132.まさかの事態?
「でね……、『興奮した』だって」
「へ? 興奮したぁ?」
凛さんが驚いて目を丸くし、マスカラを塗る手が止った。
私は美無麗の控室で花火大会の出来事をお姉さん達に話していた。
「アハハハ、なんでそうなんのぉ。柳くん間違っちゃたわねぇ~。そこは『好きだ』じゃないのぉ~」
「そうよねぇ。私もそう思うわぁ。ドキドキして損しちゃったぁ」
「ハハハ、アタシもよぉ。お、お、お、来るぞ、来るぞ……『興奮』。ガクッよね」
「え? そうですか?」
「そりゃそうよぉ。『感動したよ……。やっぱお前っていい奴だよな……俺、お前のこと好きだ……』てのが、普通の流れじゃな~い?」
「私もそう思~う。柳くんてば、土壇場で尻込みしたのかしらぁ?」
「朔ちゃんがいたからじゃない?」
「それもあるかなぁ?」
「でも、そこは『好き』だよねぇ~」
「「よねぇ~♡」」
柳の『興奮した』発言にお姉さん達が一斉に突っ込んできた。
う~ん……、やっぱ変だよねぇ。
私もそう思ってたんだよねぇ、まぁ『好き』につながるかどうかは別として……なんか違うことが言いたかったんじゃないかな? とは思った。
なんか絞り出したって感じだったし……。
っていうか……、お姉さん達って私と柳のことそういうふうに見てたのね。
ま、うすうす感じてたけど……さ。
「まひる、アンタはどう思ってるの? 柳くんのこと……」
「ん……。凄く、いいヤツなんですよ」
「ハァ……。そうよね、いいヤツなんだよねぇ~
「えぇ……」
ホントはいいヤツ以上なんだけどね。
最近、なにかにつけて柳が浮かんでくる。
浮かんでくるだけじゃなくて、胸がキュンとなる時だってある。
そんなとき、気持ちのどこかでブレーキを掛ける自分がいる。
柳はいいヤツだ……だから、終わりたくない……。
そんな考えが、ふと頭に浮かぶ。
ハッ、態の良い言い訳よね……、自分で自分がイヤになっちゃう。
◇◇
「先生さようならぁ」
「さようなら、気をつけてねぇ。ケイスケ~、宿題忘れないようにねぇ」
「わ~ってるって! 先生バイバイ」
「先生、質問があるんだけどぉ」
「髪の毛触らないなら教えてあげる」
「ケチ! いいじゃない髪の毛ぐらい。芙柚の髪の毛気持ちいいんだものぉ」
「オモチャじゃないのぉ」
「ねぇ、事務所にいっていい?」
「次の授業ないから教室で待っててぇ」
「「はぁ~い」」
フフ……。可愛い。
女の子は可愛いと思う。
おませで口が立って生意気で、世の中のこと何でも知ってるような顔をして、好きな物を好きと言い嫌いな物をキライと言う。
まぁ、性格の違いはあるけれど。
少なくとも私のクラスの女子はハッキリとものを言うタイプが多い。
私はそんな彼女たちが大好きだ。
私がこの塾に来てから生徒の面子はそれなりに入れ替わった。
変質者扱いされたりホモ疑惑で保護者が乗り込んできたのが随分昔に思える。
女の子達とは違和感なく接していると思う。
男子チームはどことなくよそよそしい感じがしてお互いが緊張する場面もあるけれど、最近はなんとなく緩和されつつあるように思う。
彼らの思いの中には『前は男だった』が根強くあるらしい。
勿論、それは女子たちもかわらないが、男子達とはある一定の距離が置かれているように感じる。
どれだけ私が私でいられるか? が、彼らとの距離を縮めたり遠ざけたりするようだ。
男でなく、女でなく、私でいることが要求される。
少しでも偏ってしまうとみるみるうちにその距離は遠ざかる。
何を以って偏るのか……は分からないけれど。
言葉や仕草や……私が偏ったとき生徒に緊張が走るのを感じる。
彼らが私に対応する術がなくなってしまう瞬間だ。
『今はオトコ? オンナ?』
そんな時、彼らは言葉で態度で探ってくる。
しかし、会話の中で『私』を見つけると緊張が溶けていくのが分かる。
以前『世の中には色んな人間がいる。私を通してその感覚や感性を養ってほしい』なんてエラそうなことを言った自分が恥ずかしい。
養えるように導くのは私自身だというのに……。
かっ、かっ、かっ、かっ……全く、片腹痛いわ。
「……で、この時の作者が何を言いたかったのか? ってことよね? マナミ分かる?」
「う~ん。季節とかじゃないの?」
「そうねぇ。そういう解釈もあるかなぁ」
「フフフ……」
「なにが、『フフフ』なの?」
「フフフ……。ねぇ~」
マナミが怪しい含み笑いをしたかと思うと、一緒にいる子たちに向かって同意を求めるように首を傾げた。
「「ねぇ~」」
「なんなのよ、アンタたち『ねぇ~』って」
マナミが上目遣いでニタッと笑った。
まるで悪戯っ子……、怪しい。
「芙柚ちゃん。胸、大きくなってきたね」
「!?」
息が止まった。
思わず腕を交差して胸を隠してしまった……イヤン。
な、なんてダイレクトなんだコイツらは……。
ちょっとは相手のことも考えろっての……。
「そ、そう?」
「う~ん。いい感じよぉ」
「うんうん、最近可愛くなったよねぇ」
「「ねぇ~」」
『ねぇ~』って……。
お前らに言われるのが……コワイ。
た、たしかにこの夏は薄着に挑戦してみた。
半袖が着れない私は、タンクトップの上から薄いシャツを重ね着するって感じで精一杯だったけど、肌が透けるだけでも冒険だった。
ブラトップのタンクトップと淡い色の薄手のブラウスを好きな色で合せて着こなすのは楽しかった。
ブラトップならブラジャーの肩紐もないからズレることもない。
薄着のうえにブラの肩紐が見えたりしたら……男子達はきっと口も利いてくれないと思う。
「ねぇ、芙柚ちゃんは好きな人いるの?」
「え? 晴華先生じゃないの? あっ……」
「もう! 幸恵ったらぁ。ダメじゃない」
「ご、ごめん」
おいおい、今度はコイバナかよ……。
ふふ~ん、たしか私の秘密を知っている子がいるらしいけど?
昔、机の中から出てきたメモ……懐かしいわねぇ。
でも残念ね、そうそうアンタ達の思うようにはいかないの。
「は~い。勉強しないならおしまい」
「「えーー!!」」
「私だって忙しんだからぁ」
「ユキちゃんのせいよ!」
「そんなぁ~」
「誰のせいでもないの。はい、気をつけて帰るのよ」
「「「は~い」」」
3人はテンションの低い返事をして、ブツブ言いながら帰り支度を始めた。
廊下に出て事務所に目をやると、山崎さんの後姿が見えた。
誰かと話をしているようだ……立ち話なんて珍しいわね。
彼女に近寄るにつれ声が聞こえてくる。
なんだか言葉の応酬が……。
アレ? もしかして……言い争ってる?
もう一度山崎さんの後姿を見ながら少し角度を変えて近寄ってみると……。
朔……。
「……じゃ、まず痩せてみろよ!!」
「なんですって!」
「朔!!」
私は慌てて駆け出した。
険しい顔をして睨み合っている2人の間に割って入る。
「何やってるのよ。朔!」
「芙柚……この人が……」
「謝りなさい!」
「なんで? なんで俺が謝るんだよ!」
「目上の人になんて言い方するの。謝りなさい!」
「目上とか……なんでそんな言い方になったのか、理由も訊かないのかよ!」
「それとこれとは別なの! 謝りなさい!」
「ぐぅ……ぅ……」
朔也は憎しみを込めた目で私を睨みつけている。
その顔には『なんでわかってくれないんだ』とありありと書いてある。
そうじゃないんだよ朔。
多分、山崎さんに傷つけられたんだよね? だから、同じように傷つけ返したんだよね? 分かってるよ。
だけど、それじゃいけないんだよ朔。
朔也は身体の向きを変え走り去ろうとしたが、私は彼の腕を掴んだ。
暫く、腕を離そうともがく朔也と捕まえようとする私とで揉み合になった。
「逃げるんじゃない!」
私がそう言うと抵抗していた朔也の力がスッと抜けた。
朔也が自分のことを分かってもらえない悲しみとジレンマで目に涙を溜めている。
分かってるって……朔。
「騒がしいな。何をしているんだ」
「あ、塾長。すみません」
「すみません……」
山崎さんが蚊の鳴くような声で謝っている。
塾長はジロリと私達を睨んで、メガネの縁を持ち上げた。
「吉村君。君は当事者かね?」
「はい。あ、いえ……違います」
「山崎君は? 当事者かね?」
「あ、はい……さようです」
「で……君は……」
「ボクは当事者です!」
塾長が言い終わる前に朔也が答えた。
塾長はふっと溜息を吐き、2人に塾長室へ入るように言った。
塾長室は事務所の隣だから……、もしかしたら、塾長はここへ至るまでの経緯を知っているのかも知れない。
ここは塾長に任せるしかないか……。
2人は30分足らずで塾長室から戻ってきた。
山崎さんの無表情な顔からどういう結果だったのか何も伺えない。
朔也は……少しむくれてるって感じかな。
まぁ、一方的に言いくるめられた理不尽さはなさそうだ。
さすが大岡裁きの如く……か?
これは帰って話を聞いてやるしかないな。
っていうか、あの子……。
「朔、帰るわよ。だけど何なのその荷物。まるで旅行にでも行くみたいじゃない」
「う……ん」
「え? 旅行なの?」
「ううん……」
「え? 違うの?」
まさか……また……。
「アンタ……まさ……」
「芙柚! 俺を引き取ってくれないか!!」
エェーー!!