第5章 兄の背中と、気になる背中
カイル・アルディアは、城の回廊を歩きながらため息をついた。
(兄上は、本当に……)
思い出すのは、数日前の出来事。
使用人の少女――アリシア・ルミエールと出会ったあの日。
兄である第1王子、レオニス・アルディアが、あそこまで柔らかい表情を見せるのは珍しい。
しかも相手は、ただの使用人の少女だ。
(いや、ただの、じゃないな)
カイルは無意識に、口元を緩める。
元気で、表情がころころ変わって、
どこか放っておけない。
「……面白い人だよね」
誰に言うでもなく、呟いた。
◆
数日後。
アリシアは城の中庭で、洗濯物を干してい
た。
「よいしょ……」
背伸びをして、布を竿にかける。
少しだけ届かなくて、つま先立ちになる。
「……取ってあげようか?」
背後から声がして、アリシアはびくっと肩を揺らした。
「わっ」
振り返ると、そこにいたのはカイルだった。
「カ、カイル殿下!?」
「そんなに驚かなくても」
くすっと笑いながら、洗濯物を受け取る。
「はい」
軽々と竿にかける姿に、アリシアは目を瞬かせた。
「ありがとうございます……!」
「どういたしまして」
そう言いながら、カイルはアリシアを観察する。
(近くで見ると、やっぱり不思議だ)
気取っていない。
でも、礼儀がないわけでもない。
「ねえ、アリシア」
「はい?」
「兄上、怖い?」
突然の質問だった。
「えっ」
アリシアは少し考えてから、首を振る。
「ぜんぜん怖くないです」
「……即答かぁ」
カイルは少し意外そうな顔をする。
「優しい人だと思います」
そう言ったアリシアの声は、素直だった。
(……あー、これは)
カイルは内心で苦笑する。
(兄上が惚れるのも、分かる気がする)
◆
それからというもの、カイルはよくアリシアの前に現れるようになった。
回廊で。
中庭で。
時には、仕事の合間に。
「また殿下ですか……」
リオがぽつりと呟く。
「え? だって偶然だよ?」
アリシアは本気でそう思っている。
(いや、偶然じゃない)
リオは心の中でそう突っ込みながら、言葉にはしなかった。
カイルは、アリシアと話すのが楽しかった。
少し天然で、
話がたまにずれるけれど、
それが逆に心地いい。
「ねえ、アリシア」
「なんですか?」
「好きなものってある?」
「あります!」
即答だった。
「甘いパン!」
「……子どもか」
「えー!」
アリシアがむっとすると、カイルは声を立てて笑った。
(こういう顔、兄上には見せないだろうな)
ふと、そんなことを思う。
◆
その日の夜。
「カイル」
レオニスが声をかけてきた。
「最近、あの子とよく話しているね」
「まあね」
軽く答える。
「兄上が気になってる人だし、応援しようと思って」
それは、嘘ではなかった。
「……そうか」
レオニスは少し安心したように微笑む。
その横顔を見て、カイルは胸の奥がちくりとした。
(応援、ね)
自分で言っておいて、妙な違和感が残る。
アリシアが笑う顔を思い出す。
無防備で、まっすぐで。
(……あれ?)
その感情に、まだ名前はなかった。
ただひとつ確かなのは。
兄の恋を手伝うはずだった自分の心が、
少しずつ、別の方向へ向き始めているということだった。




