141.おしおき。
凛さんは、ヒロさんを誰にも取られまいとしがみついている。
その異様な光景は、純子ママが額に手を当てトホホと呆れるほど……。
「ちょっと凛ちゃん……。誰も取って食やしないわよぉ。ヒロさんが困ってるわよ?」
「だってぇ……。離れたくないんですものぉ」
彼女は、まるで子供のようにヒロさんの肩に顔を埋める。
やれやれ……。
純子ママの心の声が聞こえてきそう。
「ねぇ、ヒロさん今度はいつ帰るの? それまでに凛をどこかに連れてってよぉ」
いきなり、パッと顔を上げた凛さんが言った。
すると、少し経ってヒロさんが言った。
「そうだな。一度、デートするか」
「ホント? 嬉しい!! 絶対、約束よ!」
凛さんは飛び上がって喜び、そのままヒロさんに抱きついた。
「アハハハ、潰れてしまいそうだなぁ。私が壊れたらデートできなくなってしまうぞ」
「ダメよぉ~! ダメダメぇ!」
ヒロさんのお席には、純子ママを始め凛さん聖子さんアユミさん、そして私。
1人のお客様に対して、たくさんのホステスがつき、とても賑やかなお席になった。
皆、ヒロさんに憧れていたお姉さん達。
もちろん、『憧れ』だけ。
でも、凛さんは『夢』を見ていた。
絶対に叶える『夢』として__。
そんな時の彼女は、本当に輝いて見える。
凛さんのこういうとこ、大好きだなぁ……。
と思いながら、私は幼女を見るような目で彼女を眺めていた。
ん?
ふと、視線を感じた__。
視線を感じた方に顔をやると……。
彼と、目が合った。
私は、何の気なしに微笑んで返したが、ヒロさんは目を細めてジッと私を見続けた。
その視線は私を完全に捉え、動けなくした。
コポコポ……コポ……。
え……。
何、これ……。
水……の……中?
騒がしい店内で、ヒロさんと私の空間だけが切り取られたような__。
水槽の……中?……外?
あ……でも、息が……苦しい……。
コポコポ……コポ……。
目の前で足を組んで座っているヒロさんの目が……細めた目だけが光っているように見える。
彼の刺すような眼差しが、とても冷たく感じた。
周りの喧騒が遠くに聞こえる__。
コポコポ……コポ……。
うっ……苦しい……。
彼は私を見ながら、指先をスッと動かした。
ビクッ!
あ……。
ヒロさんの指に弾かれた水が、小さなうねりになって私に届いた。
え?首筋に……。
そして、また彼は指を動かした。
ビクッ!
あ……。
か、肩に……。
彼が指を動かす度に、私の身体が反応する__。
視られている……。
彼の指が、私の身体のあちこちに触れる……。
彼の指先から送り出されるうねりが、一枚一枚私の服を剥ぎ取っていく__。
彼の視線が髪飾りもドレスもすり抜け、丸裸にされる__。
やだ……何?
恥ずかしい……。
私の身体は、完全に彼の視線と小さく動く人差し指に絡み取られてしまった。
彼の視線が身体中を舐め、小さなうねりが身体中を撫でまわす。
クッ……。
下腹がギュッと締まる……。
私は膝の上で拳を強く握り、手のひらに爪を立てた。
掌の痛みが、一瞬で私の意識を引き戻した。
いつもの光景……。
はぁ……。
今日は何だか……変。
欲情に似た疼きが下半身から立ち上がってくる。
妄想……?
こんな事、今までになかった……。
これ以上ここにいると、本当におかしくなってしまいそう。
「ちょっと、失礼します」
私はそれとなく席を立ち、控室に向かいながら熱くなった頬を撫でた。
ほぅ……。
後ろ手に扉を閉め溜息を吐くと、気を取り直して携帯の電源を入れた。
9:52
-朱音とは連絡が取れた。今、こっちに向かっている。
今日はウチに泊めるよ。
10:40PM
-帰ってきたみたいだ。話、聞いてみる。
11:00PM
-別に、変わったとこはないみたいだぞ?
今、風呂に入ってる。
11:32PM
-母親の部屋に入った。
今日はもう寝るみたいだ。
仕事終わったら、電話くれよ。
柳からのこまめなメールが入っていた。
考えてみれば、女の子の朱音が柳に相談するなんて、ありえないかも知れない。
でも、自分の家に帰らずに柳の家に行ったってことは、やっぱり何かあるんだろうと思った。
ふと、時計を見ると閉店時間に近かった。
「もう、こんな時間?」
慌てて控室から出ると、ママが私を探していた。
「あら、こんなところにいたの? ヒロさんがアフターに誘ってくださったのよ。行くでしょ?」
「え? 珍しい……」
「そうなのよ。凛ったら舞い上がっちゃってぇ。ヘタ打ちしなきゃいいけどねぇ」
「大丈夫でしょ。今日は絶好調だから」
「だから、心配なのよぉ。見境なく……みたいな」
「アハハ、相手はヒロさんですよぉ。いくら凛さんでも弁えてますってぇ」
「まぁねぇ。飲み過ぎなきゃいいんだけどねぇ……」
テーブルに戻ると、お姉さん達がウキウキ顔でソワソワしていた。
「まひるも来るだろ?」
「はい、お邪魔します」
ヒロさんは、そう言いながらウィンクすると、ママに行き先を告げた。
「私は凛と先に行ってるから、後で来るといい」
「じゃ、申し訳ないけど、後片付けお願いねぇ」
凛さんはヒロさんと腕を組んで、身体をクネらせながら嬉しそうに店を出て行った。
ヒロさん逹を追いかけて行った店は、超高級料理店。
お姉さん逹は、こんな店めったに来れないと浮き足立っていた。
ここは前に連れてもらった店ではないが、通された部屋は素晴らしい庭が見える部屋だった。
「素敵!」
お姉さん逹が口々に感嘆の声を上げている。
あ……。
バックの中の携帯が震えた。
-まだ、終わんね?
-今日はアフターがあるから、明日電話するね。
-何時に帰ってくる? 待ってるよ。
-わかんない。
-早く帰って来いよ。
-うん。なるべくね。帰る時、携帯鳴らすわ。
-わかった。
「どうした、まひる?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと……」
「もしかして、柳くん?」
凛さんが、チラッと私に流し目した。
「また柳? 誰だい?」
「友達です」
「ただの友達じゃないよねぇ」
凛さん……、今日は、やたら柳ネタで絡んでくるなぁ。
「おいおい、妬けるなぁ」
「もう、ヒロさん。今日は私だけを見てよぉ!」
「ハハハ。さっ、飲もうか」
「「「いただきまぁす!」」」
そして、純子ママの予想は的中した……。
おまけに、付き合わされた私までベロベロ……。
「あらあらぁ。ヒロさんごめんなさ~い」
「ハハハハ、かまわないよ。しかし、凛は強いなぁ」
「でも、今日なんかはからっきしですよ。ヒロさんに会えて、よほど嬉しかったんでしょうねぇ」
「そうなのかい? いやぁ、でも楽しかったよ」
「本当に。こんなにご馳走になってしまって。ありがとうございます」
「いや、大したことじゃないよ」
ん……?
ママの声?
あぁ、寝ちゃたんだぁ。
あれ? 凛ひゃん……。
寝てるぅ。
か~わいぃ!
あぁ、わらしもムリ~。
「さぁさ、凛。起きて帰るわよ」
「う……ん。ヒロさ……ん」
「もう、この子ったらぁ。ふふふ……」
「ママぁ、車きましたよぉ」
「マナちゃん、手伝って」
「はぁい。凛さん、帰りますよぉ」
「ん~」
「まひる。帰るわよ」
ママ……。
あぁ、起きなきゃ……。
「ママ、まひるは私が送ろう」
「え? そうなの?」
「家を知っているから。前に……」
「……分かりました。じゃ、お願いしますね。マナ、行くわよ」
「じゃ、ヒロさん。さようならぁ」
「あぁ。おやすみ」
パタン……。
「さてと……。まひる? 起きるんだ。帰るぞ」
「ん……」
テーブルに突っ伏していた頭を上げると、ヒロさんが笑って頬を撫でた。
「なんだ、まひる。ヨダレが出てるぞ」
「ヒョダレェ?」
あぁ……なんだか……視界が狭い……。
ヒロさんの周りが……ボヤけて見える……。
「ヒロひゃ~ん……」
「ハハハ。大分、酔ってるなぁ。よっこいしょっと……」
ん……フワフワ?
いい匂い……。
ガチャ。
「旦那様、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。ほら、乗るんだ」
「……。」
バタン。
「どちらに?」
「○○○の○○町だ」
「かしこまりました」
ブォン……。
「……ん? ヒロひゃん?」
「起きたか? 大丈夫か?」
「かえるの? まひる、まだ飲みひゃ~い!」
「おいおい、もう大分飲んでるぞ?」
「だぁいじょ~ぶ。ひょうは、い~っぱいのむ~ぅ」
「冗談だろう? もう無理だよ、まひる」
「イヤだぁ~! のむんだぁ~! のむんだぁ~!」
「わかった、わかった。わかったから、暴れなくていいって」
「如何なさいますか?」
「そうだな……」
「のむぅ~。のむぅ~。のむぅ~」
「……では、ラウンジへ」
「かしこまりました」
「やったぁ~! ヒロひゃ~ん。あいひてるぅ~」
「はぁ、まったく……。シラフの時に言って欲しいもんだねぇ」
カラン……。
あれ?
ヒロひゃんだぁ~。
わぁ、このカクテル美味ひぃ~。
あぁ、ヒロひゃんって素敵だなぁ~。
あ、レーズンバターだぁ。
コレ、だ~いすきぃ。
あ~ん、視界がせまいぃ~。
ハッキリ、見えないよぉ~。
♪♪~♪~
ん? 電話? 私?
「まひる? 携帯が鳴ってるよ」
「わひゃひの(私の)?」
「あぁ、君のだ」
あぁ! ヤ、ナ、ギだぁ~!
「もぉ~し、も~しぃ」
「お前、まだ帰ってないのかぁ?」
「う~ん、まだみたぁ~い」
「何言ってんだ、他人事かよ。もう、遅いぞ」
「だぁ~いじょ~ぶだぁってぇ」
「ったくぅ、大分、酔ってるな?」
「なことないよぉ」
「誰のアフターだよ。俺の知ってる客か?」
「ヒロひゃん!」
「ヒロさん? 誰?」
「ん~っと。エロほんのひとぉ」
「エロ本?」
「名前かえたときのぉ、エロほん! おとなひぇん!」
「大人編? え!アレって実話なのか?」
「ひょうだよぉ~。ながおがぁ、勝手にぃ~、わひゃひのひみつ、ネタにひたのぉ。ヒドイでひょぉ~」
「ってか、お前大丈夫なのかよ。そんなヤツと一緒にいてぇ」
「だぁ~いじょ~ぶだぁってぇ」
「ママ達もいるんだろうなぁ?」
「み~んないるよぉ」
「ならいいけど……。俺、迎えに行こうか?」
「だぁ~いじょ~ぶだぁってぇ!」
「ヤバいぞ、お前。本当か?」
「う~ん。ホント、ホントぉ」
「う……ん。分かった、明日”ライミン”行くぞ」
「らいみ~ん。いくいくぅ!」
「朝、電話するから。朔也も連れて来いよっと……学校かぁ。にしても、気をつけて帰れよ」
「わあった、わあった」
「ったく、お前はぁ。おい! 芙柚、そんな奴に犯されんじゃねぇぞ!」
「わあった、わあった! あいひてるよぉ~やなぎぃ~」
「へっ! わあった、わあった。シラフの時に言えっての」
カラン……。
「芙……柚?」
カラン……。
「そんな奴に犯されんじゃねぇぞ……か」
カラン……。
「これは……。お仕置きだな……まひる」
〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉
ピピピ……。ピピピ……。ピピピ……。
「う……ん」
ピピピ……。ピピピ……。ピピピ……。
「う~ん」
ピピピ……。ピピピ……。ピピ……カチ。
「あ……。朝……」
♪♪~♪♪~
「はぁい……」
「起きてるかぁ?」
「うーん、なんとかぁ……」
「お前、昨日ひどかったぞぉ」
「う……ん。頭、痛い……」
「だろうなぁ」
「″ライミン″行くぞ」
「う……ん」
「迎えに行こうか?」
「ううん。シャワー浴びたいから……。先に行ってて」
「あぁ、わかった」
ガチャ。
ザーザー……。
キュッ。
「まひる。シャワー浴びるかぁ?」
えっ?
「ヒ、ヒロさん!?」
「どうした? 起きれないか?」
『ヒロさん? バッキャロー! 芙柚! お前、今どこにいるんだ!!』
「ど、どこって……」
こ、ここは……。