129.好きになれない……。
長尾と彩の結婚式が済んだ後、私は晴華に思いを残したまま帰った。
今更何をと思うけれど、晴華が友達と帰っていく姿を見ながら自分の心が引きちぎられるようでとても辛かった。
「じゃあね芙柚、またね」
「あ、あぁ。またな」
あ~あ。会ってしまうとこうなるのかぁ。
昨夜、晴華に会うって気が付いたときマジで焦った。
だけどその奥の奥に嬉しさがあったのは否めない。
晴華に会えると思った時、確かに私の心は一瞬躍ったもの。
でも、すぐに“フン! 馬鹿ね”と自分を自嘲した。
「晴華ちゃん……。俺、嫌われた?」
「え? 何で?」
「いや……何となく」
嘘つけ……。分かってるくせに……。
私は何だか勝ち誇ったように聞こえた柳の言葉に悪態をつきたくなった。
「何か怒らせるようなこと言ったんじゃない?」
「俺が? いつ?」
「さぁ、分かんないけどぉ。ってか、ホントは分かってんじゃないの? らしくないわよぉ」
「な、何言ってんだよ。分かんないから言ってるんじゃないか」
「じゃ、自分で考えるのね。私には分からないから」
そう言いながら、私自身に柳に対して怒りがあるのを感じた。
何だか身内とか身近な人間が、誰かに苛められた時の腹ただしさに似ている。
それこそ、今更だけどさ……。
そして、家に着くころには柳への怒りも晴華への熱も冷めていた。
残っているのは想いだけ……。
また、あの器に……心の器に蓋をする。
今度はうんと重い重石を乗せとかないとね。
「ねぇ、芙柚。俺、今日泊まっていいかなぁ?」
「なによ、そのつもりなんでしょ?」
「う、うん」
私の顔色を伺うような物言い……あっ、もしかして。
「ふふん♪ 何か気にしてんのぉ?」
「え? 気にするって? 何が?」
あれ? 私を差し置いて晴華にベタついてたのを気にしてるって思ってたんだけど?
ってか、気にしろよ!
「じゃ、何よ。うちに泊まるのに遠慮でもしてんの? 久しぶりなんだから喜びなさいよぉ。それとも、ちょっとの間に他人になっちゃったのぉ?」
「ち、違わぁ。もういいよ! ただいまぁ!」
「なによ、変な子ねぇ」
朔也は荒々しく靴を脱ぎ棄てドスドスと奥に入っていった。
父ちゃんと母ちゃんが、朔也を嬉しそうに歓迎している声が聞こえる。
「朔~、先に風呂はいるぞぉ」
階段の下から奥に向かって叫んだ。
すると朔也が、
「あっ、俺も一緒にはいる!」
「えっ!?」
私は慌てて奥の部屋から出てきた朔也に向かって手の平を突きつけた。
「お、お前何言ってんの? 一緒になんて入れる訳ないじゃん」
「何で?」
「な……ば、馬鹿! こっち来い」
私は朔也の腕を掴んで階段を駆け上がった。
部屋の扉を開け、朔也を先に入らせる。
「ちょっと、アンタ本気で言ってんの?」
「前は一緒に入ったじゃんかぁ。何でだよぉ」
「前って言ったって、2年も前の話でしょ?」
「そうだけど……。俺が中学になったから?」
「そうじゃなくてぇ……」
私が女になったからよ。
改めてこの子にちゃんと説明すればいいのは分かっているけど、そんな簡単なことに何故か躊躇してしまう。
ホルモン注射を打ち始めた頃、乳首に痛みを感じた時から一緒にお風呂には入らなくなった。
これから変化していく自分の身体を見せたくなかったから。
今思えば見せた方が良かったのかしら?
オトコからオンナ変わっていく実態ってのを……。
その過程を見せていたら、今ここで躊躇することもなかったのよね?
いやいや、ドキュメント過ぎて……小学生にはちとキツイわよね。
何かのトラウマにでもなったら大変よ。
私だって以前は無かった胸の膨らみを直に見られるのは、チョットねぇ……こんな子供でも一応オトコだしぃ。
特に、萎びた漬物のようになってしまった……“俺”はもっと見られたくない。
この子の為にも見せない方がいいとも思う。
……見せられる筈ないじゃん。両性を兼ね揃えた身体なんて。
「ふっ、ふっふっふっ……。いいわよぉ、一緒に入ろう」
「な、何だよ気持ち悪いなぁ」
「お姉さんがキレ~イに洗ってア・ゲ・ル♡」
「!?」
ハハハ馬鹿め、気が付いたか。
朔也はポカンと口を開け、目を丸くして顔を歪めた。
きっと今、頭の中は高速で私の身体の想像が膨らんでいるんだろう。
目の玉が小刻みに振動してなかなか私と焦点が合わない。
アハ、笑ける。
「どうすんのぉ?」
「ム、ムリ……。芙柚、先入って……」
「じゃ、お先にいただきまぁす」
キャハハ♡ 可愛い。赤くなってんのぉ……うん? 赤かったか? 青くなかったか?
ま、どっちにしろお互いの為だわよん♪ ったく、バカみたいな顔しちゃてさぁ。
あっ……。
『周りの奴ら、全員バカに見える』
あの時、そう言ってた。
湯船に浸かりながら考えた……インナーチャイルド。
子供のころの経験よる感情が大人になっても影響し続けている。
って言っても、あの子自体がまだ子供だから……。
“内なる子供”かぁ……。
母親の影響で受けた心情や、抑えた感情、傷ついた自分に知らないふりをし続けてきた朔也。
詳しくは知らないけど……ちょっと調べて見ようかしら。
何かしら関係はあると思うし、今まで私が疑問に思っていた事を解消できるかもしれない。
◇◇
「「ありがとうございましたぁ。また来てねぇ~♡」」
今日は美無麗の出勤日。
いつものようにお客様をお見送りする。
「あ~、暑いわねぇ。ちょっと外に出ただけで汗が滲んじゃう。見送りの度にお化粧直さなくちゃぁ」
「ホント。そうですよねぇ」
久しぶりに凛さんと同じテーブルに付かせて貰った。
凛さんのテーブルは楽しい。
お客様はちょっと強面だけど、サッパリしていて話していて面白い。
故に、話が弾む。
「で? 長尾ちゃんの結婚式どうだったの? 新婚旅行からはもう帰って来てるんでしょ? 一度、顔出ししなさいって言っといて。ママが気に掛けてるわよって。お祝いもしないとね♡」
「そうですね。言っときます。今度、家に来るはずだから。今日、式の時の写真持って来ていますから、皆で見てあげてください。長尾、カッコいいですよ」
エレベーターを待ちながら凛さんに話す長尾の事が、まるで自分の自慢話のようになっているのに気付き笑えてきた。
「で? 最近よく来る子。柳くん? いい子じゃない」
「えぇ、良い人ですよ」
「好きなの?」
「……私、男の人を好きになった事がないから」
「あるじゃな~い、ヒロさん。好きだったんでしょ? 誤魔化さなくていいわよ」
「で、でもあれは……。また違うっていうか……、憧れっていうか……」
「好きだから憧れるのよ。で? 彼は?」
「……友達」
私がそう答えると凛さんが目を見開いた後、大声で笑った。
「ア~ッハハハハハハハ! なぁに、子供みたいな事言ってんのよぉ。友達ぃ~? 笑わせんじゃないわよぉ。アッハハハハハハ」
「え~! なんでぇ? なんで笑うんですかぁ」
「だってぇ、あの子のアンタを見る目って“愛”よ“愛”。み~んな気付いてるわよぉ。バレッバレなんだからぁ。とぼけてんじゃないわよぉ」
凛さんはお腹を押さえながら笑い続けた。
エレベーターの中でも店に戻ってからも、笑いを堪えながら肩を震わせていた。
そうよねぇ、柳……ホント分かり易いヤツ。
◇◇
「花火、見に行かないか?」
「え? どこの?」
「宇治茂川」
「遠いわねぇ。行き返りが大変じゃない? 車?」
「いや、さすがに車は無理だな。嫌か?」
「う~ん。まぁ今ならシフト変えられるけどぉ」
「朔也も連れて来いよ。夏休みだろ?」
「ホント? 喜ぶと思う」
珍しいなぁ、柳から朔也を誘うなんて……。
いつも二人で行きたがるのに……。
「な、浴衣着て来いよな」
「え~!? この暑いのにぃ?」
今年の夏は半端ない。今までにない猛暑。
着物も浴衣も大好きだけど『汗で着物を汚したくない』なんて言うと、お姉さん達が口を揃えて私を変人扱いした。
そっかなぁ? 私、変?
「じ、じゃ、車で行こう。車なら涼しいだろ?」
「でも、ずっと渋滞だよぉ。だるいよぉ」
「大丈夫。運転すんのは俺なんだから」
「う~ん。……ね、ワンピじゃダメ? このあいだ可愛いの見つけたんだぁ。宇治茂まで行くならかなり遠出だしぃ。ね? ダメ?」
「え~!? 夏は浴衣だろぉ。浴衣着ろよぉ。いや、着てください」
結局押し切られた形になって、私は凛さんに浴衣を貸してもらった。
花見以降、柳は着物に執着しているように思えるけど、何でかな?
事の成り行きを凛さんに話すと『まるっきり恋人同士の会話ね』とからかわれ脇汗が出た。
柳に魅かれているのは確かなことだけど、正直戸惑っている。
付き合うって……どうなるのかしら?
晴華と付き合ってた頃、私は晴華を抱きしめたくて仕方がなかった。
肌と肌を合わせて、身体を重ねて愛し合いたいとに無性に思った。
だって、当然だろ? 好きなんだから、愛しているんだから。
でも、もし柳が私の事をそんなふうに思っていたら?
晴華の時は心は女であっても身体はオトコだった。
今は? 私の身体はまだ完全なオンナではない。
こんな身体を柳に見られたり、触られたりなんて事を考えると羞恥に塗れて気が狂いそうになってしまう。
決して柳の事がキライなんじゃない。
分かってる……。
ただ、私は自分の事が好きになれない儘なんだ。