりました……。」
「では……」
警官は帽子のツバの先を摘まみ、ちょっと首を傾げて微笑んだ。
私はお愛想程度に2人を見送ると急いで家に入った。
玄関ので靴を脱いでいると、ふと父ちゃんの腕に抱かれた婆ちゃんの横顔が浮かんだ。
異様なくらい真っ白で……、目を閉じているにもかかわらず相当な疲労が覗える。
ハッ、婆ちゃん!
一瞬、まるで赤ん坊のように父ちゃんの腕の中にスッポリと小さく収まって眠ってしまった婆ちゃんが、もうその目を開かないんじゃないという恐怖に襲われた。
バカな……。
拳を強く握りしめ脊髄を痺れさせる恐怖を振り払い、私は家族の元に急いだ。
「おい! 医師呼べ!」
「わかった!」
父ちゃんがそう言うと、麻由が駆け出した。
母ちゃんは数枚のタオルを入れた鍋にお湯を沸かしながら、濡れたタオルを電子レンジでチンしていた。
朔也が敷布団のシーツを必死で伸ばしている。
レンジで温まったタオルを持って、母ちゃんが婆ちゃんの両足を包んだ。
「もう……お義母さんたら……こんなに……」
母ちゃんは血が滲んだ靴下をそろりそろりと脱がせながら涙を浮かべていくる。
靴下から現れた足は腫れあがり、とても痛々しく胸が詰まった。
朔也が伸ばしたシーツに横たわった婆ちゃんに駆け寄ると、父ちゃんが言った。
「カズオ。お前、医師迎えに行って来い」
「分かった! 戸崎医院だよな?」
そう言って立ち上がろうとすると、突然兄貴が私の肩をグッと押さえた。
「ダメだ! 俺が行くよ。コイツ酒飲んでるだろ?」
「兄貴……」
忘れてた……。
ってか、酔いなんか醒めてるって!
でも、身体の中に残っているアルコールが減っている訳じゃあない……。
「あ……ごめん……。兄貴、頼むわ……」
「……馬鹿か」
そう言って、身体を翻した兄貴が妙にカッコ良くて……自分にムカついた。
「熱ッ! アチッ!」
「ったく、馬鹿だね! 箸で摘まんで……こうやって……絞るんだよぉ」
グツグツと鍋で煮詰められていたタオルと引き上げ、絞ろうと奮闘していたら母ちゃんが呆れた顔した。
母ちゃんはグツグツに煮立ったタオルを箸で摘まむと、ちょっとだけ流水に当て器用に箸とタオルを絡ませて絞った。
「あんまり熱いとお義母さんがビックリするから、少し冷ましといて」
「あぁ、うん。わかった」
それから、まるでバケツリレーのように何枚も温めたタオルで婆ちゃんの身体中を拭いた……。
「おい! これ、電気入ってるのか?」
「そんなにすぐに温もらないって!」
「大丈夫! 暖かくなってきてるよ」
「そうか? そうか……」
思うように電気毛布が温まらないことにイライラしている父ちゃんに向かって、朔也が婆ちゃんの足元に手を入れて応えていた。
医師が診ている間も、家族のだれもが固唾飲んでその結果を待った。
「ふぅ……。」
聴診器を耳から外しながら、先生はため息をついた。
「先生! どうなんだい! おふくろは……か、母ちゃんは」
「馬鹿野郎! そんなに狽えるぐらいだったら常日頃から親孝行しろってんだ!」
戸崎先生は父ちゃんを横目でチラッと見るなり一括した。
「そ、そんなこと今言ってもしかたねぇだろ! で、母ちゃんの具合はどうなんだよ! さっさと教えろよヤブ野郎!!」
「なんだと? このクソガキが!」
「あんた!!」
「父ちゃん!!」
母ちゃんと兄貴が同時に父ちゃんを押しのけるようにして医師の前に出た。
「まったく……」
医師は親指と人差し指で目頭を軽く押さえると、母ちゃんに向き直り静かに話し出した。
「まぁ……、年が年だしな」
「先生……」
「ん……、まぁ今回は相当身体に来ちまったな……。いまは何とも言えねぇが、とにかく休ませることだな」
「お義母さん……」
翌朝、ピクリともしない婆ちゃんの傍で座り込んでいる朔也の姿があった。
「朔ちゃん、学校遅れるよ。婆ちゃんは私が見てるから」
「お、俺……休んじゃダメかな?」
「何言ってんだい。大丈夫だって朔ちゃんが帰ってくるころには目が覚めてるよ。さ、早く支度しなって」
「ん……」
朔也はしぶしぶ立ち上がると、何度も振り返りながら婆ちゃんの部屋を後にした。
ご無沙汰しております。時間が経つのは早いですね。もう半年以上なんて…。
情報のインプットとアウトプットが儘ならずズルズルときてしまいました。
また少しずつ更新していきますのでよろしくお願い致します。