107.支配からの……。(朔也編)
うわぁ! 晴華先生だぁ。
ボクは嬉しさのあまり、思わず駆け出した。
先生がニコニコしながら両手を少し広げてくれた。
ボクはその腕の中に飛び込んだんだ。
「先生! どうしたの? こんなところで何してるの?」
「紅葉がね、あまりに綺麗で立ち止まってしまったの」
「そうなんだ。え? でも先生ってこの辺通ったりするんだ?」
「ううん、今日はお友達の所へ行った帰りよ。滅多に通ることはないわ」
「うわっ! じゃ、これってスッゴイ偶然なんだね。スッゲーやぁ!」
「あはは、朔ちゃんは随分と感じが変わったね」
「そ、そうかな……?」
「うん、しっかり男の子っぽくなってる」
「ホント!?」
「ええ、私はそう感じる」
晴華先生はそう言って優しく微笑んだ。
良いなぁ、この感じ……。
まるで陽だまりの中にいるような……。
晴華先生はいつだって、真っ直ぐにボクの目を見て話してくれる。
芙柚もそうだ。
それに、長尾さんも彩さんも……。
最初ボクは慣れなくて、ドギマギしてしまってよく目を逸らしていたんだ。
圧迫感……っていうのかな?
身体がカチンって動かなくなってしまうんだ。
だって、ママもパパもボクの顔を見て話したりなんかしない、ましてや目を合わせるなんて……。
学校の先生だって同じようなものさ。
だから、先生の顔なんかちゃんと見たことなかった。
でも芙柚達と話してたら目を合わせて話すことが当たり前になっていて、いつの間にか他人と話すときは相手の目を追っかけている自分に気が付くときがあるんだ。
だって皆、すぐに目を逸らしちゃうんだもの。
前のボクみたいに……。
他人と目を合わせて話すと不思議な事が起こるんだよ。
最初に気が付いたのは”顔“。
え? この人こんな顔してたっけ? って。
パパにしても、学校の先生にしても友達にしても……。
ボクが知っていた顔じゃなかったんだよ。
ボクが思っていたよりも色が白かったり、目が大きかったり……不思議だったなぁ。
それに気づいてから何だか周りの景色のトーンが変わったんだ。
すっごく明るくなった。
窓から差し込む日差しなんかキラキラして見えるようになったんだ。
まるで漫画みたいな感じでさ。不思議だろ?
目を合わせて話す人がいる場所は凄く明るいんだ。
と、同時にそんなふうに話せる人がいない場所は何だか暗く感じるようになった。
それが何故なのか未だに分からないけれど、ボクは今晴華先生の明るさの中にいる。
先生は明るくて優しくて、おまけにフワフワしていて一緒にいるだけで幸せな気分になるんだぁ。
「ね。先生このまま帰っちゃうの?」
「ええ。どうして?」
「ボク駅まで送ってくよ」
「え? 家はどの辺なの? 遠回りになるんじゃないの?」
「そんなの大したことないよ。ボク、もう少し先生と一緒にいたいんだ」
ひゃ~、言っちゃたよぉ。
顔がドンドン火照ってくる。
告白って……。もしかして、こんな感じぃ?
「あらぁ、どうしましょう」
「え? 何か急ぎの用事でもあるの?」
「ううん、その反対。実は、私も同じことを考えてたの」
やった!
ボクは心の中のデッカイげんこつをグッと握りしめた。
「髪の毛……切ったんだね」
「え? あっ、う、うん」
晴華先生の一言で急に気持ちがズンと重くなった。
どうしよう……。
あの時の事を話すべきか……。
で、でも先生は単純に見たままを言ってるだけだから、余計なことは言わない方がいいのかも知れない。
「もうすぐ中学だからね……仕方ないよ。だから、今から慣れとかないと……」
「そっか、そうだよね。うん、似合ってるよ」
「ホント!?」
「うんうん。バッチリよ」
うわぁ!
今まで色んな人から『似合ってる』って言ってもらったけど、晴華先生に言われたのが一番嬉しいや。
うおぉぉぉぉ! いけるぞぉ!
ボク、ガチで自信ついたもんねぇ。
「先生は髪、伸びたね」
「そうね。なかなか美容院に行けなくって、こんなになっちゃった」
「芙柚とおんなじくらいかなぁ?」
「え?」
「あ、吉村先生と……」
「ふふふ……。相変わらず仲がいいのね」
って、晴華先生があまりにもにこやかに言うもんだから、ボクの胸がチクッって……。
「う……。でも、今はそれ程でもない……んだ」
「あら、何かあったの? もう会ってないの?」
「ううん。先週の土曜日にも泊まりに行った」
「そう、なら……。あっ、喧嘩したな?」
「違うよ! 喧嘩なんかじゃないよ。芙柚が手のひらを返したんだよ」
「手の平?」
芙柚の名前が出てきた途端、忘れていたムカムカが蘇ってきた。
かぁー!! 芙柚のヤツぅ。
ボクは晴華先生に髪の毛を切った理由から今に至るまでの事を全部話した。
堰を切ったように話し出したボクに、先生は困惑して何度も話を中断させては質問してきた。
「ちょ、ちょっと待って。その時、お父さんはどうしてたの?」
「いつでも仕事だよ。でね……芙柚はね……」
ってな、感じでね。
ボク達は駅前広場のベンチに座って、長い間話し込んでいたんだ。
先生は“うん、うん”頷きながら聞いてくれた。
「でさ、この前泊まりに行った時。“お前、まだそんな事やってんの。ばっかじゃねぇ? 人生無駄遣いしてんじゃねぇよ”って言ったんだ。先生、ボク意味わかんないよ!」
ボクは思わず前のめりになって、晴華先生に訴えるように言った。
そしたら、先生はふぅって溜息を吐いてニッコリ笑うと、
「こいつぅ。かなりの悪戯っ子ね」
って言いながら、ボクのおでこを人差し指で突いた。
おでこは全然痛くなんてなかったけれど、テンションは駄々下がり……。
ボクは突かれたところを摩りながら先生の顔を見上げた。
「だって……。仕返ししたかったんだもん」
「うふ。そうよね、分かるわその気持ち」
「ホント?」
「当たり前じゃないの。先生だって悔しいって思う事あるもの。小さい頃、意地悪されたこともあるわよ」
「えぇ!? 先生が?」
「そうよ」
「先生が何で意地悪されるの? 信じられないやぁ」
「意地悪っていうのはする側の世界だと思うの。だから私には分からない、分からないから悔しかったり、悲しかったり、辛かったり。だって、私がこうだから苛められるんだって最初から分かってたら、まず自分に腹が立つと思うの『何で私はこうなんだろう?』って、でも理不尽なことには反発心がでてくるだけ。だから仕返ししてやりたいって思うのは当然の事だと思うわ」
「……」
「でね、思い出してみて。意地悪しているときって、いつもその人の事を考えてなかった? 今度はどんなふうに意地悪しようとか……」
「うん。考えてた、凄く楽しかったよ」
「そうよね。朔ちゃんが引き起こす事に相手が狼狽えたり、悔しがったり……あなたを中心にして反応するって愉快よね?」
「うん。まるで、アイツを操ってるみたいに思えるんだ」
ボクは、そう言いながらアイツにしてきた数々の嫌がらせと成功を思い出して爽快な気分になった。
「うん、それって面白いよね。多分、殆どの苛めっ子はそう思ってる」
「うん! 最っ高に面白い」
「でもね、考えてみて。朔ちゃんがいつもその人の事を考えているってことは、あなたがその人に縛られてるとも考えられないかな?」
「え? ボクがアイツに縛られてる?」
「そう、あなたの心にいつもその人がいるってことは、ある意味あなたの心がその人に『支配』されているって事と同じことだと思うの」
「支配……」
何故かボクはその言葉に身震いした。
身体中を何かでグルグル巻きにされる感覚、心が固まってしまって何も言えなくらる感覚。
刺すような目……。
これは……、誰の目?
「?? 朔ちゃん? 大丈夫? どうしたの?」
「ん? ううん、何でもない」
晴華先生が心配そうに、ボクの顔を覗き込んだ。
その時、とてもいい匂いがした。
「じゃ、いい? 続けるわよ。そうやって何かに支配されている時は、本来のあなたではないってことね。何かに囚われて、執着して、本来すべきことができないでいる自分……。それは、どう考えても朔ちゃん、本当のあなたではないと思うわ。分かるかな?」
「う……ん。何となく……」
ううん、何となくじゃない。
ボクの頭で『ハ!!』って、文字が浮かんだ。
漫画なんかである、主人公の頭の横に『ハッ!』っていう吹き出しがあるだろ?
何かに気が付いたとき、そんなふうに描いてあるのを見たことない?
「次の意地悪を考えてるときの朔ちゃんって、どんな感じ?」
「う……ん。授業中でも考えてるし、宿題するよりも意地悪を考えてる方が多い……」
「やっぱりねぇ。吉村先生はそういう事を言ってるんだと思うのよ。そんな些細なことに沢山の時間を費やすことが、あなたの大切な時間を遣うのが無駄じゃないのか? ってね。それに、そういうことなら私も吉村先生に賛成だな」
ちぇっ!
それならそうとちゃんと説明しろよ!
芙柚ってそういうとこ意地悪だよな……。
でも……きっと、芙柚はボクに宿題を出したんだ。
「先生、ボク……。勿体ないことしてたんだね?」
「そうだよぉ。もったいない、もったいたい」
「もったいない、もったいない」
「アハハハハ、もったいない、もったいな~い」
「アハハハハ」
晴華先生とボクは大笑いした。
周りの人達がいきなり笑い出したボク達に驚いてたっけ。
そんなことも含めて、笑い声はドンドン大きくなっていく。
そして、晴華先生は帰っていった。
ボクの淀んだ心の大掃除をして。
「ただいまぁ」
玄関の扉を開けるとアイツが驚いた顔をして立っていた。
そうだよな、『ただいまぁ』なんて言ったことないもの。
アイツは怯えたような眼差しをボクに向けている。
あぁ、こういうことなんだよね。
「もう、ボクはアンタに支配されないよ。だからアンタもボクに支配されることはないからね」
ボクはそれだけ言ってアイツの前を素通りした。
女はキョトンとした顔をしたけど、少し身体を強張らせたのが分かった。
アハ、うけるぅ。
自分で考えろ、ボクからの宿題さ。
ボクは、自分の部屋に入りながら呟いた。
もったいない、もったいない……。




