135.俺は悪くない! -朔也-
「植原君、大丈夫?」
「あぁ、はい。大丈夫です」
俺はどうもこの人が苦手だ。
これは芙柚の受け売りでも何でもない、俺自身の直観だ。
家にいる変なババァと暮らし始めてから、人が俺に対して優しくする向こう側が見えるようになってきた。
要は自分の利益のために、俺をダシに使うヤツとそうでない人の見分けがつくようになったって事だな。
ババァの目的は父親の金。シンプルで分かり易い。
だがこの人は謎だ。
何が目的なのか? 気持ち悪いくらいハッキリしない。
絶対俺の事なんか眼中にないハズなのに、ベタベタと纏わりつくような声を出して話しかけてくる。
『なぁ、山崎さんって鏡餅に見えないか?』
前に芙柚が言った事だ。
頭に浮かんだ鏡餅の上に乗っている橙が、瞬時に彼女の顔にポンっと入れ替わった。
ご丁寧に、しめ縄がリボン代わりになっている。
俺は腹を抱えて笑った。
『絶対誰にも言うなよ』って、芙柚には口止めされてるけど……。
ヤ、ヤバイ……、今にも吹き出しそうで、下腹がピクピクしてきた。
ボロが出ないうちに早くここから立ち去らねば……。
俺は靴を下駄箱に入れ、持て余し気味のバックを持ち直し教室に向かった。
愛想笑いを浮かべながら山崎さんの脇を通り過ぎようとした時、彼女が声を掛けてきた。
「もう、髪は伸ばさないの?」
「え?」
「前は長かったでしょ? 植原君、可愛かったなぁ。ここへ来た頃……」
そう言いながら、山崎さんは懐かしそうな顔をした。
そぉかぁ~? 俺は覚えてるぞぉ。
頭をピンだらけにして、キッチリ結い上げた俺の事を珍しい物を見るような目で見てたじゃないか。
まぁ珍しかったのは否めないし、当時はどこへ行っても誰に会っても同じような反応だったから、別に気にしちゃいなかったが。
面白そうに眺めるヤツと、忌み嫌うような視線を投げつけてくるヤツと……、俺の記憶ではアンタは後者だったぞ?
しかも今、それを懐かしそうに語るか? わっかんねぇなぁ。
「やだな~、もう忘れてくださいよぉ。今は俺、こっちが気に入ってるんで」
俺はそう言って、下唇を突出しフッと息を吐いて前髪を噴き上げて見せた。
彼女が人差し指を軽く曲げ、顎の下に当てて『ふふふ……』と笑ったが、この人の笑い顔は口が横に広がるだけで、目が笑ってないんだな。
何だろう……仮面が張り付いているような印象を受ける。
「吉村先生がよく許したわね?」
「は? ふ、……吉村先生ですか? 俺の髪型に何の関係があるんですか?」
「だって、ずっとお揃いだったじゃないのぉ」
「それは偶々で、お揃いだった訳じゃないですって」
「あら、じゃあ気にならなかった? 男の人があんなに長い髪をしてたの」
「別に……、俺だって男ですから」
「でも、あなたは子供じゃない。彼は大人なのよ? しかも、子供の前に立って勉強を教える講師。そんな立場の人がチャラチャラして、変だと思わなかった?」
何だ? 物凄く悪意を感じるぞ。
ってか、コイツは馬鹿か?
俺と芙柚が仲良いの知らないのか?
知ってたらこんな事フツウ言わないだろ?
「チャラチャラって……」
「あなた知ってる? 彼、病気なんだってね?」
「え?」
「心が女の人なんだって。そんな事信じられる?」
「さぁ……。そういうのもアリなんじゃないッスか?」
「そうお? 自分が綺麗なのを鼻に掛けてるようにしか見えないけどねぇ」
あ、やっぱり……。コイツ馬鹿だ。
でもって、分かったぞ。
俺に優しくするのは、芙柚が狙いなんだ。
本人に直接何も言えないから、俺をハケ口に使ってやがる。
あのババァと同じ体質なヤツだ。
「最近は今にもスカートを履き出すような気がしない? でも、そんな事になったらこの塾の秩序が乱れてしまうと思うの。男の人は男らしく、女は女らしくって当たり前の事よね? なのに、あの人がここに来てからおかしくなってしまったのよねぇ。そんな事に敏感な年頃の子達を預かっているのに、自覚なんて全くないんだから。呆れるわよね。それに”心の病気”って名目なんか付けちゃって、男のクセに女の仲間に入ろうなんて図々しいにも程があるわ……」
ダメだ……この人、完全に自分の世界に入っちまった。
俺を相手にこんな事を言い続けるなんて、よっぽど芙柚が憎いんだ。
芙柚、一体この人に何したんだよぉ。
山崎さんは、もう俺の方なんか見ちゃいなかった。
顔は俺に向けてはいるけれど、目がイッちゃってる。
溜まってたものを吐き出すように、延々と芙柚の悪口を言い続ける彼女が、俺は何だか段々可哀そうになってきた。
「でも、良かったわ。植原君が普通になって」
「へ? 俺が普通? ってずっと俺普通のつもりでしたけど?」
「いいのいいの、無理しなくても。吉村先生に合わせてあげてたのよねぇ」
「そりゃ、チョット見は綺麗かもしれないけれど、要は変態じゃない。オカマになりたかったら、そんな人ばっかりがいる所で働けばいいのよ。でも、所詮は男。綺麗でも何でも女にはなれないのよ。そんな常識も分からないで、よく講師なんてやってるわよねぇ」
「……。じゃ、アンタは女なのか?」
「いやだ~。女に決まってるじゃな~い。正真正銘の女よぉ。ニセモノじゃないわよ」
「吉村先生はニセモノって事ですか?」
「ニセモノどころか、猿真似ってとこね」
「じゃ、女ってだけで何の努力もしないで、醜いヤツも本物ってことですか?」
「醜いって……何? もしかして、私の事言ってるの?」
よく分かってるじゃん。
「吉村先生は、凄く努力してます。自分の事を良く知っています。先生は自分の限界を超えようと努力してます。何度も何度も心が折れて、それでも自分を見て、前を見て頑張ってるんだ。女に胡坐を掻いて何の努力も感じられないヤツに先生の事を言われたくない! アンタはただ先生が綺麗なったことに嫉妬してるだけなんだ」
「し、嫉妬? な、なんで私があんなオカマに嫉妬しなくちゃいけないの?」
オ、オカマだと?
言ったな、コイツ!
「じゃ! 悔しかったら痩せてみろよ!」
「何ですって!」
「朔!!」
背中の方から芙柚の声がした。
すごい剣幕で駆け寄ってくる。
『謝りなさい!! 目上の人に対して何て口の利き方するの!』
『芙柚……この人が……』
『謝りなさい!』
『目上とか……なんで俺がそんな事言ったのか、理由も訊かないのかよ!』
『それとこれとは別なの! 謝りなさい!』
『ぐぅ……ぅ……』
何なんだよ! 俺は芙柚の名誉を守ったんだぞ!
コイツは、芙柚の事をオカマって言ったんだぞ!
泣き出しそうになった。
だけど、こんなヤツらの前で泣くなんて悔しすぎる。
俺は遣り切れなくなって下駄箱の方に駆け出した。
すると、芙柚が俺の腕を掴んだ。
『逃げるんじゃない!』
何だよ、逃げるって何だよ!
俺は泣き顔を見られたくないだけだよ。
クソッ……。
「騒がしいな。何をしているんだ」
「あ、塾長。すみません」
「すみません……」
ハッ! 山崎さんは、塾長先生の前ではいつもイイ子ちゃんぶってるよな。
俺はこういうヤツが一番嫌いなんだ。
塾長がメガネの縁を持ち上げながら、俺を睨んでいる。
「ボクは当事者です!」
塾長先生が『君は当事者かね?』と訊ね終わらないうちに答えてやった。
俺は何も悪くない!