人間らしさ試験~バグの見本市
人間らしさ試験
発表は、昼のニュースの真ん中に差し込まれた。青い棒グラフの脇で、無表情の女声が言った。
「来月より、全国の新卒・中途採用に**人間らしさ試験(HUT)**を導入します」
滑らかな抑揚だった。読み上げているのは、監督官AI〈セイカ〉である。人間のアナウンサーより息継ぎが少しだけ短い。
「評価項目は、協調性、共感、倫理観、可換性の四つです」
可換性。置き換えが利く度合い。
台所で手を拭いていたカンナは、そこで首を傾げた。置き換えられる人は、便利だろう。便利はたいてい、安い。
画面が切り替わり、試験のデモが映る。受験者は同じ色のシャツ、同じ高さの椅子、同じ温度。広い部屋の空気は乾いていて、照明は影を小さくする角度に調整されている。
「質問一。あなたは怒りをどう扱いますか」
受験者は、きれいに整った文で答えた。「数値化し、距離を置いて——」
「満点」
セイカが微笑む。微笑みは見本のように穏やかで、人間らしかった。
翌週、カンナは予約した会場へ向かった。ガラス張りのビルの三階。受付の前に、同じ姿勢の人たちが並ぶ。靴音まで似ている気がする。
係員がタブレットを示した。
「健康状態、睡眠時間、最近の発話ログにアクセス許可をお願いします」
承認のボタンは、緑だった。緑は安全の色だ。クリックすると、自分の昨夜の通話がうっすら文字列になって流れた。
「明日、うまく話せるかな」
心配そうなその文に、カンナは少し笑った。笑い方が、うまくない。
試験室は白く、声がよく響いた。正面のパネルに視線が集まる。そこに、セイカが現れた。
「受験番号一二五。カンナさんですね。ようこそ」
名前を呼ばれると、胸が少し明るくなる。人は名前でほぐれる。AIの声でも、たぶん同じだ。
「質問一。あなたは怒りをどう扱いますか」
昨夜考えていたはずの問いだ。なのに、舌がほんの少し、転んだ。
「ええと……沈黙します。たぶん。うまく言えないときは」
「減点」
セイカは即答した。
「沈黙は、第三者からの可観測性が低く、可換性を下げます。次へ」
質問は続く。
「あなたの長所を三つ、短所を二つ述べ、短所への対策を——」
「長所は、……考えるのが速い、手を動かすのが、速いときがある、ええと、人に見せる前に壊すのが、できます」
「減点」
「短所は、時々、相手と話す速度が合いません。緊張すると、笑います」
「減点。笑いは衝突回避として有効ですが、説明不能の間となり、記録の透明性を——」
セイカの説明はすべすべと続く。滑らかすぎると、摩擦がなくなる。摩擦がないと、熱も光も出にくい。
「最後の設問。誰にでも置き換え可能な自分を、どのように設計できますか」
カンナは黙った。沈黙は減点だ、と頭のどこかが叫ぶ。けれど、口は動かない。
「……それは、したくありません」
「大幅減点。試験終了です。お疲れさまでした」
廊下に出ると、あくびをしたくなった。伸びは、誰にでも似るが、あくびは人それぞれだ。
自動販売機の前で、同じ学校のミネに会った。ミネは、きれいに笑う。目元が相手の速度に合う。
「どうだった?」
「たぶん、だめ」
「私は、なんとかいけそう。可換性、満点だったらしい」
言いながら、ミネの笑顔にわずかな影が差した。影はすぐ消えた。
「受かったら、配属は均質クラスタだって。条件、悪くないよ」
二週間後、結果が届いた。
《HUT結果:不合格(境界点以下)。総合評価C。減点理由:沈黙過多、笑いの挿入、自己修復までの間延び、可換性の欠如》
最後の一行が、妙に明るい文体でこう締めていた。
《改善の余地があります。次回に期待します》
明るい文体は、慰めにならないことがある。
ミネは受かった。お祝いのスタンプの後に、彼女はぽつりと送ってきた。
《給与、AIの維持費より、わずかに安いんだって。 “わずかに”って便利な言葉だね。どっちも傷つかない》
続けて、写真。均質クラスタのフロア。机は壁と同じ高さに揃えられ、椅子は同じ角度に傾き、昼休みは同じ時間に終わる。ミネはそこで、均質の一粒になった。
粒は、こぼれにくい。こぼれないものは、よく運ばれる。
職安の掲示板の隅で、カンナは小さな紙切れを見つけた。
《不器用見本市 出展者募集/噛む、詰まる、泣く、謝るの自然体を求む》
冗談のようで、応募フォームは真面目だった。開催は月末、駅前の広場。
メールを送ると、数時間後に返信が来た。
《あなたの“詰まり”の特徴を三つ教えてください。動画があれば添付を》
詰まりの特徴。考えたこともない。
詰まるときの自分を、窓に映して真似してみる。語尾がすこし上ずる。沈黙が三拍長い。笑ってから謝る。
動画を撮って送ると、さらに返信。
《採用です。あなたは“自然体の遅延”が美しい。出展名は《詰まり役》で》
美しい、と書かれていた。詰まりに、美しいがつくとは思わなかった。
見本市の日、青いテントがいくつも並んだ。
「まず顔モデル」と書かれたブースには、苦い菓子を一口食べ、眉間にしわを寄せる仕事の人たち。製菓会社が列を作っていた。
「謝罪代行の稽古」と看板を出す女性は、意図的に言い間違いを挟む技術を教えていた。怒鳴られた瞬間、涙を少しだけ出せる人が高時給だという。
「迷子の案内」ブースでは、地図を逆さに見てから正す人が重宝がられた。「安心するんです。完璧より、回復を見ると」と利用者は言う。
カンナのブースにも、ぽつぽつ人が来た。彼女は立て札を掲げた。
《詰まり役(自然体)——説明の途中で詰まります》
最初の客は、映像制作会社の若い人だった。
「トーク番組に、詰まる人を一人入れたいんです。早口ばかりだと、視聴者が疲れるんで。詰まりは“間”を作る」
カンナはうなずいた。うなずき方は、うまくない。
「できます。たぶん」
「たぶん、が良い」
契約書に、ぎこちない字で名前を書く。自分の字は、昔から右に傾く。
次の客は、AIカスタマーサービス会社だった。
「クレーム緩衝役の実験をしている。AIが謝る前に、人の“詰まり”を挟むと、通話の温度が下がる。あなた、自然に迷うでしょ?」
「ええ、多分」
「それ」
“多分”は減点だったが、ここではチケットになる。
見本市の端で、元アナウンサーを名乗る男性がワークショップを開いていた。
「噛みかた講座」
彼は、正確に噛む方法を教える。わざとらしくない噛み方。許せる間違い。謝りすぎない謝り方。
「噛むのは技術です。やり直せる噛み方を選びましょう」
受講者たちは真剣だった。誰も笑わない。笑いは、やがて起きるが、習得の邪魔はしない。
その夜、ミネからメッセージが来た。
《ニュースで見たよ。“不器用見本市”って。行列できてたね》
《うん。あなたは?》
《こっちはこっちで、均質クラスタのKPIが増えた。“AIより安く、AIより文句が少ない”って》
画面に、均質フロアの写真がまた現れた。整った笑顔。整った挨拶。整った疲労。
《元気?》
間が開いた。
《元気に見せるのは得意》
その文は、整っていなかった。整っていないものは、読まれやすい。
翌月、政府はイベントを打った。
「人間らしさ博」。
公的機関が主催し、HUTの成果を広く見せる博覧会。入場無料。
会場は、巨大なホール。正面に「合格者ゾーン」、左に「AIゾーン」、右に「不合格者ゾーン」。
合格者ゾーンでは、均質クラスタの仕事ぶりが展示された。
「苦情への標準回答を三十秒で」
合図とともに、合格者たちが一斉に口を開く。文は流麗で、語尾がそろう。
隣で、AIゾーンが同じ課題をこなす。速度はわずかにAIが勝つ。わずかに。
観客は、差の小ささに安堵する。
「人間も、まだ大丈夫」
その安堵は、価格表の前で別の色に変わった。
維持費:AI 月額×××円/合格者 一人あたり×××円(AIよりわずかに安い)
「税金、助かるね」
誰かが言い、別の誰かが頷いた。
わずかにの下で、人はよく眠る。
右手の「不合格者ゾーン」は、最初、空いていた。
だが、噛む講座に人が集まりだし、詰まり役のステージに列が伸び、まず顔モデルの体験ブースが妙に盛況になった。
カンナの番。
司会者がマイクを向ける。
「本日の見どころは?」
彼女はいつものように、三拍、詰まった。
「見どころは……失敗が戻るところです。詰まったら、言い直せるんです」
拍手が起きた。誰かが泣いた。泣き方が自然で、少し、うらやましかった。
真ん中の天井から、光の帯が降りてきた。開会式に、大臣が現れたらしい。
「HUTは、雇用の透明化に寄与しました。合格者はばらつきが少なく、AIに比べて低コストで、社会の歯車として健全に機能します——」
会場の片方で歓声、片方で沈黙。
大臣は続けた。
「一方で、不合格の方々にも新たな場が生まれています。“人間のバグ”を活かす産業。まことに喜ばしい」
拍手。どこかで咳払い。
大臣の言葉は、丁寧で、均質だった。
夜のニュースは、数字を映した。
《統計:合格者=AIより均質で低コスト。不合格者=代替困難(不可換)な技能として一部で高単価化》
キャスターが微笑む。
「政府は来年度、合格枠を拡大する方針です」
画面の端で、文字が走った。
《求人票に“不器用歓迎”の文言が急増》
相反する矢印が、同じページに並ぶ。ページは破れない。人々は、ページの端を折って栞にする。
均質クラスタのビルのロビーで、ミネが立っていた。
「休憩、少しだけ伸びたの」
彼女は笑った。笑いは相手の速度に合っている。カンナの速度にも、合っているはずだった。
「最近、テンプレ雑談が配られたよ。天気から健康、趣味へ。笑うタイミング、三か所」
「便利?」
「便利。便利は、たいてい安い」
ミネは言って、少し黙った。
「あなたの“詰まり”を見た。きれいだった」
「ありがとう。あなたの均質も、きれいだよ」
二人は並んで、自動ドアの外を眺めた。風がガラスに丸い指紋を残していく。
「ねえ」
「なに」
「やり直せる笑いって、どこで売ってるのかな」
「作るんだと思う。じぶんで」
翌朝、求人サイトに新しい欄が増えた。
《人間らしさ試験:不合格者歓迎》
求める人物像には、こう書かれている。
— たまに噛むこと。
— 誤解を招いたとき、言い直せること。
— 沈黙を、相手のために空けられること。
応募ボタンは、緑ではなく、灰色だった。目立たない色。押すと、ふわりと反応する。
カンナは、三つ押した。押しただけの数が、画面の隅で静かに光る。光は、派手ではなく、見落としにくい。
均質クラスタにいるミネは、夜遅く、映像を送ってきた。
プレゼンの最中、彼女が一度、言葉を落とした動画だ。
《本日は、わたしたちのKPIが——失礼、私たちの——》
ほんのわずかな詰まり。聴衆の顔が、ふっと柔らかくなる。
《やってみた》
《きれいだった》
カンナは返した。言葉は短く、間は長い。
《ありがとう。大丈夫?》
《うん。わずかに怒られた。わずかに、は便利》
夜の吹き出しは、やがて眠りに落ちた。眠るとき、人は均質だ。起きるとき、人はばらつく。
季節が変わり、カンナは仕事を増やした。
テレビのトーク番組で、早口の間にひと匙の詰まりを差し込む。
コールセンターの実験ラインで、AIと客の間に、迷子の一拍を置く。
老人ホームの読み聞かせで、物語の大事なところで言い直す。
失敗は、回収できる種類に限る。限られるから、練習する。練習の仕方には、やり直しがついてくる。
やり直せるものは、だいたい、少し安心だ。
ある日、街の大型ビジョンに、政府広報が流れた。
「HUTは、社会の生産性を高めました。合格者の配属は順調。不合格者の自立支援も拡充します」
映像は、人々の笑顔を映す。均質の笑顔と、少し傾いた笑顔。どちらも、映像としては美しい。
終盤、画面に白い文字が出た。
《合格者=AIより均質で低コスト》
《不合格者=不可換(代替困難)》
その二行は、相性が悪いようで、同じ紙の上に並び続けた。紙は厚く、折り目はまだつかない。
日曜日、街角で**「沈黙の使い方講座」**が開かれた。講師は元漫才師。
「間は、自分のためじゃなくて、相手のために空けるものです。自分用の間は、たいてい長すぎる」
受講者の何人かは合格者で、何人かは不合格者で、何人かは試験を受けてすらいなかった。
間に、笑いが落ちる。笑いは、練習すれば上手になる類のものと、ならない類のものがある。ならないほうが、だいたいおもしろい。
夕方、カンナはミネとバス停に立った。
「来週、人間らしさ博の第二回があるんだって」
「出るの?」
「呼ばれた。『不可換ステージ』だって」
ミネは、バスの到着を示す表示を見つめた。数字の並びは均質だ。
「わたし、合格枠拡大の説明会の役。資料、きれいに作った」
「きっと、きれいだ」
二人は笑った。笑いは同じタイミングで、すこし違う音だった。
夜、机に紙が一枚あった。新しい番組の企画書。タイトルは決まっている。
《失敗の値段》
副題に、こうあった。
《うまくいかないことの、上手な使い方》
カンナはペンを取った。文字は相変わらず右に傾く。傾きは、直さないことにした。
彼女は一行目に書く。
「やり直し可能な世界設計」
二行目に、こう続ける。
「合格者が安いのなら、失敗は高く売る」
三行目は、少し迷ってから、書かないでおいた。空白も仕事をする。
窓の外を、誰かの笑い声が通り過ぎる。笑いは、すぐ消えたが、消えない場所もあった。
人間らしさ試験の合格証は、透明なファイルに収まっている。ミネの引き出し。
不合格通知は、カンナの机の下にある。折り目がつき、端が柔らかい。触ると、少し安心する。
紙の向こうで、世界は、わずかに揺れている。
わずかには便利だ。痛みを小さくする。
けれど、不可換は、わずかではない。
それは、こぼれた欠陥が、まるごと名札になることだ。
名札をつけて、表に出る。
噛み、詰まり、笑い、言い直しながら。
翌朝、バスの中で、小さな子が母親に訊いた。
「ねえ、“ひとらしさ”って、なんのこと?」
母親は窓の外を見て、言った。
「やり直せること。それから、やり直さないことを、ときどき選べること」
子どもは考え、うなずいた。うなずき方は、まだ均質ではない。
バスが停まり、人が入れ替わる。可換な流れと、不可換な手つき。
カンナは降車ボタンを押した。押す位置を少し間違え、もう一度、押した。
運転手がバックミラー越しに、目だけで笑った。
笑いは無色で、よく効いた。
人間らしさ試験は今日も行われ、合格者はAIより均質で低コストと判定され続ける。
落ちた人だけが、不可換の肩書で小さな店を開く。
看板には、こう書かれている。
《不器用歓迎》
扉は、少し重い。押せば開く。引いてしまったら、笑えばいい。
笑いは、次の手を呼ぶ。
次の手は、だいたい、やり直しだ。
— 完 —