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毎朝満タンのトラックで、異世界をゆっくり走る。  作者: たむ


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冷たい衝撃

文明の差は、たいてい言葉や建物で気づくものだと思っていた。でも本当は、体の奥に落ちる温度でわかる。冷たい一口は、誰の理屈も追い越して心を掴む。彼が持ち込んだのは派手な武器ではない。ただの飲み物だ。けれど渇きの世界では、それが奇跡になる。そして奇跡は、いつだって人を集める。

煙の筋は、遠くから見たより近かった。丘を二つ越えると、木柵に囲まれた小さな集落が現れた。家は木と土で作られ、屋根は藁。道は踏み固めた土で、ところどころに石が転がっている。トラックのエンジン音が近づくにつれ、人影が動いた。最初は怯えたように、次に好奇心で。彼はスピードを落とし、なるべく威圧しないように停めた。

窓を開けると、焚き火と家畜の匂いが混ざって流れ込む。言葉が通じるか不安だったが、こちらを見る顔つきは、彼の知る人間と変わらない。

「……すみません、ここ、どこですか」

自分の声が、妙に浮いた。返事は、もちろん日本語ではない。けれど、相手の言葉の抑揚や表情から、困惑と警戒は読み取れる。

そのときだった。木柵の外れから、子どもの叫び声が上がった。

「うわああっ!」

同時に、獣のような唸り。村人の何人かが槍を持って走る。彼も反射的にそちらを見た。柵の隙間から、小さな影がこちらへ転がるように逃げてくる。少年だ。背後には、犬に似たが頭が不自然に大きい生き物が二匹、牙を剥いて迫っていた。

彼の体は勝手に動いた。補充員の仕事は命がけではない。でも夜道で不審者に絡まれることはある。危険に対する“逃がす間”の作り方だけは、身についていた。

彼はハンドルを切り、トラックを少年と獣の間に滑り込ませる。ブレーキ。クラクション。

バァァァン!

音が草原を裂き、獣が怯んだ。村人たちも一瞬止まる。獣は耳を伏せ、後ずさりし、最後は森へ逃げ込んだ。

静寂が戻る。少年は地面に座り込み、肩で息をしている。彼は運転席から降り、ゆっくり近づいた。手を見せる。敵ではない、と伝える仕草。少年は怯えながらも、目だけは彼の顔とトラックを交互に見た。

村人たちが槍を構えたまま集まる。誰かが怒鳴り、誰かが祈るように呟く。言葉はわからない。でも、さっきの音と鉄の箱が彼らの常識にないことは、顔に出ていた。

彼は喉が渇いた。緊張で口の中が粘つく。ふと、少年が自分の喉を押さえているのに気づく。渇いているのだ。

彼はトラックへ戻り、荷台からペットボトルのスポーツドリンクを一本持ってきた。冷えたままのボトル。結露が指に張り付く。彼はキャップを少し回し、少年に差し出した。

少年は匂いを嗅ぎ、恐る恐る口をつけた。

次の瞬間、目が丸くなる。

「つ、つめたい……!」

言葉が通じたわけではない。だが“冷たい”という感情は、世界共通らしい。少年は何度も確かめるように飲み、喉を鳴らし、涙目になった。村人たちがざわめく。ひとりの女が前へ出て、少年の口元を拭い、残りを見つめた。

彼は手のひらでボトルを示し、ゆっくりと「飲む」と言ってみせた。女はおそるおそる受け取り、ほんの一口だけ口に含んだ。

その顔が、驚きでほどけた。

炭酸ではない。甘さも強くない。なのに、温度だけで世界が変わる。冷たい水分が、体内の熱を奪い、渇きを鎮める。彼らにとってそれは、井戸水や川の水とは別物だった。

男が近づき、手を伸ばす。彼はすぐに渡さない。代わりに、自分のポケットからパンを出す真似をして、交換のジェスチャーをした。相手は理解したらしく、腰袋から小さな革袋を出した。中には、銀色の硬貨が数枚。

硬貨を受け取るのは怖かった。価値がわからない。詐欺かもしれない。だが、物々交換を拒むのも危険だ。彼は硬貨を一枚だけ受け取り、ボトルを渡した。

村人たちの表情が変わった。“取引”として成立した瞬間、奇跡は少しだけ安心に変わる。奇跡が無償だと、人は恐れる。対価があると、人は管理できると思い込む。

「……商い、ってやつか」

彼は自分の世界の言葉で呟き、笑いそうになった。異世界でも結局、人は交換して生きる。

その後、彼は村長らしき老人に家へ招かれた。言葉は通じないが、身振り手振りと、ミネラルウォーターを一本渡すことで、会話はなんとか進む。老人は地面に棒で簡単な地図を描いた。森、川、街、そして遠くに大きな城の絵。

彼は指で自分を示し、空から落ちてきた、と両手を広げた。老人は眉をひそめ、胸に手を当て、何かを祈るように呟いた。神話か呪いか、いずれにせよ彼は“来訪者”として位置づけられたらしい。

夜、村の外れにトラックを停めさせてもらい、彼は荷台で休んだ。村人が見張りを立てている気配がある。敵意ではなく、好奇心と恐れの混ざったものだ。

彼は一本だけ炭酸水を開けた。プシュッという音が闇に響き、外の見張りが驚いてこちらを見た気配がする。彼は苦笑しながら口をつけた。冷たい泡が舌を刺し、喉を滑り落ちる。

もしこの世界で炭酸が広まったら、どうなるだろう。

冷たい飲み物が当たり前になったら、何が変わるだろう。

そして、自分のトラックが毎朝補充されることが知られたら。

彼は缶を置き、寝袋に潜り込んだ。

眠りの直前、外から少年の小さな声が聞こえた気がした。さっき助けた少年だろう。言葉はわからない。でも、声の温度だけは伝わる。たぶん、ありがとう。

彼は目を閉じた。

明日の朝も、荷台は満タンなのだろうか。

その“当たり前”が、彼にとって救いになるのか、鎖になるのか。まだわからない。

冷たい飲み物は、この世界では「味」より先に「体験」です。だから言葉が通じなくても価値が伝わる。第2話では取引が成立し、奇跡が“商品”へ姿を変えました。次は、噂と欲が動き出します。彼が守りたいスローライフは、静かに試されていきます。

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