103.ショート。
母親か……? 父親か……?
塾長の質問が余りにも唐突過ぎて、俺は面食らった状態になった。
そんな事、考えた事もない。
というのが俺の答えだ。
しかし……。
この目の前にいる顔をしかめた、俺の答え次第で俺の考えを全てひっくり返しかねない人物にその答えを口にする事など出来る筈がない。
いや、正にそれを狙って今か今かと俺がボロを出すのを待ち構えているようにさえ見える。
待てよ……。
今までの会話はこの質問をする為の前振りなのか?
父兄の作り話をして、わざと俺を有頂天にさせ俺の思考に隙を作ったのか?
いや……、養子の事はさっきパソコンの画面を見た時に初めて知った筈だ。
俺だって朔也の事は昨日お姉さん達と話をしているときに、突然閃いたみたいなものなんだから。
塾長が前もって準備するなんてことはない。
となると……。
極めて自然な疑問?
俺は迷った。
正直にそのままを答えるか?
塾長の真意を探るような質問を返すか?
質問に質問で返すというような年長者に対して失礼なことはあまりしたくはないが、そのまんま答えて木っ端微塵に粉砕されるのも癪に障るってもんだよな。
果たして……。
「どうしたんだね? 考えた事もないかね?」
だからぁ~、そういうとこ嫌いだって言ってるでしょぉ!
勝手に人の心を覗かないでよぉ。
アンタ、ほんっと失礼よ!
「あ、あぁそうですね。考えた事……ないです」
俺はがっくり肩を落としながら答えた。
ちぇっ、悪いか。へん!
「ふむ。当然と言えるか……。私は植原君の家庭事情を全く知らないだがね。だから君が何故そういう考えに至ったかと言うのも理解していない」
「え? そうなんですか?」
「ああ、そうだよ」
「でも、パソコンの画面を見た瞬間、朔也……植原の事を仰いましたよね?」
「そりゃそうだろう、君が懇意にしている生徒を私が把握していないとでも? 君から見て私はそんなに無能な雇用主なのかね?」
「いや、決してそんなことはないです。ぼ、僕は塾長を尊敬してます」
「はははは、それは在り難いことだ。初めて知ったよその事は。君が私のことをそんなふうに思ってくれていることを知らないとは、やはり私は無能なようだ。あははははは」
「……ハハハ」
けぇ~、嫌味だねぇ。
尊敬はしてるけど、そういうとこは嫌いだよぉだ。
っていうことは……。
俺はここぞとばかりに、塾長に朔也の家庭事情を詳しく話した。
まぁ、ちょっと誇張してだな……。
い……や、ウソだ。
正直、盛りに盛って話した。
塾長を俺の味方につけようとする本能がそうさせたんだな。
まぁ、それは不可能な挑戦に近いことはわかっているさ。
だけど、少しでも俺の考えに頷いてくれる人が欲しかったんだ。
わかるだろ?
塾長は俺が話をしている間、朔也の家族構成について一つ二つ質問をしただけで、あとは何も言わずじっと耳を傾けていた。
そして話を聞き終わると、ゆっくり顔をあげて言った。
「原因と結果を性急に結び付け過ぎてはいないかね?」
「僕が短絡的だと仰るのですね?」
「率直に言うとそういうことだ。長い時間をかけて熟考したとは到底思えない物事の進め方だな。いや時間を掛けたからと言って必ずしも熟考と言えるものではないが」
塾長の言いたい事が分かってしまう自分に凹んだ。
そうだよなぁ。短絡かぁ。
英語で言うところの”ショート”だ。
電気がショートしたなんて言うだろ?
言葉的にあまり良い響きではない。
原因と結果を余りに早く結びつけることによって、将来的に故障に繋がるという意味を含んでるんだよなぁ。
だが、ここで引く訳にはいかないぞ。
「しかし、僕は……」
「ふむ……。では、私が今思ったことを話してもいいかな?」
「え? あぁ、はい……」
塾長は手の平を上げ、俺の言葉を遮るとそう言った。
「私は『養子縁組』については全く知識がない。今、君が言った『特別養子縁組』とか、十五歳になったら本人に選択する権利があるとか……」
「いえ。僕もさっきネットで見たばかりで詳しくは……。ただ、その可能性を……」
「うん。そのようだな」
塾長は又しても、片手を上げ俺の言葉を遮った。
「では、将来的に十五歳になった彼が君を選んだとしよう。君は彼を育て教育し、彼は高校・大学・社会人と成長していくだろう。そして、ある日女性を連れて来て『結婚したい』と言う。君は父親として紹介されるのか? 母親としてなのか? いや、植原君なら君の事情も話しそれを受け入れてくれる女性を選ぶだろう。しかし、その親御さんは? 果たして理解してくれるだろうか? 理解してくれればそれで良しだが、理解されなかったら? 理解して貰うべく時間をさかのぼり説明する。その為には彼の悲しい過去であったり、君が言うところの今の『心の虐待』であったりを話さなければならない。自分のことならまだいいとしよう。君のことまで話さなくてはならない状況に陥ったら? それこそ彼の心に負担がかかるのではないかな? 確かに君を選んだのは植原君だ。かといって、その責任を彼に担わせたままで君はいられるのか? もしかして君を選んだ事を後悔するかもしれない。君に出会った事でさえ恨めしく思うかも知れない。そんな葛藤の中の彼を君はどんなふうに救えるというのかな? その悩みや葛藤や苦しみをぶつけられたとき全てを受け入れ許す、その覚悟が君にはあるのだろうか?」
塾長は、そこまで一気に話し溜息を吐いた。
「いささか……酷な事を言っただろうか?」
「い……え」
「私は、ただ単に物事を悪い方に考えて石橋を叩けと言ってるんじゃない」
「分かっています。僕の覚悟のことを仰ってるんですよね」
「そうだ、あらゆる方向から考えるには君はまだ若い。ましてや人を育てる、子供を育てる事に関しては何も知らない。勿論、私達も知らなかった。結婚して子供が生まれて手探りで育ててきた。その点に関しては君も私もそう変わりはないだろう」
いや、大いに違う。
塾長の話を聞きながら頭の中で鮮明な映像が映し出されていた。
俺はその映像を見ながら、戸惑い放心し困惑した。
何一つ、解決法を見出す事なんてできやしなかったんだ。
「ひとつ訊いてもいいかな?」
「は、はい」
俺が返事をすると塾長は一息ついて訊いてきた。
「君は結婚するのかね?」
「え?」
「結婚だよ」
結婚……。
結婚は……晴華と別れた時に諦めた。
というか……俺の人生でないものにしたと言うのが正解だ。
「いえ……考えていません」
「うむ……」
ザワザワと何だか嫌な予感がする。
隠し持っている秘密を暴かれそうな……。
みぞおちの辺りにギュっと力が入り、急に気持ちがソワソワしだすあの感覚。
塾長は一体、何を言おうとしてるんだ?
「可能性は?」
「た、多分……ありません。僕は結婚できないと思います」
「できない……か」
「は……い」
わーーー!!
やめてくれーー!
なんだよぉ、何が言いたいんだよぉ。
「要するに普通なら結婚して家族を作るという将来が君にはないと君自身が自覚しているということかね?」
「そう……ですね、今の時点では……少なくともそうなります」
塾長は一旦、俺から目を逸らし目を瞑った。
そして、俺の顔を見ながら一瞬考え口を開いた。
塾長のその言葉は俺を驚愕させた。
「もしかして君は植原君を、君の人生というジグソーパズルを埋めるピースの一つにしようとしてはいないかね?」