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第2話『泥と塩とおにぎりと』

「うち……ちゃんと立ち合ったとよ? だめやった?」


困ったように首をかしげるこめの背中を、ましろは呆然と見つめていた。


(なんやったと、あの感覚……)


ましろが得意とする“低く潜る”立ち合いは、ふつうの相手なら間違いなく崩せる。けれど、こめは微動だにしなかった。

まるで、地面と一体化しているような重心。腰の芯からぶつかったあの一撃……あれは、経験や技術では説明がつかない。


「腰の芯……どころやない。あれは“腰の魂”や……」


あゆが震える声でそう呟いたとき、こめがペコッと頭を下げた。


「今日はありがとうございました! うち、まだ分からんことばっかやけど、相撲って楽しか〜!」


そう言って、にっこり笑うこめ。その頬にはうっすら泥がついていた。

この日、“仮入部”のままこめは正式に女子相撲部へ迎えられた。



翌朝、こめはいつものように田んぼへ出ていた。

朝4時。靄がかかる中、長靴を履いて畦道を歩く。

10反ある家の田。稲の苗はすくすく伸びていて、水の張り具合を調整しながらこめは中腰で作業していた。


「田んぼの水は、稽古の汗んごたるね。サボったらすぐ濁るけん」


腰を落としたまま、水をすくって水路へ流す。

それはまるで“すり足”のようで、しっかり土を踏みしめる。


(昨日の立ち合い、なんやったとやろ……)


素人同然の自分が、ましろを吹き飛ばしたことに実感はまだない。

でも――身体のどこかがうずいていた。

まだ見ぬ何かに向けて、自分の腰が前へ進もうとしているような、不思議な感覚。



放課後の相撲部。

こめは泥まみれの作業着のまま、体育倉庫裏の簡易土俵へとやってきた。


「……ちゃんと体操服に着替えろって言うたやろが!」


「ご、ごめん。急いで来たけん」


鬼嶋あゆは呆れたように眉をひそめたが、次の瞬間にはニヤッと笑った。


「でも、その泥の重みは伊達やないけんね。今日から本格的に鍛えるよ。あんたの腰は、使いこなせたら……化けるけん」


「うん、やってみるばい!」


まずは“しこ”。

足を高く上げ、腰を深く落とす──が、こめがしこを踏んだ瞬間。


ズズンッ


土俵の地面が、少しだけ凹んだ。


「……田主丸の土、弱すぎやろ。ていうか、腰の重さが異常」


あゆが額に手を当てて言う。


その頃、ましろは部室の隅で、静かに見つめていた。


(やっぱりあれ、まぐれやなか……こいつの腰、化け物や)


悔しさはあったが、それ以上にぞくぞくするような興奮がましろを包んでいた。



その晩。


「こめ、部活もして今日はよー動いたやろ。腹減っとろうが」


祖父・花田たいぞうが差し出したのは、真っ白な塩むすびだった。


「じいちゃんのおにぎり! うわぁ……ひさしぶりや!」


一口、かぶりつく。


──米が甘い。塩気がちょうどよくて、じわじわ力が湧いてくる。


「ふふっ……なんか、体ん中の腰が、喜んどる気がするっちゃね」


たいぞうは頷く。


「相撲も農業も、燃料は同じたい。“土と塩と米”──それが腰の魂を育てるんや」


「うち……もっと強うなれる気がするばい!」


塩と泥と、汗にまみれた田主丸の娘。

その腰が、いま確かに目を覚ました。


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