変わらぬ朝の違和感
夜が地獄でも、朝は無慈悲に同じ顔でやってくる。満タン。満載。何事もなかったように。昨日、あれほど配り、あれほど投げ、あれほど守ったのに、荷台は整然と戻る。その便利さが、今日は慰めにならない。むしろ恐ろしくなる。無限が続くということは、どこかで帳尻が合っているはずだ。合うために何が削られているのか。彼は初めて、その影を探し始める。
夜の戦いが終わったあと、彼はほとんど眠れなかった。荷台の隅で目を閉じても、体当たりの衝撃が腕に残っている。クラクションの余韻が耳に残っている。ミアも静かで、珍しく彼のそばから離れなかった。
朝が来た。
彼は機械の習慣で、最初に燃料計を見た。満タン。
次に荷台を開けた。
満載。
昨日、箱ごと引きずり出して渡した水も、スポーツドリンクも、炭酸も、すべて元通りに整列している。箱の角も戻っている。ラベルの向きすら揃っている。
「……ほんとに、何なんだよ」
声が掠れた。
村人たちが近づいてきた。顔は疲れているが、目には安堵がある。村長が硬貨と食料を差し出し、通訳が言う。
「あなたに払う。昨夜の分」
彼は受け取りかけて、手が止まった。昨夜の分。
昨夜の分は、どれだけだ。
数えられない。
無限が戻したものに、値札を付ける意味があるのか。
彼は食料だけ受け取り、硬貨は半分押し返した。通訳が驚く。村長も驚く。
「あなた、怒っている?」
彼は首を振る。
「違う。払えない額を、払わせたくない」
それでも通訳は完全には訳せない。
彼は結局、硬貨を少しだけ受け取った。受け取らないと、相手の尊厳を傷つける。取引は対等の形だ。対等でないと、信仰が生まれる。
村では修復が始まった。折れた柵に木が当てられ、血の跡が水で流され、死んだ獣の死骸が運ばれる。
彼は手伝いたかったが、手伝えばまた「奇跡の箱の男」が英雄になる。英雄は、縛られる。
ミアが村の子どもに囲まれていた。昨日の夜、彼女が何度も走り回っていたのを見ていたのだろう。子どもたちは耳に触れたがり、ミアは嫌がりながらも逃げずに耐えている。彼は少し笑った。
笑ったあと、胸が沈んだ。
満タンが戻るたびに、彼の世界は“やり直し”を許されている。壊しても戻る。使っても戻る。
それは優しさのようで、同時に残酷だ。
戻るなら、責任が薄れる。
薄れた責任は、乱暴な選択を呼ぶ。
彼は昨夜、迷いなく炭酸を投げた。迷いなく箱を渡した。
もし戻らなかったら、あんな使い方はしなかった。
「無限は、人を雑にする」
自分の言葉に、ぞっとした。
ミアが戻ってきて、彼の袖を引いた。彼の顔を覗き込み、眉を寄せる。心配している。
彼はミアに微笑もうとしたが、うまく笑えない。
そのとき、村の老人が近づいてきた。老人は彼の手を取り、何かを祈るように呟いた。通訳が小声で言う。
「あなたの箱は、世界の穴を塞ぐ、と言っている」
「世界の穴?」
通訳が肩をすくめる。伝承だろう、と。
世界の穴。
その言葉が、胸の奥に刺さった。
もし補充が“穴を塞ぐ”なら、穴はどこに開いている。
彼は空を見上げた。青い空。雲。何もない。
だが何もないということは、見えない場所で何かが起きているということでもある。
彼は思い出そうとした。元の世界のこと。
会社の制服の色。いつも寄るコンビニ。上司の苗字。
思い出せる。
けれど、昨日よりさらに薄い。紙の印刷が滲んだみたいに、輪郭がぼやけている。
彼は喉が渇いた。水を一本開け、飲んだ。冷たさが体に落ちる。
その冷たさが、今日は怖い。
「代償は、俺かもしれない」
呟いた。
ミアが首を傾げる。わからない。
彼はトラックに乗り込み、村を出る準備をした。村長が見送る。村人が手を振る。感謝と、惜しむ目。
彼は手を軽く上げて応えながら、心の中で決めた。
補充の理由を探る。
探さなければ、いつか自分が空っぽになる。
荷台が満タンのまま、自分だけが減っていく気がした。
第14話は「満タンの恐怖」です。戻る便利さが、責任感を溶かし、代償の影を濃くします。老人の言葉「世界の穴」は謎への入口であり、彼の記憶の薄れとも繋がりそうです。次話から物語は内面へ踏み込みます。彼の記憶に小さな欠けが現れ、その正体を探る旅が始まります。




