6話-1 夢の国と案内役
明け方リュカに起こされる。クローゼットの隙間から微かな光が見え、もう何の音も聞こえなかった。
ベッドの上の男女が眠ったことを確認して、私とリュカはそうっと部屋を後にした。
ちょっとでも眠れたからかなんだかすっきりとした気分だった。明るくなりつつある廊下の空気がとても清々しい。
向かい合ったリュカは私とそう変わらない身長まで背が伸びていたけど、相変わらず人形の顔をしていた。安どのため息が漏れる。
「どうしたの?」
「なんでもないよ。‥‥行こうか」
「そう? ‥‥えっと、ちょっと待ってね」
そう言ってリュカはかすかに首を傾けながら何もない天井を見上げた。また誰かの声を聞いているんだろうか。
ガラスの瞳がじっと何もない空間を見つめていると、幽霊でも見えているみたいに思えてこわい。なんて考えていると、人形はくるりと向きを変えて廊下の先を指さした。
「あっち。ちょうどね、みんな静かに寝てるみたいで、見つかる心配もなさそうだよ。けど起きてるメイドさんとかがいるみたいだから、一応隠れようか。呪術 かくれんぼ」
「ありがとう。‥‥お城の警備って、案外手薄なんだね。もっと常に衛兵が闊歩してるものだと思ってたよ」
「うふ。僕もそう思ってた」
みんなが寝静まり、誰とも会わない廊下。だけどできるだけ静かに進んだ。廊下にびっちりとしかれた分厚いカーペットが私の靴の音も消してくれる。
それにしても、同じような扉がずっと並ぶ廊下はとても長く感じる。まるで学校の廊下が永遠に続いているみたいだ。曲がり角があったとしても、その先も同じような景色なので進んでいるのか同じところをぐるぐるしているのかわからなくなる。
塔の中を歩いていた時もこんなことがあったけど、もしかしてそういう不思議空間だったりするのだろうか。
「ねぇ、この廊下長い気がしない?」
「うーん。多分ねぇ、そういうのがかかってるんじゃないかなって思うんだけど、このまま進むしかないみたいなの」
「やっぱりそうだったんだ」
「また疲れたら言ってね。今の僕ならチトセをおぶって行けるから」
「あはは‥‥」
成長したもんねぇ、としみじみ思う。私の手のひらに収まっていたぬいぐるみマスコットだった時が少し懐かしい。
私たちは歩き続けた。しかして廊下は続く。
片側は窓。片側には扉。こんなに部屋があるなんて、全部が寝室というわけもないだろうけど、本当にホテルのようだ。廊下を進み、階段を上がり、廊下を進み、角を曲がり、廊下を進み、階段を下り‥‥。
早朝の静かな空気の中を人形は先導していく。外の景色はさっきから少しの緑と壁だけで、まるでループしているみたいにつまらない。
そういえば、夢の中で眠って、起きてまた同じ夢ってすごい確率じゃない? とふと思った。
普段は二度寝したって同じ夢を見ることはないのに、まぁ夢なんてほとんど覚えてないけどさ。
起き抜け、いい夢だったなぁという気持ちがもう一度あの夢を望んで、結果二度寝して、なのに同じ夢をみれた気がしないってことはよくあるからね。
けど、夢の続きの夢‥‥っていう設定の夢なら見たことがあるかも。起きて考えたらぜんぜん夢の続きなんかじゃないの。一度もみたことがない夢なのに、夢の中の私は夢の続きだって確信してるんだよね。
‥‥なんの話だっけ。
この夢の中ではそういう夢あるあるが、あるのにない。場面がコロコロ変わったり、リュカの見た目が変わっていったり、突拍子もない設定なんかは夢あるある。けど、夢の続きを見たり、走って疲れたり、息が切れたり、足の裏がふわふわする絶妙な恐怖とか、動悸がしたりはあまり覚えがない。
でも怖い夢でとび起きたことはあるから、恥ずかしいとかの感情はあってもおかしくないのかな?
私は今、同級生とか、飛行機に乗ってた他の人たちを探している最中だけど、彼らを見つけたらそこがゴール、でいいんだよね? そしたらこの夢は覚めてくれるんだよね?
なんだか違和感というか、よくわからない不安を感じて、もやりとする胸のざわめきを忘れたくて、リュカに話しかけてみる。
「リュカ。みんなはまだ無事かな」
「まだ、何人も残ってるみたいだよ。でも、昨日よりずっと減ってる。今夜全員殺されちゃうかも」
この夢の設定上楽しい会話になるわけもないのは分かっていたが、さらに不穏なことを言われると胸の中のもやりが増してしまう。けど、全滅じゃないのね。
というより‥‥。
「人数がわかるの?」
「うんと、何人かはわかんない」
「‥‥ねぇ、リュカってなんでそんなことわかるの? お城のなかが見えてるわけじゃないでしょ? 誰か他の人が教えてくれてるの?」
リュカを案内している謎の案内役のことは昨日から何度か聞いているけれど、タイミングが悪いのか言いたくないのか、なかなか説明をしてくれないからいまだによくわからないままだ。本当に案内役の案内役なんかいるのかも分からないけど。
例えばリュカがこのお城を透視かなんかして、私を案内してくれてるだけかもしれない。誰かと会話してる風なのは、ただの独り言でさ。
「見えてないよ。‥‥やろうとはしたんだよ? でも、なんかここ変で。僕じゃできなかった。だからね、ワールドエンドに聞いてるの。ここは僕らの夢から遠いから、ワールドエンドの声もよく聞こえないんだけどね」
「なにそれ?」
ワールドエンド‥‥つまり、世界の終わり?
あ、もしかして夢の終わりに関係あったりするのかな?
「ワールドエンドのこと? あ、家庭教師だよ。お嬢様の。お願いすると助けてくれるんだけどね。怒りっぽくて、怖い時もあるの」
あ、人の名前なのね。なんてまぎらわしい‥‥。
というか、なぜそんな名前なんだろう?
「お嬢様の周りにはいろんな人がいるんだねぇ」
「そうでもないよ。庭師ウサギの僕と、家庭教師のワールドエンドと、メイドのメルリアンだけ。たまにイモチェシャとドードーウサギがくるけど、基本的には僕ら四人だけ」
イモチェシャとドードーウサギ。庭師ウサギ、家庭教師、メイド、お嬢様。なんとなく不思議の国のアリスっぽい気がする。
「なんだか不思議の国のアリスみたいだね」
「違うよ。僕らがいるのは不思議の国じゃなくて、夢の国だよ。アリスって子は知らないけど、その子もお嬢様なの? マリスお嬢様と名前が似てるね」
「不思議の国のアリスを知らないの?」
「うん。知らない」
驚いた。まさか世界一有名だろう童話を知らない人がいるなんて。
「リュカって本とか読まないの?」
「うん。僕本は読まない。お嬢様がたまに読んでくれるけど、アリスは知らない」
本以外でもアリスモチーフの何かしらなんか、人生で一度は必ず目にするだろうに。
「夢の国ってどんなところなの? どこにあるの」
「うーん。夢の中の国だよ。寝てる時行けたり、行けなかったりするの。呼ばれたら行けるけど、呼ばれないと行けない。‥‥面白いところ?」
「呼ばれるって、誰に?」
「夢の国の誰かだよ。でも、呼んでも呼んだ人が絶対くるわけじゃないんだって。僕もみんなを呼んだけど、誰も来てくれなかったし」
前を行く頭がしょぼんと俯く。リュカってほんとわかりやすい。かと思えば、くるりと体を回して私を見る。
「夢の国、いつかチトセが来てくれたら嬉しいな。お嬢様もミズキママに会いたがってた。会えたらきっと喜ぶよ」
お嬢様の話をするときのリュカの声は楽しそうで、嬉しそうだ。きっととても仲が良いんだろう。
だから人違いなんだってばと思いながら、リュカがしょんぼりしないよう社交辞令的に笑って小さく頷く。すると人形は嬉しそうにスキップなんかはじめる。
この人違いはミズキママを見つけなければ解決しないんだから、やっぱりゴールはそこなんだろうな。
彼らが本当に夢の国に招待したいのはミズキママなんだし、ミズキママが見つかれば私はお役御免で目覚めるだろうし、そうなれば私は二度とリュカには会わないし、そもそもこの夢が覚めたら二度とこんな夢みないだろうし、私も夢なんか思い出しもしないはず。
わかってるのに、なんで私の心の中はこんなにもやるんだろう?
「‥‥あ」
考えていて、はたと気が付く。
本物のミズキママが見つかって私が人違いだとわかったら、リュカは私を置いてミズキママを連れてこの城から逃げてしまうんだ。そうなったら、私は一人、この殺人城に置き去りになってしまう。
それは心細くて、こわくて、いやだ。
そっか、この不安があるからもやるんだ。
と一瞬考えたけど、それこそがこの夢のゴール。この夢の終わりで、私の目覚めの時なわけだもんね。
ただ、もしそれがゴールじゃなかったら‥‥という不安はあるけど、夢の終わりなんか分かりようがないからさ。信じるしかないじゃない。