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俺の恋。決めた恋。  作者: テイジトッキ
136/146

136.『似て非なるもの』

 塾長先生に呼ばれ、初めて塾長室に入った。

 イメージしていたものとは違ったが、学校の校長室にも似ていた。

 だた、何て言うか……生活感? が感じられる。

 学校の校長室にはそれがなく、俺にとっては寒々しい空間だった。


「二人とも、そこへ掛けなさい」

「はい!」

「は、はい……」


 山崎さんと俺は、塾長先生が指差したソファに座った。

 ソファは、特に上等な革製のものではなく、座り心地抜群ってわけでもなかった。

 塾長先生は大きなデスクを回り、ゆったりとした椅子に腰かけた。


 先生がデスクを回っている時、後ろの窓際に鉢植えがいくつも並んでいるのが見えた。


 あれは……、母が大事に育てていた花と同じ……花。


 一瞬、優しい母の顔が浮かんだ。

 愛しむように鉢に水をあげている母の横顔……。

 ママ……。


「山崎君、君はここへ来て何年になるかな?」

「は……8年と3か月……になります」

「うむ。そうか……もう、そんなになるか……」


 塾長先生の質問に消え入りそうな声で、彼女は俯いたまま答えた。

 さっき、廊下で言い合っていた時の勢いは全くない。


 人の悪口を嬉々として吐きまくっていたわりには、否に殊勝な態度だよな。

 全くの別人じゃんか……。


「約……9年。君は良くやってくれた。事務の要として訥言敏行に仕事をしてきてくれた。私は、君に対して一度として不満を抱いたことがない……」

「あ、ありがとう……ございます」


 と、とつげんびんこう? 何だそりゃ?


 けど、山崎さんは身体を震わせて喜んでいるように見える。

 後で、芙柚に聞こうっと。

 お……覚えてられるかなぁ?


「何故、私は教師になったのか……。君は知っているかね?」

「え? いえ……。考えたこともないです。こちらで働かせていただいたときには、もう……」

「ハッハッハッ……ハ、もう既に、教師だったということかね?」

「さようでございます……」

「そうか……。私は質問の仕方を間違ったかな?」


 塾長先生はそう言いながら、俺の方を見た。


「えっと……。間違ってはいないと思います。ボクがここに来た時も塾長先生は『もう既に先生』でしたから……。何で、先生になったのかは知らないけれど、今から考えたり、聞いたりすることはできます。ただ……今、先生に訊かれるまで疑問に思わなかっただけで……」

「ほほぅ……」


 塾長先生は、背もたれに預けていた身体を起こし、掌を組んでデスクに置いた。

 上体が少し、前のめりになっているような気がする。


 塾長先生とこんなふうに話すのは初めてだ。

 と言っても、生徒の中で塾長先生と面と向かって話したことがあるヤツなんているのかどうかも分からない。

 山崎さんとの事でこんなふうになってしまったけど……。

 そうじゃなかったら、きっと『こんにちは』『さようなら』だけの素通りに終わっただろう。


「君は、随分と饒舌なのだな」

「え? じょうぜつ……」

「いや……、驚いているのだよ。自分の考えをハッキリ言葉にする事は大切なことだからね。しかし、どうやら私も君の見かけに惑わされていたようだ。ハッハッハッ」


 塾長先生は、何でこんなに楽しそうなんだろう。

 さっきから、笑ってばっか……。

 そもそも、塾長先生が笑ってることがビックリだ。


「私は、君にはどう見えている? 仏頂面した融通の利かないジジィかな?」

「えぇ! そ、そんなぁ……」


 見えてても『はい、そうです』なんて言えねぇじゃん。

 やっぱ、塾長先生は意地悪だ。

 芙柚もそう言ってたもん。


「あ~、はっはっはっはっはっはっはっはっ……は」


 なんだよぉ……。

 俺達、何しにここに座らされてんのぉ?

 俺は、この女をギャフンと言わせてやりたいのに……。


「こう見えても、私は子供が大好きなのだよ……」

「そ、それは……存じております。塾長は生徒一人一人に、心を配っておいでです」


 山崎さんが、まるで宮内庁に勤めている人のような口調で言った。

 だけど、何故か……俺には、その顔がドヤ顔に見えて仕方がない……。


 あぁ……。俺、この人……キライだ。


「どうしたんだ? 意外だったかな?」

「はい!」


 あ……、しまった。

 山崎さんに気を取られてたから、ついホンネが出ちゃったよぉ。


「あ~、はっはっはっはっはっはっはっはっ……は」


 また、笑うのかよ。

 もう、いいって……。


「子供は『奇跡』を見せてくれるのだよ」


 そう言った塾長先生の顔は、真剣だった。


「今日できなかった事が、明日にはできている。昨日、泣いていた子が今日は笑っている。取るに足りない……何でもないような事だと思うだろうが、私はこれを『奇跡』だと思っているのだよ。乗り越えられそうにない壁にぶつかった時、眠れない程の挫折、自分はもうこれ以上一歩も前に進めないと立ち止まった時、彼らの顔を思い出すのだよ。自分もそうやってここまで来た事を思い返させてくれる。お前は越えてきたんだ、越えられるんだと励まされ、奮い立たせてくれるのだよ」


 塾長先生はそう言って俺の方を見た。

 俺は先生と目が合った時、何だか照れくさくてチョッとドキッとした。

 そして、先生は山崎さんの方を見て話を続けた。


「私にとって子供たちは『可能性』そのものなのだよ。そして『可能性』に”枠”というものは存在しないと思っている。変わるだけ変わる、広がるだけ広がる、それこそが『可能性』なのではないだろうか。しかし長年生きていると、知らず知らずの内に人を自分の枠に収めようとする。自分の生きてきた世界が最も常識的であると、人に押し付けてしまう事がある。人はそんなものに収まる筈がない事など、自分が一番よく知っているのにも拘わらず。本当に困りモノだよ。ハハハハ」


 塾長先生はそう言いながらまた笑ったが、俺はその笑い声を聞いてもさっきのようにイライラすることはなかった。

 それより逆に、心地よいモノに変わっていた。

 俺はいつの間にか、先生の話の中に引き込まれていたんだ。


「我々は『似て非なるもの』の集まりに過ぎない。うむ、使い方は合っているかな? まあ、いいか。”人間”と”動物”という括りで見た時に似ているモノだと思ってくれ、あくまでも姿形の事だ。では何を一とするのか? 私は本質の方に目を向けていきたいと思うのだが。……君はどうかね?」

「お、仰るとおりだと……思います……」

「おお、それは有難い。君も私の考えに賛同してくれると言うのだね」

「は、はい……」


 山崎さんは、膝の上で両手を擦りながら小さな声で答えた。

 俺はチョッピリ”塾長先生……ズルい”と思ったけれど、そのズルさが爽快にも思えた。

 きっと先生は、俺にも分かるように極力難しい言葉を避けながら話してくれているのだろう。

 時々、話が途切れるのは言い回しを考えてのことだと思った。


「奇跡を起こせるのは何も子供だけではないという事も、付け加えなければならないかな? 誰だって起こせる、それが一握りの人間ではない。すぐ傍にいる人こそがその対象だ。その『奇跡』を目にする度に、また次の『奇跡』を見たいと思う。そうやって、私はずっと教師を辞められずに来たのだよ。私はこれからもできるだけ長く、数多くの『奇跡』『可能性』に触れていたいと思っている」


 塾長先生は俺と山崎さんを交互に見て、ニッコリ笑った。

 その笑顔がとても優しくて、どっかで見た肖像画のようだった。


「山崎君は、幾つなのかな? おっと……女性に年齢を訊くとは……あ、いやいや、答えなくていい、失礼した」

「……さ、さん……じゅう……38歳です」


 でも、山崎さんは俯いて答えた。


「そうか、そうか……、君は、私の『可能性』になってくれて、随分と私を励ましてくれたのだな」


 塾長先生は最後に『あくまでも、これは私の持論に過ぎないがね』と付け加えて、俺たちを部屋から出した。


 何が原因で諍いをしていたのか、何も訊かれなかった。

 ただ、塾長先生の話を聞いていただけ……。

 でも、俺は……チョット難しかったけど……なんか、スッキリしていた。


 山崎さんは、そそくさと事務所に戻ってったから、顔は見なかった。

 でも、彼女から伝わってくる空気が、あの部屋の中でとても柔らかなものに変わっていったのは感じた。


 廊下に出ると、芙柚が心配そうな顔をして近寄ってきた。


「朔、帰るわよ。だけど何なのその荷物。まるで旅行にでも行くみたいじゃない」

 

 え? あ! そうだ、忘れてた……。


  「芙柚! 俺を引き取ってくれないか!!」


 

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