2-10-14話 はじめてのダンジョン
それが一分か二分か、もっと短い時間だったかわからない。大して体積が減らないうちに、スライムは自分が喰われているのを感じ取ったらしい。魔人をべしゃっと吐き出して、大きく震え出した。
「ああ、くそ。まだほとんど喰うとらんというに! うむ、やはり多少溶けよるのぅ。チトセ! 主らは無事か!」
「僕らは大丈夫だよ!」
「よくやったリュカ。そのまま離れとれ!」
私の代わりに返事をしたリュカに腕を引っ張られて立ち上がる。
部屋に入った時はひどく怯えていたのに、もう全然そんな顔をしていない。むしろ楽しそうだ。
リュカって本当に戦いを見るのが好きだなぁ。私なんか心臓がいくつあっても足りないくらい、さっきからひやひやしてばかりなのに。
なんて考えていられるほどの余裕もない。スライムの触手が数本こちらに伸びてきた。
「やっぱり音で気づくみたい。そぅっとあっちに行こう」
小さな声で囁くリュカ。私はもう声を出すのも怖くて何度も頷いて答えた。
足音も怖いので、靴音もたてないようにしながらゆっくりゆっくり移動する。
スライムをやりすごして、また柱の影から中央の様子を窺う。ここからだと先ほどよりずっと魔人が近い。
離れろと言われたけど、ここでいいのだろうか。でもスライムが向こうから来たから、私たちはこっちに来るしかなかったんだよね。
「しかし、やはり飲む方が早かったのぅ」
魔人はスライムに歩み寄っていき、がぶりとかじりついた。
瞬間、スライムが震えるのをやめて何か液体を吐き出す。魔人はそれを腕で防ごうとするが、液体なのでまるで防げていない。
肉が焼けるような、揚げ物をするような音が聞こえてきた。さっきほどでもないが、魔人周辺から煙が立っているのが見える。
「ああ、まったく、これじゃからスライムはめんどうよ」
魔人の声は落ち着き払っていたが、私はその光景を見て落ち着いてなどいられなかった。
次の瞬間、べしゃっと音を立てて魔人の腕が一本、二本と次々床に落ちた。ナイフを握っていた腕も落ち、金属が大きな音を立てる。
「いやぁ!!」
「しっ! チトセ、声出したらだめっ」
私の悲鳴を聞きつけ、スライムがこちらに向かって触手を伸ばしてくる。
しかし私は魔人から目を離すことができず、リュカに強く引っ張られるままよろよろと足をもつれさせた。
魔人の腕が落ちた。取れた。
溶ける。溶けてしまう。
死んでしまう‥‥!
頭の中を不安や恐怖が支配していく。
魔人がいれば大丈夫と思っていた私の余裕はあっという間に消えていく。
「チトセ、しっかりしてってばっ!」
「だ、だって‥‥! 腕が‥‥!」
「おじいちゃんがいれば大丈夫って言ったの、チトセだよ!」
「でも腕が!!」
私もリュカも、必死さからか声を抑えこめず叫ぶように話していた。それを聞きつけて伸びる触手がまっすぐこちらへやってくる。
「わしなら心配いらん。さっさと逃げんと捕まるぞ」
言われ、はっとした。
魔人はいつものように笑って立っている。腕はないのに、どこからそんな余裕が生まれるんだろう。
けど、なら大丈夫だ。きっと大丈夫。
私もなんだかそう思えてきた。
もう腕にかかるところだったスライムをなんとか避ける。
「痛っ!」
避けたはずなのに突然足首に焼けるような痛みを感じ、視線を落とす。痛む足首に、スライムが絡みついていた。
「痛、い‥‥!」
冷たい触手が触れている皮膚が焼けるように痛む。じわじわと私の足首の皮膚がめくれ、血がにじんでくる。
痛みはすぐに激痛に変わった。
「い、や!! 痛い! 痛いっ! 放してぇ!!」
「あっ! おじいちゃん! チトセが捕まっちゃった!!」
「はぁ、まったく主らときたら‥‥。手がかかってかなわんな」
リュカが私を引っ張るが、スライムはどこまでも伸びてきて放す気配がない。それどころか、逆に引っ張り返され、私たちはずるずると本体の方へ引き寄せられていった。
魔人が残った腕でナイフを手に取る。それでこの触手を斬ってくれるんだと思ったら、スライムが再度魔人に向かって溶解液を吐き出した。それを残った腕と胴体にもろに受け、魔人が膝をつく。
死ぬ、そう思った。
「リュカ! リュカ逃げて! リュカまで食べられちゃうぅ!!」
「嫌だよそんなの! チトセを放してってばぁ! 呪術 踊る子供たち! 夢幻! 幻惑の踊り子!」
私を掴んだまま、リュカがスライムに向かって呪術をかけようとする。しかし止まらない。
「やだ! やだ放してよぉ!」
絡みつくスライムを靴の先で蹴り上げてもこすっても、離れない。それどころか自由な方の靴にまで絡みついてきた。そのまま引っ張られ、脱げた靴がスライムに飲み込まれていった。
私も、ああやって飲み込まれるんだ‥‥!
足首が熱くて痛くてたまらない。
まるで同じ場所をずっと細かく切り刻まれているような、そんな痛み。煮えたぎった油に触れてしまった時のような、火傷に近いがそれとも違う痛み。
「な、なら‥‥うぅ‥‥っ」
リュカが何かを言いかけてやめる。きっとスライムに効く呪術が見つからないのだろう。
もう私のことは放っておいて、リュカだけでも逃げてほしい。
「いいからっ、リュカ逃げてぇ!」
叫ぶと同時に私の体が浮いた。
「いやあああ!」
「わぁ!」
見ればリュカも同じように空中に浮いている。私を掴んでいるからではなく、彼もまたスライムに捕まっていた。
もう、もうだめだ。
みんな死ぬ。
いつの間にかスライムが真下に来ている。いや、私たちが真上に持ってこられたんだ。
見下ろしたスライムがぼこぼこと波打つ。最初にやった、枝を伸ばすやつを思い出す。
あんなのを食らったら、私もリュカも即死だ!
けど、じわじわ溶かされて死ぬより、即死の方がきっと‥‥。
悲鳴を呑み込み、魔人をみる。溶解液に全身を溶かされたりはしていないが、魔人は私たちを見上げて顔をしかめていた。
私が足手まといなことを怒っているのか、それとも怪我が大分きついのか、どっちかは分からない。けど、今すぐに助けてくれる感じじゃない。
スライムに視線を戻すとスライムの真ん中が開いていく。まるで大口を開けているように。
私とリュカを丸のみにするつもりだとわかったがどうしようもできなかった。体を固くして、口を開けるスライムを凝視する。
「た、たっ、助けてぇ!!」
叫んだのに、自分の声もどこか遠く感じた。恐怖で思ったような声が出なかったのかもしれない。突然耳がキィンとなって、何も聞こえなくなった。
耳鳴りがするのは、死への恐怖のせい?
リュカの声も聞こえない。
なんの音も聞こえない。
静寂。
「”悪食なる舌”」
静寂の中でたった一声、魔人の声だけが耳に届いた。
途端に、凝視する先、スライムの向こう側が真っ暗に変わる。
松明の光に反射していた地面の光沢もなにもかもがなくなって、あるのは、すべてを呑み込むような黒色だけ。
それを視認した瞬間、私たちの体はその黒に向かって落ちはじめた。
「いやあああ!」
今度は何? あの穴はなに?
どこに落ちるの、どうなるの?
混乱する頭。内臓がひっくり返るような落下の浮遊感。
しかし、落ち始めたと思った体はすぐ何かに受け止められた。
短い落下が終わり、安定感におそるおそる目を開けると、目の前には不満そうな顔をする魔人。
魔人はちょうど落ちてくるリュカを受け止めるところだった。
ゆっくりその場に私たちをおろす。
地に足をつけた瞬間はっとしてすぐさま足元を確認するが、そこには石の床があるだけだった。さっきまであった黒い穴は跡形もない。
いたはずのスライムも‥‥。
「全く貴様らは、呆れ果てるほどの足手まといじゃのぅ。逃げることすらろくにできんとは思わなんだ」
「ご、ごめんなさい‥‥」
ため息混じりに言われ、振り返り見上げると魔人が出会っていちうんざりした顔をしていた。
失望、呆れ、期待外れ。そんな感情を向けられたことにショックを受け、私は思わずうつむく。
うつむいた先、魔人の体が視界に入る。その恰好を見て、私は叫び目を逸らした。
「いやぁ!! おじいちゃんなんで裸なの!!」
魔人は上半身には多少衣服を身に着けていたものの、下半身がほぼ全裸だったのだ。
「うるさいのぅ。主も見ておったろう。スライムの溶解液に溶かされたんじゃ。貴様もはやくその服を脱げ。スライムは死んでも、その体液は物を溶かし続けるぞ」
「え、ええっ! えっ!?」
痛み続ける足を見ると、なるほど残った靴も溶けていた。
それだけではなく、身に着けているワンピースもところどころ焼けたように破れて穴が開いている。その穴は少しずつではあるが広がっているように見えた。
振り返るリュカも帽子が溶けたり、服の裾が破れている。
「やだ! どうしよう‥‥水、そうだ水!」
三階層で汲んだ水が入っている水筒がまだあるはずだ。バッグから取り出しリュカにも手渡す。
私はその場で残っている靴を脱いで自分の足首に掛けた。皮膚を溶かされた足首は当たり前に痛んだが、これ以上溶かされるわけにはいかない。
ポーションが残っていれば、この足も治るんだろうけど、ノイから貰った分はもう使い切ってしまったし。
癒しの泉の水だって、汲んだからなのか普通の水になっている。
足は、あとが残りそうだなぁ‥‥。
足ばかり気にしていたが、ワンピースの裾がじわじわ短くなってきた。本当に微かだけど、着替えた方がいい気がする。
「き、着替えてくるね‥‥」
聞こえているのかいないのか、魔人からは返事が返ってこない。
半裸の男はナイフを頭に戻している。
魔人にも何か服を着せないとだめだと思ったが、今は自分の格好を整える方が先だ。




