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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

以て血を

神々を挑発する踊り

作者: 志摩鯵




人が異形の怪物、”獣”に変身する怪現象、獣化。

ある日、突然、家族や友達、近所の誰かが獣に変身してしまう。

それは、病気や老いのようなもので誰にでも起こり得ると信じられた。


「た、大変だ、セラフィナ!」


ある日、兄セラフィンの友達が家に飛び込んで来た。


エイリクの話では、兄が獣になったという。

普段通り仲間と遊んでいた兄の様子が急におかしくなったらしい。

そして彼らの目の前で悍ましい獣に変身した。


「ろ、ローレラが……食い殺された。

 ………セラフィンに………。」


真っ青になったエイリクは、震えながら起きたことを私と私の家族の前で話した。

彼自身、大きな動物の爪に切り裂かれたような傷がある。


「嘘だよ、そんな…!

 …だって兄さんは、そんなことできる人じゃない。」


「獣に元の性格なんか関係ないぜ。

 ……逃げた方がいい!」


エイリクは、そう私たちに強く勧めた。


家族から獣が出たと知られれば迫害を受けるかも知れない。

獣は、血筋が原因だとか病気のように感染すると皆、信じているからだ。


「早く逃げるんだ!

 セラフィンがここに戻って来るかも知れないぜ!?」


獣が家族のところに帰って来るという噂もあった。


それは、助けを求めてやってくるのか分からない。

でも結局、獣に殺されるのは、目に見えている。

温かく出迎えて匿ってやるなんて考えるものじゃない。


だが母と父は、すぐに決断できなかった。


「セラフィンを、セラフィンが獣になるなんて嘘だ。

 ……お前ら、承知しないぞ。」


ようやく絞り出した声。

父は、兄の友達、エイリクたちを睨みつけた。

これまで見たこともない父の恐ろしい形相に私は、目を疑った。


それでもエイリクは、私の父の説得を試みた。


「セラフィンの親父さん、俺たちの傷を見てくれよ!

 ローレラなんか本当に死んじまったんだ!

 こんなこと嘘で言わないよ!!」


「どうせ喧嘩でもしたか事故でも起こしたんだろう!?」


激怒した父は、エイリクたちに怒鳴り散らすした。


「お前らがセラフィンを殺したのか!?

 あいつは、今、どこにいる!?」


騒ぎ出した父は、エイリクたちを家から追い出した。


当然だろう。

きっとこの反応は、間違ってない。


「セラフィナ、俺たちは、嘘なんか言ってない…!」


家の外でエイリクは、私に向かって真剣に訴えた。

私も兄の仲間たちと話し合った。


「私は、信じるよ。

 …でも、父さんや母さんは、絶対に聞き入れないって…。」


「それは、そうだろうな…。

 俺の親父だってセラフィンやニコライが言っても信じないって思う。」


「なあ、金をあるだけやるよ。

 これで街から離れな。」


ニコライが家から持ち出したお金を私に握らせる。


「人でなしと思うだろうけど親父さんたちのことは、諦めるんだな。

 息子が帰ってくるとあの人らは、信じ切ってるけど。

 今のまま街に残ってても酷い目に遭う。」


「悪い風に考えるな。

 何もなけりゃ帰ってくればいい。

 親父さんらも分かってくれるさ!」


「気休めは、やめろよ、エイリク。」


コララインが泣き過ぎてくしゃくしゃになった顔で呟いた。

恨めしそうな口調で腹の底から捻りだすように話す。


「私の一族から爺さんだか婆さんだかが獣を出したんだ。

 ………どれだけ逃げて隠れて来たか。」


知らなかった。

この場の全員が思わず、ブルッと震え上がった。


「へっ。

 私は、逃げるよ。

 ()()()セラフィンに獣の血が移ったなんて噂が流れたらお終いだからね。」


「ば、馬鹿いえっ。

 ここだけの話じゃないか!

 誰も話しゃしないっ!!」


エイリクは、そう取り繕った。

だがさっき間違いなくコララインの話に驚いたことは、隠せない。


獣になった人間に近しい者は、とにかく隠れるしかない。

私刑リンチに掛けられて殺される前に。


ここから彼らがどうなったのか、私も知らない。

この日のうちに私は、エイリクたちの勧めた通り、街を出たからだ。




キンフリーズ州ジャーロギー。

帝都ヤーネンドンから遠くない近郊の小都市だ。


力もない知恵もない。

家なしの小娘がまともに暮らしていけるハズがない。

抗う方法のない私は、排水口に吸い込まれるゴミのように夜の街に立たされた。


私以外の女の子も似たような事情を抱えている。


工場の酷い扱いに耐えられず逃げ出した子。

親が債務者刑務所に入れられ、孤児同然になった子。

戦争に行った親が戻って来ない間に家族がバラバラになった子。


救いようのない子もいた。

男娼に入れ込んで大金を貢いでるアヴェリルだ。

これが懲りない奴で仲間の忠告も聞きやしない。


ある日、アヴェリルが大金を手にほくそ笑んでいた。

それを見た仲間たちは、思わずギョッとした。


「アヴェリル、あんた、またどこからそんな金を。」


ちょっと稼いだって金額じゃない。

何かヤバいことでもさせられたんじゃないかと仲間たちが騒ぎ出した。

すぐアヴェリルは、隠すことなくあっさりと誇らしげに話し出した。


黄金虫スカラベ神殿の卑しい戦友たち騎士団だよ。」


上機嫌にアヴェリルは、金の出処を明かした。

でも私も仲間たちも耳慣れない言葉に頭が停止する。


「はあ?」


「”糞虫の巣(デン)”とも名乗ったりしてるらしいけどね。

 ()()()()()()だよ。」


アヴェリルの話に私や娼婦仲間たちは、怪訝に眉をひそめた。


ここでいう()()というのは、普通の動物を狩る猟師じゃない。

人が変身した獣を狩る獣狩りの狩人。

狩人の騎士団(シャサール・オーダー)は、彼らの組織名だ。


獣狩りは、危険が付き纏う。

それをまっとうできるのは、狩人だけだ。

だから私たち普通の人間は、名前以外には何も知らない。


獣が街に現れれば、狩人がやって来る。

大人たちは、幼い子供にそう言い聞かせる。

獣狩りの魔夜(ワイルドハント)には、家から出てはならないと。


皆、狩人の姿を直に見たことはなく狩られた獣を見たことがあるだけだ。


ときどき街に獣の死体が公開されるのだ。

特に血統鑑定局ブラッドウォッチの補佐官は、熱狂的な人気を集めた。

彼は、一際、大きな獣を狩り、民衆を熱狂させる。


狩人は、英雄なのだ。

だが決して近づいてはならない。

彼らは、天国アアルに行けない罪人でもあるからだ。


「で?

 ()()()()()()()と狩人様が何の関係があるの?」


「すごい上客なんだよ。

 一晩でこれだけ払ってくれるなんて!」


そう言ってアヴェリルは、稼ぎを皆に見せた。

だが仲間たちは、肩を竦める。


「やめときな。

 狩人様は、危ないって話じゃないか。

 姐さんに聞いたことあるよ、あたしは。」


「そうさね。

 獣より怪力で怒らせたら殺されるっていうよ。」


「それだけじゃないよ。

 獣は、病気みたいに広がるっていうじゃない。

 狩人様は、私らの中に獣がいないか探してるのさ。」


口々に仲間たちは、アヴェリルを窘める。

だが今回のアヴェリルは、言われっぱなしじゃなかった。


「甘いね、皆さ。

 娼婦なんていつまでも続けられないんだ。


 体を壊すか、客に飽きられるか。

 稼ごうと思ったら払いの良い客を掴むんだよ。

 狩人様は、私にとっちゃ福の神さ。」


「神だって!?

 血統鑑定官が黙ってないよ、馬鹿だね、お前は!!」


この時代、宗教は迷信として血統鑑定局ブラッドウォッチに禁止された。

血を科学的に分析して獣を狩るというのが彼らだ。

皆、子供の頃から血を採られ、鑑定を受けている。


私たち若い世代は知らないが血統鑑定局は、昔の宗教のように威張っているらしい。


「怖がる必要はないよ。

 私ら、ちゃんと鑑定を受けて身体を売ってるんだ。

 狩人様だって怖がる必要ないよォ。」


アヴェリルは、そういって色めき立っていた。


はじめ皆、彼女を馬鹿にしていた。

ところが目に見えて彼女の暮らしぶりは変わった。

着る物、食べる物、住む場所も変わった。


やがて個人所有の蒸気自動四輪車スチーマーまで買ってしまった。

すっかり皆のアヴェリルを見る目は、羨望に変っていた。


「あんた、こんなもの乗れるのかい!?」


「あははは!

 乗れないさ!

 でも運転手を雇えばいいじゃないか。」


蒸気自動車は、しばしば故障した。

だから単に運転できるだけでなく修理もできなければ持っていても役に立たない。


実際、アヴェリルは、この車をすぐにほったらかしにした。

だがその頃の彼女は、店を持ち、人を雇う身分になった。

彼女は、人生を買い直したのだ。


とはいえ狩人を捕まえるなんて簡単にはいかない。

皆、深いため息を吐いた。


「アヴェリルは、上手くやったよ。

 ……悔しいけどね……。」


キーラは、それが口癖になり爪を噛む。


「あーん!

 こっちにも狩人様が来ないかなァ!」


アイネも思い出したように同じ台詞を口にする。


「キヒヒッ!」


この辺りで有名娼婦として人気のギネスは、魔女みたいに笑った。

こんな薄気味悪い笑いが男には、受けるのだろうか。


「あんたら、狩人様とねんごろになりたいのかい?」


ギネスは、後輩たちに忠告を与える。


「分かってるだろう?

 アヴェリルは、運が良かったんだ。

 狩人様の機嫌を損ねたら命が幾つあっても足りない。」


ところがギネスの話にキーラとアイネは、その気になってしまった。


「姐さんは、なにか知ってるんですか?」


「ひょっとしてアヴェリルに狩人様を引き合わせたのは、姐さんなんじゃ?」


目を輝かせる二人を見てギネスは、微笑んだ。

嘲笑と呼んでいい笑顔を。


「キヒッ。

 お望みとあれば紹介しようじゃないか、狩人様を。」


「本当ですかぁ!?」


「ぜひ紹介してください!!」


私はひとり、壁に背を預けて我を忘れてはしゃぐ二人を見ていた。


(そんな簡単に稼げるわけない。

 現にギネス姐さんだって狩人を客にしてないじゃない。)


果たしてしかし数日後、本当に狩人は来た。


長旅で汚れたコート、時代がかった衣装を着ている。

頭には、お定めの三角帽子トリコーン

そして全身から血と火薬の臭いが漂っていた。


「いらっしゃあい!」


キーラは、とびきりの笑顔で狩人を迎えた。

アイネも腰をくねらせて愛想を売る。


「お待ちしてましたァァァ!」


二人は、喜び勇んで客を上の部屋に連れて行った。

勝ち誇るようにギネスは、このやり取りを部屋の隅で腕を組んで見ていた。

私は、彼女に声をかける。


「………ギネス姐さん、あの人たちは、本物の狩人様なんですか?」


「キヒッ。

 ……まあ、本物の狩人様かどうかは知らないけど。

 払いは間違いなく上客さね。」


眼鏡の向こうから湾色ラグーンブルーの瞳が見つめ返して来た。


「どういう意味ですか、それ?」


「うーん?

 小物を3~4()狩ったぐらいで本物の狩人といえるもんかね。

 もっと目が据わった狩人様こそ、本物じゃないか。」


私は、ギネスに意を決して話を持ち掛けた。


「ギネス姐さん。

 私にも狩人様を紹介してください。」


真剣に私がそう言うとギネスは、獲物が巣にかかった蜘蛛のような笑みを作る。

蜘蛛が笑えばの話だが。


「キヒッ………へえ。

 あんたは、もうちょっと利口かと思ったけど。

 金に目が眩んでヤバい客を引いても知らないよ?」


実に愉快そうにギネスは、ニヤニヤしている。

だがそこに真実めいたものを私は、感じ取った。


「けれどお願いがあります。」


「殴ったり首を絞めない客なら諦めな。

 狩人様っていうのは、手荒なことをするのが好きだからねえ。」


「本物の狩人を紹介してください。

 恐ろしい獣に臆さず、危険な夜を渡る本物の狩人です。」


この時、キーラとアイネの悲鳴が上階の部屋から聞こえた。

しばらく壁を叩くような音が続く。


「いぎゃッ!

 助け、たすッ………ひあッ、あああッ!!」


「死ぬ、死ぬ、死ぬ!!

 ぴゃああああっっ!!」


娼婦の悲鳴にうっとりしながらギネスは、言った。


「本物の狩人、”毒蜘蛛”ギネスが引き受けよう。」




殆どの獣は、街に潜む。

人の姿、理性や人らしさを失ってなおだ。

これは、本物の動物ではない彼らが生きていくには、雨風を凌ぐ屋根を要し、また弱い人間を獲物とする他ないからである。


あるいは、家族や恋人、人の頃の名残だと考える者もいる。

しかしそんな感傷、狩人なら一笑に付すだろう。


我が町(ホームタウン)、キングストンは、もう私の知っている街ではなくなっていた。


あれから3年。

街中に獣が広がり、ここは、封鎖された。


巨大な壁が建てられ、街全体がぐるっと囲まれている。

出入りは、ただ一つの昇降機エレベーターで街に降りる方法だけだ。


「新聞で読んだけど、こんなことになってるなんて…。」


「キヒヒッ。

 行こうか、セラフィナ。」


ギネスが先に昇降機のゴンドラに入る。

私は、躊躇ためらいつつも彼女の後に続いた。


兄を探して私は、この街に戻って来た。

ゆっくりと地上を目指す昇降機の籠から私は、街を眺める。


「それにしてもあんた、何がお望みだい?

 兄さんを見付けても狩るしかないじゃないか。」


「………別れを、言わせてください。」


「キヒヒヒッ!」


突然、ギネスは、籠の扉を開けた。

けれどまだ地上は、かなり下に見える。

しかし彼女は、躊躇ためらいなく籠から飛び降りた。


「えっ!?」


驚いた私は、籠の下に降りたギネスを探す。


キングストンに着地したギネス。

それを待ち構えていたように一斉に獣が襲い掛かって来た。

赤く輝く目をした黒い半人半獣の集団がギネスを囲んで飛び掛かる。


「あ、あひっ!?

 ひいいいい!!」


私は、思わず恐怖で竦みあがった。


獣の首が切断され、血を吹いて宙を飛ぶ。

斬り刻まれて飛び散り、地に落ちてなお震える肉片。

息をあえがせ絶命を待って痙攣し続ける残り少ない命。


ヌルヌルした濃厚な血で往還を真っ赤に染め上げて舞う毒蜘蛛の大旋回グランフェッテ


獣狩り。

それがこんなにも目を覆うような残酷なものだなんて。


「いや、いやあっ!

 あ、あああッ!!

 うわ、ああっ、た、助けてぇ!!!」


30秒もしない内に昇降機の籠が地面に着く。

その頃には、獣が殲滅され、地獄が広がっていた。

しばらく私は、籠から降りる事ができず腰を抜かして喚き続けた。


「知っての通り。

 今なら引き返すのは簡単だ。

 ゴンドラから離れれば獣狩りに()()()()()が加わることになる。」


返り血に目を細めてうっとりするギネスが最後の忠告をした。


「もちろん私は、腕利きの狩人さ。

 あんたを守って、あんたの兄さんに必ず引き合わせられると約束しよう。

 でもあんたの心が、頭がどうかしても宿礼院ホスピタル精神病院アサイレムに任せるしかないけどねェ、キヒヒヒヒッ!」


私は、大きく上下する胸を抑えて立ち上がる。

涎を垂らし、失禁した自分がこの先の鮮血に持ち堪えられるだろうか?




黄昏が迫る鎖された街で私たちを待ち構えるものがいた。


「こんばんは、m'lady(我が女主人) Gwynethギネス。」


Bonsoir(こんばんは) mon(私の) esclave(奴隷)

 キヒッ、こんな臭い所で待たせて悪かったねェ。」


―――ヴィネア語じゃない、ギネスがときどき使うけど

ギネスは、広場に立っていた若い男に声をかける。

男は、うやうやしく頭を下げ、気取った仕種を返した。


たしかこの男に私は、見覚えがある。

アヴェリルに大金を支払っていた狩人だ。


「”可愛い(フルフェイス)”レイニーだ。

 レイニー、彼女がセラフィナ。」


良く見ると女みたいな愛らしい顔をしている。

身体もそれほど大きくない。

男相手に嬌声をあげる女役が似合いの男娼といった感じだ。


狩人と聞いて想像する姿とかなり違う。

しかしすでに返り血と肉片が全身に飛び散って凶暴な雰囲気を漂わせていた。


どうすればこれだけ服に血が着くのか。

その光景を想像して私は、胃液が噴き出すように喉から上がって来た。


「おえっ。」


苦しむ私を見下ろして二人の狩人は、血と肉片を全身に浴びた姿で夜の街に立っている。


「けほっ……うえっ。

 …アヴェリルを殴ったりした?」


私は、上ずった声でレイニーに質問した。

形の良い丸顔フルフェイスが優しく微笑む。


「そんなことしませんよ。

 僕は、彼女を変えてあげたかったんです。」


「忠告するが離れてた方がいい。

 狩人は、獣狩りの最中は、特に興奮してるからね。

 近づくと私もレイニーもあんたをブチ殺すかも知れないよォ。」


半笑いでギネスは、そう言った。


脅しではないだろう。

戦場から帰った家族が急に暴れ始めたという話を聞く。

戦いは、人間の心を蝕むのだ。


特に狩人は、狩りに酔うと聞く。

獣は、もともと人間だ。

人を殺し続ける狩人は、暴力と流血に沈み、歪み、淀む。


そうでなくとも戦いの中で必死になっていれば咄嗟に獣以外にも危害を加えることは、誰でも想像が着く。


とはいえ獣との戦いに私を巻き込まないように二人は考えてくれた。

ギネスとレイニーは、交互に先行して獣を私に近寄らせなかった。

常にどちらかが私を護衛するために私の傍に残った。


「ドキドキしますね。」


歩きながらレイニーが私に言った。


「もしギネス嬢が狩りに狂って戻って来たらどうしましょう。

 二人とも殺されてしまうかも知れませんね。」


私は、ギョッとした。

そんなこと嬉しそうに話すか?


「もちろん僕がここでおかしくなってしまうかも…。」


ふざけてるのか。

私は、自分の浅はかさを後悔した。

狩人は、私が思っていたような危なさとは違うことが分かった。


「キヒッ。」


疾風はやてのようにギネスが夜の闇から駆けて現れた。


「見つけたよ、あんたの兄さん。」


ギネスは、こたえられない歓喜に震えるようにそう報告した。

その顔は、何か残虐な楽しみを待っているようで気味が悪い。


(私の前で兄さんを殺すのを楽しみにしてるのね。

 ……狩人ってこんな頭のおかしい連中だったんだ。

 例え罪人、恐ろしい人たちでも皆を守る騎士だと思ってたのに。)


私は、失望と共に不快感が込み上げて来た。

子供じみた幻想など持つべきではなかった。


(でもどうやって獣の中から兄さんを見つけたのかしら。

 兄さんの面影が獣になっても残ってるはずがないし、そもそも兄さんをギネスは、知らないハズじゃ…。)


私がそう思っているとレイニーが教えてくれた。


「我が女主人は、追跡にかけて並ぶもののない人です。

 狩人は、分かるのですよ。」


「えっ?」


私は、ビックリした。

頭で考えていることを正確に察知され、彼にその疑問を答えられたからだ。


レイニーは、愛らしく微笑んだ。


「行きましょう。

 きっと兄さんもあなたが分かりますよ。」


細い路地に私たちは、入り込んだ。

汚い石畳の街路には、ゴミと死体が散乱している。

虫の飛び交う闇の中、二人の狩人の先導を信じて私は、歩き続けるだけだ。


「………ああっ!」


兄だ。

不思議とそれが私には分かった。


「分かった!

 分かる、兄さんだ!!」


大厦ビルに切り取られた細い夜空の下、兄がいた。

野良犬のように黒く汚くなった半人半獣の兄セラフィンだ。


()兄さん(セラフィン)

 私よ、セラフィナよ!!」


大声を出して一匹の獣に駆け寄る。

でもやや手前で私は、踏みとどまった。

既に彼は、獣になり切っていると分かるからだ。


「■■■■■■ぁぁぁ………。」


犬や猫の鳴き声、鳥の声とも違う。

奇妙な聞いたこともない音が兄の口から出た。


「ああ、安心して良いよ。

 今、狩人の術で姿が見えなくなってるからね。

 よほど大きな音でも出さない限り兄さんを見てられるから。」


ギネスは、私の肩を抱いてそう耳打ちする。


私は、変わり果てた兄を見た。

3年の間、どう過ごして来たのか。

彼の苦しみは分からないけれど家族と再会した喜びだけが私の胸に輝いた。


(ああ、でも!

 兄さんが殺されてしまう!!)


どうしてこんな依頼をしたのか。

自分が家族と会いたいという身勝手な頼みをしたばかりに。


でもどうせ兄は、いつか狩人に狩られてしまう。

獣が人間に戻ることはないのだから。

そう自分に言い聞かせるしかなかった。


(なんて自己中心的なんだろう…!

 でも、そう考えるしかない。

 兄は、もう助からないんだから悪夢を終わらせてあげる方が良いに決まってる!)


でも決心は、そう簡単に着かない。

だからギネスの勧める通り、私は、兄をしばらく見ていた。


兄は、どうやら一匹で行動しているらしい。

他の獣の集団がやってきて兄を攻撃して追い散らした。


この汚れた世界で獣となった住民───きっと私の知る誰かたちは、汚物を餌に肥え太るネズミを食料としていた。


獣は、必死にネズミを捕まえるとバリバリと食べ始めた。

こんな最低の暮らしが続いているのだ。


兄は、その中で爪弾きに合い、孤独に生きている。

他の獣がネズミを食べるのを、じっと見ていた。


どうして兄だけが他の獣のように仲間を作らないの?

どうして兄だけがこんな仕打ちを受けるの?

疑問は尽きないが獣に問う言葉はなく私は、見続けることしかできなかった。


「キヒヒヒヒ………。

 そろそろいいかい?」


ギネスが私に声をかけて来た。

私は、力なく頷き答えるしかなかった。

獣を救う方法は、死しかないのだ。


「!?」


途端、ギネスは、私に首輪を着けた。


「な、なにを!?」


突然のことに驚く私。

ギネスは、答えることなく首輪の先に着いた二つ目の首輪を兄に繋いだ。

私たちは、一本の鎖で結ばれたのだ。


「え、いやっ!

 な、なんで、どうして!?」


ほんの5mほどの距離に恐ろしい獣がいる。

しかも姿が見えているのか赤い瞳がこちらを見た。


「いやあああ!!」


私は、思いっ切り走った。

けれど鎖が着いているので兄を振り切って逃げられない。


弱り切っているのだろう。

兄も私に飛び掛かってくる体力がないようだ。


結果、私と兄は、ギネスとレイニーの前で奇妙な追いかけっこを演じさせられた。

二人の頭のおかしい罪人たちは、それを面白がっていた。


「キヒヒヒヒ!」


「なんで!

 このキチガイ!!

 やめて!!」


私は、ギネスに叫んだ。

だが二人は、答えない。


気が付けば二人以外にも美々しく着飾った狩人が集まって来ていた。

女は、娼婦顔負けの派手で肌を露にした衣装を血で汚している。

男も伊達を気取って目立つ色や意匠デザインの服装をしていた。


やがて狩人たちは、楽器を奏でて踊り始めた。

サテュロスとニンフが神々の山嶺(オリンポス)で月を背に、風雅に乱れて遊ぶがごとく。


「やめて!

 だ、誰か助けて!!」


涙を流して泣き叫ぶ私を狩人たちは、指さして笑う。

その時、私は、心の底から理解した。


醜いのは、狩人じゃない。

狂ってるのは、こいつらじゃない。

人間という種そのものだ。


「し、死ねッ!

 おまえらみんな死ね!!

 こ、殺してやる!!」


私は、弱り切った兄を引きずり狩人に襲い掛かる。


(ああ!

 ああ、もう人間なんかやめてやる。

 こんな生き物の仲間でいて堪るか!!!)


狩人は、獣から人々を守る正義の騎士などではない。


その数多、伍する狩人の中で最も悍ましいのが頽廃デカダン派である。

彼らの信条モットーは、自己中心主義、病的な享楽と耽美主義、反道徳を求め、反権威を求め、進歩を拒み、そして美である。




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