一夜だけの解禁
節度は武器にならない夜がある。守るべきものが目の前で燃え、数を数えている暇がない夜だ。百本の線は、平時のための線だった。非常時には、線そのものが人を殺す。彼は補充員として生きたい。でも今夜は、配給者でも商人でもなく、ただの救助者にならなければならない。無限が許されるのは、欲のためじゃない。命のためだ。
干ばつの村を出て数日、彼らは森と平原の境目にある集落へ着いた。柵は高く、見張り台もある。村人の顔つきが、これまでより硬い。外の危険が近い場所なのだろう。
村長は若い男で、腕に傷跡が多かった。彼はトラックを見て驚きながらも、すぐに話を切り替えた。通訳の言葉でようやく理解する。
「この辺り、魔物が増えている。夜が危ない。今日は泊まってくれ。見返りは払う」
泊まることは避けたかった。だが森を越えるには夜になる。野宿はもっと危険だ。彼は頷いた。
夕方、村の広場で少量だけ水を売った。百本の線は守る。村人は感謝し、硬貨と食料を差し出す。穏やかだった。
問題は、夜だった。
日が沈み、焚き火が点になった頃、見張り台から角笛が鳴った。低く、短く、何度も。警報だ。
村人が走る。槍を持つ者、弓を持つ者。女たちが子どもを家へ押し込む。空気が一気に変わる。
ミアの耳がぴんと立ち、彼の袖を掴んだ。森の方角から、重い足音が聞こえる。複数。地面がわずかに震える。
柵の外に影が見えた。狼のような獣が群れ、さらに大きな影がうごめく。角のある熊のようなもの、硬い甲殻を持つもの。数が多い。
彼は息を呑んだ。盗賊とは違う。ここで逃げても、村は壊滅するかもしれない。
村長が彼に叫ぶ。通訳が叫び返す。
「あなたの水!戦う者に!子どもに!」
彼の胸が強く打つ。
百本では足りない。
彼は迷う暇を捨てた。荷台の鍵を開け、箱ごと飲み物を引きずり出す。水、スポーツドリンク、缶コーヒー。糖分とカフェインが役に立つ。村人が駆け寄り、受け取って走る。
配る。配る。数を数えない。
柵の外で獣が体当たりを始めた。木が軋み、悲鳴が上がる。矢が飛び、火が投げられる。
彼は次に炭酸のケースを掴んだ。
「泡は怖い。でも、音は武器だ」
彼は缶を強く振り、柵の外へ投げる。開けずに投げるのは危険だが、今は時間がない。缶が地面に当たり、プシュッと噴き、白い泡が月明かりに散る。獣が怯む。未知の匂いと音。
さらに数本。噴き上がる泡が、柵の前に白い壁を作る。壁はすぐ消えるが、獣の突進を一瞬だけ鈍らせる。
村の戦士たちがその隙に槍を突き、矢を射る。
だが群れは減らない。
柵の一部が折れた。獣がなだれ込む。
彼はトラックのエンジンをかけた。
ヘッドライトが闇を切り裂く。エンジン音が村の中心へ響く。獣が振り向く。
彼はトラックをゆっくり前進させ、破れた柵の前に車体を横付けした。鉄の壁で穴を塞ぐ。
獣が体当たりしてくる。車体が揺れる。ハンドルが震え、歯が鳴る。
ミアが助手席から飛び出し、窓越しに叫ぶ。彼女の爪が何かを投げた。石か、短い槍か。
彼はクラクションを鳴らし続けた。
バァン!バァン!
音は獣を苛立たせ、同時に怯ませる。村人の士気も上がる。
夜が長い。
彼は荷台を開けたまま、村人に飲み物を渡し続けた。倒れた者の口に水を含ませ、震える子どもに甘い炭酸を一口だけ与える。泣き止む。
「今夜だけだ」
自分に言い聞かせる。
無限を、欲望ではなく、防波堤として使う。
やがて東の空が薄くなった。獣の群れが散り始める。太陽が昇ると、彼らは森へ引いていった。
村には傷が残った。壊れた柵、血の匂い、疲れ切った顔。
村長が彼に近づき、深く頭を下げた。通訳が言う。
「あなたがいなければ、村は終わっていた」
彼は首を横に振る。
「俺だけじゃない。みんなが戦った」
だが村長は、荷台を見た。空になりかけたケース。
彼は見せたくなかった。無限の証拠は、新しい欲を呼ぶ。
それでも朝は来る。
村人が片付けを始める中、彼は荷台を閉め、息を吐いた。
上限を外した。
外す必要があった。
だが一度外した線は、次から引き直しにくい。
それが、彼の新しい不安だった。
第13話は非常時の「解禁」です。彼は百本の線を捨て、命のために無限を使いました。トラックは盾になり、炭酸は威嚇になり、飲み物は士気と救護になった。一方で、無限を見せた代償は必ず残ります。次話では、翌朝の“変わらなさ”が彼を刺します。満タンが続く限り、何かが失われているのではと。




