145.ブサイクな幼馴染み。
6月某日 AM10:00
家族の中で一番遅く起きる私は、いつものようにシャワーを浴びた。
風呂上りには、いつも冷たい牛乳をキューっと飲むのが、私的習慣。
しかし、冷蔵庫に頭を突っ込んでいくら探しても、牛乳が見当たらない。
しかたなく、庭先で花を弄っている母親に向かって叫んだ。
「母ちゃ~ん、牛乳なくなったぁ?」
「冷蔵庫に入ってなかったら、もうないんだよ!」
「ったくぅ、また朔が飲んだんだぁ!」
私は、天井に向かって大声でゴチた。
「何言ってんのよ。アンタが起きるの遅いからだよ。今頃起きて、シャワー浴びて、文句タラタラ言ってんじゃないよ! いったい何様なんだって、こっちが言いたいよ!」
「ふん! 朔も朔だわ、ワタシが毎朝飲んでるの知ってるくせに……遠慮ってものを知らない」
「何言ってんだ。今朝、私が朔ちゃんに飲んでいいって言ったのさ」
「えぇ~! ひど~い」
私は子供みたいに身体を揺すりながらゴネた。いい大人がなんて醜態……。
まったく、絶対生徒には見せられない有り様だ。
「うるせぇぞ! 何、朝っぱらからデカイ声張り上げてんだ! コラ、麻由! オンナのくせに、そんなカッコで家ん中ウロウロすんじゃねぇ!!」
ゲェ! と、とうちゃん……。
なんで、こんな時間に家にいんのよぉ!
父ちゃんは台所の入り口に立って怒鳴っている。
冷蔵庫に向かっている私は、完全に後ろを取られた。
しまったあぁ! 逃げ場がない!
私は、恐る恐る振り向いた。
「お、お、お……おま……え、カズオ……か……?」
父親はそれだけ言って、――絶句。
私は慌てて、頭に巻いていたバスタオルを解いて体に巻きつけ、胸と股間を押さえた。
冷蔵庫の扉を静かに閉め、父ちゃんに焦点を当てながら横ばいに歩き出す。
父ちゃんは、今にも目ん玉が落ちそうなくらい、目をひん剥いて固まっているが、目ん玉だけは私の動きを追っかけている。
私は、顎が垂れ下がったまま『あぅ、あぅ』言ってる父ちゃんの横をスルリと通り抜けると、 そのまま、ドタドタと階段を駆け上がり、自室のドアに鍵を掛けた。
どうしよう……。
ヤバイ、ヤバいよぉ! こんな姿……。
ノーブラ、キャミソール、ショーツ……。
いやぁ――――!!
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「出てけ―――!!」
父親は、ちゃぶ台をそれこそ半分に割れてしまいそうな勢いで叩いた。
「パパ!!」
「アンタ! なんてこと言うんだい!」
……。
返す言葉はない。
「俺は言った筈だ。みっともない格好でウロウロすんじゃねぇってな」
「家の中じゃないの。なにがみっともないのさ! カズオ、気にするんじゃないよ。家族の事をみっとないって言う方が、みっともないよ」
「お前は黙ってろ! カズオ、俺は言ったよな?」
「あぁ……」
私は覚悟を決めていた。……と言うか、もう父親と言い合う気力が失せていた。
解かってたんだ。いつか、こうなるって……。私は甘えていた。
諦めたわけじゃないが、どうしても越えられない壁は存在するんだ。
それは、自分の事じゃない。相手の事なんだ……。
待つしかない……。耐えるとかそういうことじゃなく、ただ待つだけなんだ。
わかってほしと思っちゃいけないときだってある。
自分を押し付け続けては、相手が苦しくなってしまうんだ。
私は押しつけてきた……。
「わかったよ。出てくよ……」
「カズオ!」
「カズ兄!」
麻由が、まるで私に裏切られたような顔をして、私を見た。
そうだろうな、こんなに頑張って……私の為に抗議してくれてるのに、私が引くってことはある意味裏切りのようなものだ。
いつだってそうだった……。私を守ろうとしてくれる……可愛い妹。
「カズ兄! ダメだよ。行っちゃヤダよお」
「ありがと、ゴメンな……。けど、いつまでも親の世話になってられないし、いい機会だと思う」
「カズオ……」
「母ちゃんもゴメンな。こんな形で……後味悪い思いさせちゃうね」
「それは、アンタのせいじゃないよ」
母ちゃんはチラッと父ちゃんの方を見たが、彼はフンッと鼻を鳴らし背中を向けた。
「ううん、私のせいだよ。でもまぁ、すぐって訳にいかないから……。できるだけ早く探すよ。それでいいだろ? 父ちゃん」
「あ、あ、あぁ……」
父親は、きっと私からの猛反撃を期待してたに違いない。
だから、拍子抜けってとこだろう。
いつまでも、バトッてられないっての……。
「で、朔は連れてくから」
「「えっ!!」」
「な、な、な、なに勝手な事言ってるんだ。朔也は俺が預かったんだぞ! お前だけ出てきゃいい」
「何言ってんのよ。朔の保護者は私よ。連れていくに決まってるじゃない」
開き直ってやった。
オネェ攻撃だ!
「お前! その、オンナみたいな喋り方、気持ち悪いからやめろ!」
あら、レスポンス早っ!
もういっちょ!
「はっ! みっともないだの、気持ち悪いだの。注文が多いったらありゃしないわ」
「やめろと言ってるだろ!」
父親はちゃぶ台をドンッと叩くと、身体を乗り出してきた。
今にも胸座を引っ掴まれそうな勢いだ。
ゲームオーバー。YOU WIN!
「わかった、わかった。……だけど、朔は連れて行く! これは決定事項だ」
「なにが『決定事項だ!』だ、ひよっこが。お前なんかに朔也が育てられるか」
あぁ、もう! ややこしいオッサンだなぁ。
そんなにバトりたいのかよぉ。アンタの方が子供じゃないか……。
アンタみたいに血の気の多い人間は、この家族にはいないんだから……求めるなよぉ。
頼むから、諦めてくれよぉ。
だけど、これがこの人のコミュニケーションなんだ。
この人のやり方は、家族みんな知っている。
けど……通らない時もあるだろ? な、父ちゃん。
「父ちゃん……。俺、もうそんな挑発には乗らないよ?」
「だ、だ、誰が挑発なんか……」
ぷっ……。自分で分かってるんだ。
けれど、今回は自分でも不思議なくらい腹が立たない。
以前は、あんなに突っ掛ってたのに……。
ここにきて、なんだか吹っ切れたような気がする。
柳がちゃんと見ていてくれているから……。
誰が何て言おうと、彼は私として見てくれている。
そして、愛してくれている。
それだけで、こんなにも穏やかになれる。
「それに……。育てるなんてできないよ。朔はちゃんと自分でできる人間だよ。俺はアドバスするだけ、おこがましいけど……道に……迷わないように一緒にいるだけだよ」
「けっ! 尤もらしいこと言いやがって。じゃ何か? 俺とじゃ朔は」
「アンタ! もうやめなよ。カズオは自分の責任の事を言ってるんだよ。朔ちゃんは、カズオが言う通り自分でなんでもできる子だ。けどね、まだ幼いんだよ。その分、自分が担い手になるって言ってるだけなんだよ」
「母ちゃん……」
「それに、出てけって言ったのはアンタなんだから、この子がどうしようと勝手じゃないか。それくらいの先読みもなしに、腹も括らないで口に出したのかい? 」
「べ、べ、つに、朔も出てけなんて言ってないぞ!」
「だから、考えが浅いっていうの! もう、観念しなよアンタ……。カズオが出てったら朔ちゃんが居づらいじゃないか」
「そ、そんなことないよ。ボク……そんなこと」
「いいんだよ、朔ちゃん。けどね、時々は婆ちゃんに、顔見せておくれよね?」
「来るよ。ボク、ちゃんと来るから!」
私だって、婆ちゃんのことは気にはしている。
もうボケがだいぶ進行してしまった。これも家族の大きな問題だ。
母ちゃんにかかる負担を思えば、家を出ることにやはり躊躇が入る。
「まぁ、どっちにしても……まずは家、探さなきゃね」
そうさ、まだ時間はある。
別に売り言葉に買い言葉で、家を出ると言ったわけじゃない。
きっかけを探していたのだ。
あまり、いい形のきっかけではなかったけれど……。
翌日、珍しく彩から連絡があった。
「麻由ちゃんから聞いたよぉ。家、出るんだって?」
「ん……。そうなったみたいねぇ」
「なによ、他人事みたいに。麻由ちゃん、相当凹んでたわよ。あの子お兄ちゃんっ子だからねぇ……。あっ、お姉ちゃんっ子?」
「どっちでもいいわよ。けど、いつかはこうなるんだから、仕方ないよ」
「そうよねぇ……。ね、ちょっと時間ある? ライミン行かない?」
「え? うん、いいよ」
一時間後、彩と私はライミンで待ち合わせた。
扉を開けると、彩は可愛い顔をして弾けるように手を振った。
「ヒャッホー!! 久しぶり~♡」
「相変わらず元気ねぇ、彩は。長尾は元気にしてる?」
「うん♡ 元気だよん」
彩は、カウンターに肘をつき、手の平に顎をのせニコニコしながら言った。
「なんか、嬉しそうね。私に会ったから……じゃなさそうだけど?」
「芙柚に会うのも嬉しいよ。だって、久々なんだもん」
「けど、アンタが私を誘うなんて、珍しいじゃない?」
「まぁね……」
彼女はそう言いながらも、ずっとニコニコしている。
なんだか、妙に気味悪くなってきた……。
「で……な、なんなの? 特別な用事があるんじゃないの?」
「んふ♡」
やっぱり、おかしい……。
彩はこんなふうに笑う子じゃない。
え? なに? なにかバレた? いや……隠し事なんてないハズ……。
はっ! まさか……柳とのこと……? あれはまだ……。
ってか、柳情報を彩が仕入れるなんてムリ……。だって、柳と彩が繋がってるなんて考えられないし……。
「じゃ~ん!」
彩は嬉しそうに、バッグから一枚の写真取り出すと、カウンターの上に置いた。
見た感じ……真っ黒の……。
「え? なにこれ……。真っ黒……エコー? 胃カメラでも飲んだの?」
「もう! よく見てよぉ。ほら……これが頭で……」
「え? 頭……って。これ、もしかして赤ちゃん?」
私のリアクションに満足した彩は、これ以上ないくらいに顔の筋肉を緩め、微笑んだ。
ブ、ブサイク……。彩のこんなブサイクな顔を見たの、初めて……。
人間は緊張を解くと、こんな顔になるんだ……。
き、気をつけよう……。
「やっと安定期に入ったのぉ。アイツが安定期に入るまで出歩くなって言うからぁ~♡」
「そ、そうなんだ……」
ふっ、長尾らしいけど……。
にしても……コイツの顔。
「おめでとう! 彩ちゃん」
いきなりマスターが割って入ってきた。
「わぁ! マスターありがとう」
「よかったねぇ。で、男の子? 女の子?」
「それは、次の検診で分かると思う」
「そうなんだぁ。まぁ、どっちにしても楽しみだね」
「そうなのぉ」
グッ……。
な、なんか……マスターにいいとこ持っていかれた気分。
でも……。
私は、そっと彩のお腹に触れてみた。
すると、なぜか鼻の奥がツンとして、目頭がじわっと潤んできた。
「芙柚……」
改めて、幼馴染を見ると彼女も涙ぐんでいた。
「おめでとう、彩。新しい命だね」
「うん。ありがとう」
なんで、こんなにセンチメンタルになっているのか分からないけれど……。
こうして、彼女のお腹に触れていると、すごく清らかな気持ちになってくる。
わけもなく、涙がはらはらと頬を伝った__。
命って凄い……。
垂れ目でブサイクに笑う幼馴染は、戦士から聖母になった__。