138.身の丈程の幸せ。
Rhymi‘n__。
ここに来ると、ホッとする。
いつまでも変わらない、マスターと奥さんが優しく迎えてくれる。
そして、たわいもない会話をしながら時を過ごしてきた。
以前、『奥さんって、全然変わらないね』って言ったら、
『私達の世界は、多分ここだけだと思うの。だから外の世界より、ほんのちょっとだけ時間の流れが、遅いのかもしれないわね』と言った。
ロマンチック……♡
◇◆ ◇ ◆ ◇
「でさ……。もう一度考えてみようかって思ってるの」
「そっか……。結構、大変なんだろ? 『養子縁組』って……」
マスターが、カウンターの中で腕組みをして、やや神妙な表情を浮かべながら顔を上げた。
「さぁ、分からないわ。大変なのか、そうでないのか……やってみなければね。それに、養子って型にはこだわってないの。この子が、私と一緒にいてくれたらってだけでさ」
そう言いながら、私は朔也の頭を撫でた。
朔也は恥ずかしいのか、その手を払いソッポを向いている。
「どうしたんだよ、朔ちゃん。機嫌悪いな……おっ」
カラン、カラン♪
「いらっしゃい。久しぶりだなぁ」
「こんにちは、マスター。最近、ちょっと忙しくって。芙柚から電話貰ったのも久しぶりで……」
「いいじゃないか、忙しってのは有り難いことなんだよ」
「はい、ホントそう思います」
柳はマスターと久しぶりのご対面で、一応の儀礼を済ませ椅子に座った。
「久しぶりだな。元気してた?」
「元気よ。アンタも元気そうね」
「あぁ。よっ!朔、久しぶりだな」
「うん……お久しぶりです」
「ん? どうした? 何かあったのか?」
「別に……」
今朝から、朔也は機嫌が悪い。
『久しぶりにマスターに会える!』って、喜んでいたのは束の間。
私が柳に電話したくらいから、なんだか変な感じになってきた。
か、と言って、いちいちご機嫌とりなんかしてられない。
不貞腐れているこの子に『おいてくよ』と言って、さっさと家を出た。
駅に着くころ、バタバタと足音が聞えたかと思うと、ぜぇぜぇ息を切らした朔也が後ろにいた。
アンタ……何、やってんの?
柳は朔也の反応に両手を広げ、肩を竦めた。
「で? どうしたんだ?」
「今、マスターにも話してたんだけど……。実はね、朔を引き取る事にしたの。ゆくゆくは養子って形にしたいんだけど……」
「え? な、なんで? そんな事になってんの」
柳に朔也が置かれている状況を話した。
朔也は、マスターが相手してくれている。
この子だって、何度もそんな話を聞きたくもないだろう。
「ふ~ん。そういう事かぁ……。朔を目の前にして、何だけど……その、オヤジさん……。遣り切れないよな」
柳は横目で、チラッと朔也の方を見たが、朔はマスターとテレビ話題で盛り上がっていた。
「お前の両親はどう言ってんの?」
「うちは両手広げて大歓迎よ。まぁ、以前からあっちの父親とは因縁があるからね」
「そっか。なら、朔も少しは気が楽だな」
「まぁね……」
先日、塾長に相談したら、『また、君は……。ところで君は順調に前に進んでいるのかね?
まさか、思ように進めなくて、他所ごとで気を紛らわそうとしているんじゃないかね?』と、嫌味を言われた。
ま、ホントに嫌味って訳じゃないのは十分わかっている。
が、痛いところを突かれたのは確かで……。
もう! いぢわるなんだから……塾長ってば。
「大丈夫、私がお姉ちゃんになってあげるんだから」
「マジ! じゃ、俺は義理の兄だな」
「なんで、義理なのよ」
「え? それは……。まぁ、いいから、いいから」
何が義理の……なのよ。
「良かったな、朔ちゃん。大好きな柳君が兄さんになってくれるとさ」
「う……ん」
「どうした、朔ちゃん。歯切れが悪いなぁ。いつもなら『ホント? ヤッタ~!!』って。大喜びするとこだぞ?」
「う……ん」
父ちゃんたちと話す時でも、こんなふうじゃなかったのに……。
いくら酷いとはいえ、周りが自分の父親の事を何だかんだと言っているのを聞くのは、やっぱり辛いよねぇ。
「何だ? 朔、ヤキモチ妬いてるのか?」
はっ? マスター……何、いってんの?
ちょっと……ズレ過ぎじゃね?
「何でそんなことになんの?……な、訳ないやい!」
「ホラホラ~。ムキになってるぅ」
柳が面白がって、そこへ追い打ちをかける。
「え? もしかしてライバル?」
すると朔也が、ムッとして顔を逸らした。
「何言ってんの? 誰と誰が、何のライバルなの? バッカじゃない?」
サッパリ、訳が分からない。
そこへ……。
カラ、カラン♪
「あっ!! いた! カイト~」
いきなり、扉が開いたかと思うと、女の子が飛び込んできた。
「朱音! 何でここに?」
「伯母さんに聞いたの。今日、家に行くって言ってたのに、行ったらいないからぁ」
そう言いながら、女の子は柳に向かって、プッと脹れた。
「その前に約束があったんだよ。お前のは後だ」
「でも、少しくらい待っててくれてもいいじゃない。時間だって言ってあったでしょ? 私はカイトに会いに来たんだから!」
「あぁ、わかった、わかった。わかったから、静かに座ってくれないか?」
柳がそう言いながら、彼女の為に椅子を引いた。
「柳……?」
「ゴメン。うるさいだろコイツ、悪いな。ってか。……何で、母さんココの事知ってたんだろ?」
「別にうるさくなんかないわ。それに、そういった年頃でしょ?」
「あぁ、中二……。朔の、ひとつ上」
「ふ~ん」
女の子が柳の後ろで、ヒョコッっと顔を出した。
「わぁ……、キレイな人……。カイトのお友達?」
あら、可愛い子ね♡
「あぁ、吉村芙柚さん」
「こんにちは、私、アヤネって言います」
「こんにちは♡ はじめまして」
私がニッコリと微笑むと、彼女はちょっと変な顔をした。
そして、
「その声……。え? もしかしてオトコ?」
前言撤回……。
なんて、ズケズケとモノを言う子かしら。
南迫朱音。中学2年生。どうも、柳の従妹のようだ。
朔也と私は2人のやり取りに……、っていうか、いきなり現れた女の子の勢いに呑まれていた。
女の子特有のキャンキャンした物言いと、拗ねた愛らしい仕草、自分の欲望をズバっと言いのける(この場合押し付けるの方が、正しいかも知れない)真っ直ぐさ。
彼女は、塾に通う女子たちとは一味違う、『女の子』を振り撒いていた。
「何、言ってんだよ! 芙柚はオンナだ!」
今まで大人しくしていた朔也が、いきなり彼女に突っかかって言った。
彼女は顔色を変えて、柳に尋ねる。
「誰? カイト、あの子」
「朔也だ。芙柚と俺のおとうと」
私とアンタの? 何、言ってんの?
「何、それぇ。じゃ、私もお姉ちゃんね。だって私は、カイトのお嫁さんになるんだからぁ」
「はいはい。頼むから、もう静かにしてくれ」
柳にそう言われた彼女は、しぶしぶ椅子に座り、ようやくけたたましい声を発しなくなった。
以降、柳はライミンに来る度に、彼女を引っ付けてやって来た。
勿論、柳の意思ではなく、彼女の勝手だと言う事は承知している。
最初、朔也と朱音は何かにつけ反目し合っていたが、ゲーム世代というか……。
あるゲームがきっかけで、少しずつ仲良くなっていった。
ゲーム以外でも、二人でコソコソ話しては、ケタケタと大笑いしていたり。
何だかんだ言って、結構気が合っているようだ。
そう言えば、私は学校生活を送っている朔也を知らないし、塾でも友達とワイワイ騒いでいるのも見たことがない。
私は、こんなふうに子供同士で笑い転げている朔也を、見たことがない事に気がついた。
その証拠に、朱音とキャッキャッと話している最中に『朔也』と呼ぶと、途端に少し大人びた表情に変わる。
そんな彼を見ていると、いかに私が朔也を頼っていたかということが分かる。
別に、この子がいなければダメなのってふうではないにしても、いつの間にか心の支えになっていた。
よく世間の親達が、『この子がいれば、頑張れるんです』って、言ってるのと似ているような気がする。
私が、まるで友達のように彼に話しかけていた時、もしかすると朔也は背伸びをしていたのかも知れない。
それも、彼の意思とは関係なく、自動的に、反応的に……。
彼の母親が、朔也を頼り、しがみ付いていた時期……。
朔也は大人でいなければならなかったのだ。
私も同罪ね……。
「どうしたんだよ。深刻な顔して」
「別に、深刻って訳じゃないないけどさ……。あんな、朔を見てると何だかね……。にしても、朱音は元気でいいわね。明るくて、見てて気持ちがいいわ」
「まぁな……。でも……アイツ、見た目と違うから」
「どういう事?」
「アイツ……連れ子でさ……。叔母さんの、元旦那さんの……」
「それが?」
「その旦那さん……アイツの事、置いてどっか行っちまったんだよ」
「えっ!?」
「叔母さんは『私の子だから!』って、言うけどさ……。赤ん坊の頃なら何も知らんくて育ったかも知らないけど……。もう、小学校の高学年だったから……全部、分かってるんだよな」
「そうよね……」
「父親の罪とか……。自分が置き去りにされた事とか……」
「う……ん」
ったく……。
世の中どうなってんの!?
と、思わず叫びたくなる。
かと言って、何をどうしようなどとは思いつかない。
それこそ、政治家になって『国を変える!!』なんて言いだす程、噴飯物にさえなれない。
ただ、目の前の身の丈に合った幸せを大切にしていくことが、私にとって精一杯で最も優先すべき事だと思っている。
「そっか、朱音……偉いね」
「あぁ、意思が強いっていうか、話してても時々舌を巻くときがあるよ。でも俺にしたら、朔也だってそうだぞ。何もないように、飄々としてさ……」
「そうかも……」
「あぁ。そういうとこ、お前に似てる」
「私に?」
そう言えば、晴華が言ってた。
『朔也は芙柚の小っちゃい版ね』って……。
「かもね……ふふ」
「だろ? ははは……」
「あら、それなに」
私はテーブルに置いてある小袋を指差した。
「あぁ。さっき、四つ葉タクシーに乗ったんだ。で、貰った。」
「四つ葉のクローバの種? 私、育ててみたい」
「できるのかぁ?」
「できるわよ」
「俺が育ててやるよ」
「じゃ、半分っこしよ」
「おぅ。どっちが上手く育てられるかって感じ?」
「簡単なんでしょ?」
「裏に、説明書があるだろ?」
そう言いながら、柳と私は種の袋を掲げ、頭をくっけて説明書きを読んでいた。
「はい、はい、はい! そこ! 離れて、離れて! あんまり引っ付かないようにね!」
朱音は、私と柳が仲良くすると目くじらを立てる。
『カイトのお嫁さんになるんだから!』
ムキなって私達の間に割り込んでくる彼女からは、敵意さえ感じる程だった。
あは♡ 可愛いわねぇ。
だけど……私を敵に回すなんざ、100万年早いのよ!