干ばつの村で
百本という線は、平穏な日にこそ機能する。だが天気は約束を守らない。雨が降らなければ井戸は枯れ、畑は割れ、秩序は渇く。彼の荷台は毎朝満タンで、数字はただの線に過ぎなくなる。助けたい気持ちは本物だ。けれど助ければ助けるほど、人は自分で立てなくなる。今日、彼は優しさと節度の間で、最も苦しい選択を迫られる。
風が乾いていた。草は色を失い、踏めばぱさりと音がする。川沿いを選んで走ってきたはずなのに、水面が低く、石が露出している。ミアも口数が少ない。耳がしきりに動くのは、暑さのせいではなく、周囲の気配が張り詰めているからだ。
彼らが辿り着いた村は、小さかった。柵はあるが歪み、畑はひび割れ、井戸の周りに人が集まっている。桶を覗き込み、ため息をつく。空気に焦げたような匂いが混じるのは、枯れ草を燃やしているからだろう。
彼はトラックを村の外れに停め、ミアと歩いて近づいた。視線が一斉にこちらへ向く。噂で知っている者もいる。だが目の色が違う。好奇心ではなく、切迫だ。
片言の共通語を話せる男が出てきた。頬がこけ、唇が乾いている。
「雨、来ない。井戸、死んだ。子ども、飲めない」
言葉が短い。余計な説明の余裕がない。
彼は胸が重くなった。ここで百本の線を引けば、恨まれる。引かなければ、村は彼に寄りかかる。どちらも地獄だ。
村の中央に案内されると、井戸の底が見えた。湿り気はほとんどない。水が残る桶を奪い合う気配すらある。秩序が薄い。
彼は地面に百の線を描こうとして、手が止まった。百では足りない。ここでは水そのものが足りない。
ミアが彼の袖を引き、子どもたちを指差した。日陰に座り、ぼんやりしている。目が乾いた光を失っている。
彼は決めた。
今日は売らない。配る。だが無限に配らない。
彼は地面に大きな丸を描き、その中に小さな丸をいくつも描いた。家族単位。次に、一本指を立て、丸を指した。ひと家族一本。
通訳の男が村人に説明する。ざわめきが起こる。一本では足りないという声もある。だが、一本もないよりはいい。
彼は荷台へ戻り、水だけを箱ごと持ち出した。冷たいミネラルウォーター。結露が腕を濡らす。村人の目が吸い付く。
配布は村長格の女に任せた。権威がないと奪い合いになる。女は頷き、家族の数を数え始める。
最初の一本が子どもの手に渡った瞬間、村の空気がわずかに緩んだ。子どもが震える手で口をつけ、喉を鳴らす。母親が泣き、周囲も涙を拭う。
彼の胸が痛んだ。
この一口は、確かに救いだ。
だが救いは、同時に依存の入口だ。明日も欲しいと言われる。明後日も。雨が降るまで、ずっと。
配り終えると、女が彼に頭を下げた。通訳の男が言う。
「神のようだ」
彼は首を横に振り、胸を指す。
「違う」
それでも彼の否定は弱い。冷たい水がここでは神話になる。
夜、村の外れで焚き火を見ながら、彼はミアに上限を示す線を描いた。今日配った本数は百を超えた。百五十。
ミアは不満そうに耳を伏せる。もっと配りたいのだろう。
彼は小さく息を吐く。
「明日も配れば、この村は井戸を掘らない。雨乞いしかしない。俺を待つ」
言葉は通じない。だが彼は、地面に井戸の絵を描き、掘る仕草をし、汗を拭う仕草をした。
ミアはじっと見て、やがて、ゆっくり頷いた。
翌朝、荷台は満タンだった。
満タンの安心が、今日は残酷に感じる。
彼は村へ戻り、女に伝えた。
「今日は同じ。ひと家族一本。井戸を掘る者には、追加で一本」
努力に報いる。依存に報いない。
怒る者もいた。だが、井戸掘りの道具を持つ若者が現れた。土を掘る音が響く。
彼はその音を聞いて、少しだけ胸が軽くなる。
水は配る。だが未来は配らない。
それが、彼の干ばつへの答えだった。
干ばつは「節度」を試します。彼は無償配布を選びつつ、家族単位と井戸掘りへの加点で依存を抑えました。それでも百本の線は揺らぎ、彼の心も揺れます。次話では、その揺らぎが現実になります。善意が強すぎたとき、村の努力が止まる。彼は初めて、自分が壊したものを見ることになります。




