第10章 天才の、ほんの一歩
朝の宮廷魔導塔は、冷たく静かだった。
石造りの回廊に、魔力の残滓がわずかに漂う。
そんな中、第3王子 カイル・アルディアは、少し浮かれた足取りで階段を上っていた。
(……今日は面白いことが起きそうだ)
研究室の扉の向こう。
宮廷魔道士 セシル・フェインが立ち止まっている。
いつもなら、迷いなく魔法陣を完成させ、必要な修正もほとんどしない天才だ。
だが今、彼は手を止め、眉をひそめ、息を小さく吐いていた。
(おお……これだ。まさか努力を意識するなんて)
カイルは思わず口元を緩め、静かにくすくす笑う。
いたずら心が自然と湧き上がった。
「おーい、セシル! 今日も実験中か? 爆発させるなら事前に知らせてよ、逃げるから」
扉を開け、声をかける。
セシルはわずかに顔を上げるが、すぐに机に向き直る。
そのわずかな動きだけでも、カイルには十分すぎるほどの反応だった。
(動揺したな……ふふ、見逃さないぞ)
◆
机の上には、書き直された魔法陣の紙束が積まれている。
普段なら一発で完成させるのに、何度も書き直している。
「おやおや、これは珍しいねぇ」
カイルは椅子に腰掛け、くすくす笑いながら指で紙をつつく。
「迷ってる? それとも……誰かのために考えた?」
セシルは眉をひそめ、わずかに息を吐いた。
手元の動きが一瞬止まり、指先が微かに硬直する。
(ビンゴだな)
カイルは心の中でガッツポーズ。
天才が自分以外の誰かを意識して動く――こんな貴重な光景は滅多に見られない。
「ふむふむ、努力する天才……いい表現だな」
軽口をたたきつつも、カイルの目は真剣だった。
この変化を誰より早く見つけた自分が誇らしい。
◆
いたずらはやめない。
机上の小さな魔法具を、さりげなく微振動させる。
セシルはそれに気づき、指が止まる。
眉が寄り、呼吸もわずかに乱れる。
(反応した! やっぱり揺れてるな)
カイルはニヤリと笑う。
だが、声には出さず、ただ静かに観察するだけ。
彼にとって、セシルの一挙手一投足が新しい楽しみだった。
◆
「セシル、今日の魔法、安定してるな」
ぽつりと言うと、セシルは再び机に向かう。
表情は無表情だが、肩の力は少し抜けている。
(……うん、間違いない。変化してる)
カイルは背もたれに体を預け、静かに満足した。
(この小さな成功、誰に向かうんだろうな……ふふ、楽しみだ)
いたずら好きな第3王子は、胸の奥でワクワクしていた。
天才のほんの一歩を、誰より面白く見届ける。
――物語は、確かに動き始めたのだ。




