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俺の恋。決めた恋。  作者: テイジトッキ
102/146

102.許された領域。

 感情的……。

 ママにも言われた。

 そして『あなたには何もできない』と……。

 塾長、アンタもまた同じことを言うのか?

 俺が言ってること考えていることって、そんなに反対されるような事なのだろうか?


 暫くパソコンの文字を眺めていた塾長が、俺に視線を移した。

 そして……。


「ふむ。時に、君は随分女性らしくなってきたように思うのだが……」


 は? 塾長……。

 いきなり何を言い出すかと思いきや……。

 俺は、突然の予測もしていなかった言葉に身体中が熱くなった。


「見た目も一瞬見た限りでは女性と見間違うようになってきている。以前はどちらか分からないところがあったようだが……進歩? 進化? 変化?」


 塾長の言葉の語尾は、何か考えながら独り言を呟いているようだった。

 が、俺はそれどころではなかった。

 みぞおちの辺りで発火した火照りが心臓を通り過ぎ、どんどん上へ上へと上がってくるのを感じていたんだ。


 な、何言ってんだよぉ。

 それ、今なのか?


 驚きと気恥ずかしさ、とまどいと嬉しさとが入り交った何とも言えない気分を味わいながら、首から顔全体が火を噴くような熱さに見舞われた。


「そ、そうですか? あ、ありがとうございます」


 普段の俺は男性的を気にしながら服装を選んでいる。

 大学を卒業してすぐに契約社員になった頃は、白か薄ピンクのカッターシャツとスラックス以外着ることはなかった。

 最近は少しラフな格好もするようになってきたが、中性的……が精一杯だ。

 家の近所ではスカートは絶対穿かないと家族に約束した手前女らしい服を着るのは、やっぱり“美無麗”の中だけだ。

 そのおかげで、俺はフラストレーションを溜めることなくやってこれているんだな。


 最近はドレスの胸元を見下ろすと限りなく平端ではあるが『谷間』ができている。

 ホルモン治療のおかげで微かに盛り上がった乳房を、”アゲ“”ヨセ“しながら、少しでも深い谷間に仕上げようと四苦八苦している。

 てっとり早く注射で胸を大きくして……。

 ポヨンポヨンの胸を持ち上げて胸元が大きく開いたドレスで……“っだっちゅうの!”をやりたい……。

 なんてことは、何度も考えたさ。

 だがな、世間はそんなに簡単じゃないことを俺は日々の中で勉強させてもらっている。


 大丈夫、今は我慢するんだ。

 自分に言い聞かせながら、店の控室でブラジャーの中に何枚ものパッドを詰め込むんだ。

 くぅ、虚しい……。


「な、何か保護者からクレームが?」


 以前、俺を辞めさせなければ子供を塾に通わせないと申し出た保護者がいた。

 その結果、通わなくなった生徒はいなかった。

 その頃通っていた生徒たちは、学年が持ち上がり今でも通い続けている。

 俺の憎らしくも可愛い生徒たちだ。


「クレームどころか君の病気の事を詳しく教えてくれと言う父兄がいる。子供達の口に戸は立てられないとは思っていたが、私が懸念するような方向には進んでいないようだ」

「僕の事を?」

「ああ、そうだ」


 そんな事……。

 聞いたことなんかないぞ。

 塾長は作り話をしているんじゃないか?

 俺は塾長の顔をマジマジと見た。


「君は私が作り話をしているのではないかと思っているのかな?」


 うぇ~。俺、この人のこういうとこキラ~イ。

 俺が分かり易いのか、この人が鋭いのか……。

 心が見透かされている感覚って、ほんっと嫌だぞぉ。


「ふむ……。少しずつ女性的な服装に偏っていってもいい時期かもしれないと思うのだが、君はどうだろう」

「え? ほ、本当ですか?」

「ああ、だが出来れば……まだスカートは控えて欲しい。これは私個人の希望なんだが」

「塾長の?」


 塾長はコホンと咳払いをして、俺から目を背けた。

 何だか、少しバツ悪そうな表情を浮かべているように見える。


「い、いや……君の過去を知ってるだけに……どうも……。君の変化に私がついていけてないんだな」


 は?

 うっ……くっ、ぷっ!

 ヤバイ! 笑える! 笑うな! 

 ダメだぞ! 俺。笑うな!


 俺は必死で笑いを堪えた。

 しっかし、驚きだなぁ。

 塾長はいつから俺にこの話をしようと思っていたんだろう。

 俺の変化に自分がついていけない、なんてことまで言わなくてはならない決心をするのにどれくらいの時間を要したんだろう。

 塾長は自分が出来ないことは決して言わない主義だ。

 それを押してまで、俺に女性的であっていいと許しているんだ。

 なんと、あり難いことじゃないか。

 父兄が俺のことを理解しようとしてくれているこの好機を逃してはならないと言ってくれているんだよな。

 何が、この頑な塾長を動かしたんだろう。


「大丈夫ですよ。そんな急に丸っきり女物の服に変えたりしませんよ。だいたい今の女性はパンツが多いですからね」

「そ、そのようだな……」


 うわっ! 塾長ぉ、可愛いぃ!

 もしかして、テレてる?

 塾長のこんな顔、他の教員とか生徒とか……絶対、見たことないと思うぅ!


「と、とにかく君は君の思うように君を表現していい時期がきたと私は思う」

「ありがとうございます!」


 うっそぉ~。

 なんだぁ? この展開はぁ~。

 ああ、明日は何着て来ようかなぁ。

 といっても、そんなに女物の服なんか持ってないし……。

 麻由に借りる?

 い~や、そんなダサいことなんてしなくていいんだ。

 これからは、俺の、俺だけの服を買おう!

 きゃ~、お買い物行かなくっちゃぁ~!

 え~、ホントにいいのぉ?


 あからさまに喜ぶ俺を見ながら、塾長が苦笑しながら訊いてきた。


「嬉しいかね?」

「そりゃ嬉しいですよ。これでも本当に気を遣ってきたんですよ。子供の気が散らないようにとかも考えたりして。先生が仰ってたんじゃないですかぁ」

「確かにあの頃はそうだった。しかし、今では君が女性であることが環境の一部になっているように思えたのでな」

「環境の一部?」

「私が男であるという環境。母親が女であるという環境。当たり前のことが当たり前である環境は人の考慮にならないのだよ」

「人の考慮にならない?」

「そう、目の前にある当たり前の事をあるがままに素通りするということだ」

「素通り……」

「君が女である事に、今はもう誰も立ち止まって考える事はないという事だ」


 俺は塾長のこの言葉に胸が熱くなった。

 もしかして、ここにいる人達は俺が女でいることが自然だと言ってくれている?


「あ、あ……りがと……ございます」


 感謝の言葉が詰まってしまう……。

 ハラハラと頬を伝う涙……。

 こんな……こんな時が……本当にやってくるなんて……。


「まぁ、とはいっても今はまだこの中だけの狭い領域でしか許されてはいないが……」

「いえ……十分です……。私にとっては……十分です」


 そうさ、贅沢は言わない。

 それでも、たくさんの人の気持ちが俺を許してくれているのだから。

 これ以上ない喜びと言っていいくらいだ。


「して……、戸籍は女になるのかね?」

「将来的には考えていますが、今はまだ……」

「そうか……」


 そこまで言って俺に視線を向けた塾長の顔が、さっきまでの優しげであり得ないほどの可愛らしさまで感じられる表情ではなかった。

 いつもの額に皺を寄せた、人を刺すように見るあの眼差しに戻っていた。


「では、話を戻そう」

「は? 話を戻すとは?」


 塾長は顎をクィっと上げ、聞き返した俺の後方に視線を投げた。

 へ?

 俺はその顎の動きにつられ、後ろを振り返る。

 そこには『養子縁組』の単語が映し出されているパソコンの画面があった。


 あ……。

 そうだ、俺はすっかり舞い上がってしまっていて忘れていたんだ。


「君に幾つか、訊ねたい事がある」

「はぁ、どうぞ……なんなりと……」


 うわ……。

 なんか空気が変わったぞ。

 俺は急に胸が締めつけられる緊張感に襲われた。


「もし、君の思うように彼を養子にできたとして……。君は母親なのか? 父親なのか?」








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