113.悪戦苦闘。
「……でさ、こうやって腰をぐっとな……」
「キャ~ハハハ。米川さんたらぁ、やぁ~だぁ」
「何言ってんだ。まひるもそういうの好きだろぉ?」
「さぁ、どうかしらねぇ」
「まひるさん!」
あっ……。
伽羅ママが冷やかな眼差しを私に向けながら……微笑んでいる。
コ、コワイ……。
また、やってしまったか?
「はい……」
「まひるさん。松永様のお席に……」
ママが首を少し傾けて、私に戦力外通達を笑顔で言い渡す。
かぁ、出たよ……苦手オヤジ。
「かんにんえぇヨネさん、お話の途中で……」
「いいよいいよ。おい、まひる早く戻って来いよ」
「はい、いってきます」
私はそれまでのテンションが一瞬にして冷めるのを感じながら、松永様の席に着いた。
「いらっしゃいませ……」
「ふむ……」
「お久しぶりですね?」
「……」
「あ……今度は鳥取の方へ行かれたとか?」
「……」
重い沈黙の中で私は松永様に水割りを作り、コースターの上に置いた。
グラスを右手で持ち、袂がアイスペールやピッチャーに触らないよう左手を添える。
前にヒロミちゃんがやって見せた、袂を腕にクルッてみたいのはどうも行儀が悪いのだそうだ。
といっても、この方……。
“松永”様が仰ってるだけなんだけど……。
まひる……只今、修行中。
伽羅ママとの交渉結果、私は暫く(着物の着付けができるまで)伽羅バイトすることになった。
塾との兼ね合いもあるので、ゲイバーの方は当分お休み。
全然雰囲気が違うお店で働くのはちょっと不安だけど、お店に出る時毎回着物が着れるなんて、シ・ア・ワ・セ♡
な~んて、大甘でしたぁ。
美無麗のお姉さん達に激励されながら、リアルな女の世界に飛び込んできたものの……。
トホホ……。
そりゃあ、ちょっと(ホントは、かなり……)はビビってたけどワクワクの方が大きかった。
だって着物を着てお店に出れるってことは、私にとって最高の魅力なんですもの。
だから、最初にお襦袢の着かたを教えてもらっている時、つい笑みがこぼれた。
「嬉しいですか?」
「え?」
「お顔が笑ってますよ」
伽羅ママが私に着物を着つけながら、姿見に映っている私を見て微笑んでいる。
「はい、凄く嬉しいです。何ていうか……前に一度着せてもらった時もそうだったんですが、身体の芯がピンと張るような感じがあって……とても心地よかったんです。それに着物は本当に女性らしさを身に着けているって思えて……。女性らしさに少し近づけてるような気がして……。でも、こうして……人に裸を見せるのには……勇気がいります」
「ホホホ、最初だけですよ。後はまひるさんが一人で着るのですから、他の人に見られることはおへんえ」
「まぁ、そうなんですけど……」
「うふふ。まひるさんはお名前とは正反対のクヨクヨさんですか?」
「え? クヨクヨ?」
「だって”まひる”って、どう考えても明るいイメージしか湧きませんよ? そやのに、結構イジイジしてはるなぁ思てね。緊張してはるんやねぇ? せやないと、あのお店でNo2にはなれませんやろにぃ」
「はぁ……」
伽羅ママの京都弁は、言葉は優しいけど内容は吹き矢のように鋭い。
そして、そのギャップが心を抉る……。
「お顔が綺麗なだけでは通じまへんしぃ。特に純ちゃんとこのお店みたいなとこは、お客さんがチヤホヤしてくれませんものねぇ。それぞれが個性を磨いて一生懸命接客してはります。そういうところは皆さんしっかり地に足つけてお仕事してはるのが、ようわかりますわぁ」
うん……? 褒めてるの?
ママの会話が時々、私には全く理解できないときがある。
これでも一応、国語の講師なんだけどなぁ……。ガチで凹む……。
伽羅ママは店の女の子の名前を”さん”づけで呼ぶ。
ユキさん、チカさん、ヒロミさん、めぐみさん……。
理由は分からないけれど、何か学校の先生みたいな印象があって、私は昔見たアニメの家庭教師の先生を思い出す。
たしかぁ……ロッテンマイヤーさんだっけ?
う~ん、ちょっと違うかぁ?
あそこまで厳しくはないかぁ。
伽羅はお客様の年齢層が高いせいか、店の雰囲気は全体的に落ち着いている。
多分、伽羅ママはそういう雰囲気を壊さないように気を配っているんだろう。
女の子たちも、どっちかと言うと控えめだし……。
オーバーアクションでキャハハハハってのは滅多とない。
だから私がゲイバーのノリでついつい”キャハハ~”ってなると、ママからお声が掛かる。
私がビクッっとして振り返るとそこには、氷の微笑を浮かべたママが静かに佇んでいるの……。
そして、退場……。
でもって必ず苦手なお客様に着かされてしまうのよね。
今、私の前に座っている松永様……。
旅行が好きで定年退職後は日本全国を旅しているとか。
『今度○○に行くから何か土産を買ってこよう』
『ええ~ホントですかぁ? お待ちしてますぅ、楽しみぃ』
で……、土産には違いないが、いつも話だけ……。土産話かい!!
いつもは寡黙な方だけど旅行の後に店に来られると、それはもう喋る喋る。まるで別人……。
いやね、別に何か欲しいってわけじゃないのよ。
”買って来る”って言ったんだから、そこはやっぱ買ってこようよ。
『有言実行』
う~ん、何かモヤモヤしたものが残るのよねぇ。
言っとくけど、物じゃないのよ。物じゃ……。
それに、やっぱり年齢層が高いせいか昔話が多い。
『昔、俺はな……』って感じ。
若き日の活躍や成果を自慢する会話が多い。
若き良き時代ってとこかしら?
私の苦手がもう一人……。
和田様……。
昔は大工の棟梁だったとか。
店では、もっぱら”棟梁”で通ってる。
年は……80歳を超えているらしい。
凄いと思わない? 80歳を超えているのに、まだまだこういうお店に出入りして……。
背筋だってピンと伸びていて、とてもそんな風には見えないのよ。
この店には、そういう年配の方がたくさん来られるけれど、どの方も驚くくらい若く見えるの。
「ワシは昔、大工の勉強のために世界中の建築物を見たきた」
ほぅ……そんな時代に世界中をねぇ……。
ちょっと……その話、眉唾もんじゃないのぉ?
なんて思ってたけど、案外そうではないみたいだった。
建築のことなんか全然知らない私が聞いていても、面白おかしく興味か湧いた。
私が生まれて初めて外国へ行ってみたいと思ったのは、棟梁の話を聞いたときだったんだもの。
インターネットでヨーロッパ寺院って検索して、ケルン大聖堂の写真を見た時は大興奮だったんだからぁ。
しかも、あんなに素晴らしい建築物を棟梁は、
「あんなものは、最低じゃ! 日本の技術が世界一じゃあ!!」
って、世界遺産をバッサリ切っちゃうのよね。
それが、痛快っていうかワクワクするの。
じゃ何故苦手かって?
……早い話が、聞き飽きたの。
何度も、何度も……毎回、同じ話ばっかり……。
もう暗記してしまいました……。
そりゃ、美無麗でも同じ自慢話を何回も話すお客はいたわよ。
その時は『それ、聞いたよ』って突っ込んでおしまい。
でもここでは、それができないの。
皆、初めて聞くお話みたいに驚いたり、感心したり……。ほんと役者よねぇ。
私何だか気が抜けちゃって……。
だから、たまに若い客が来るとテンションが急上昇しちゃうのよねぇ。
で……。
「キャ~ハハハハ! や~だぁ!」
「まひるさん!」
ってなる訳よ……。
「まひるさんは、自分からお話しして楽しませることはとてもお上手。今度はお話を聞いて楽しませることを覚えてくださいね」
「はぁ……」
もう! わかんない!!