2-10-10話 はじめてのダンジョン(魔法陣を書こう!)
ドラゴンの死体に近づくと、その大きさに圧倒された。
ダンプカーくらいある大きな体は翼を含めたら体育館が埋まってしまいそう。
死体の向こう側で肉を斬るような音がするので回り込むと、魔人がディナーナイフでドラゴンを切り分けているところだった。
「おじいちゃん! これ、ドラゴンだよね!?」
「おお、起きたかチトセ。ほれ、肉じゃ。持っておれ」
頭から血を流す魔人は私の問いかけに答える前にその塊を渡してきた。とっさのことで準備も何もできず、素手で受け取る。洗ってもらったばかりの手のひらにぬめる血の感触。
渡されたのは一抱えほどの肉塊だった。ランドセルより小さいくらいの塊だけど、手に持った瞬間沈み込むような重さを感じて、慌てて踏ん張る。
「うあっ! 重‥‥。何キロあるのこれ」
「僕持とうか?」
そう言って手を伸ばしてくれたリュカにも、魔人は肉を渡す。
「リュカ貴様もこれを持て」
「わっ、あ。すごく重たい‥‥」
ドラゴンの鱗?皮膚?に乗せられた生肉は5キロ以上はありそうだった。血生臭くて正直はやくどうにかしたい。
というより、なぜ切り分けているんだろう。
さすがの魔人も蜘蛛をあれだけ食べて今はお腹いっぱいで、その上この大きなドラゴンまでは食べきれないと言うことかな。だっていくら満腹にならないって言ったって、あの量の蜘蛛を食べたら、流石に‥‥。
おぇ、考えなきゃよかった。
なら‥‥美味しいとこだけ切り取って食べるつもりなのかも。
今切り取った傍から食べればいいのに。
「おお! 魔石も大概でかいのぅ! 幾つもあるわ。これなら一つで半日はいけるかのぅ‥‥。ううむ、いや、わからんな」
ドラゴンの魔石って、どんなのだろう。
リュカが解体した赤い蜘蛛の魔石がおじいちゃんの手の平くらいの大きさでかなり大きかったって話をおぼろげに覚えている。
だとしたら、ドラゴンは‥‥。
魔人の手の中にはバスケットボールくらいの塊があった。
「でっっか!」
「うわぁ、凄い凄い!」
形は少し角ばっているもののほぼ球体。色は黒に近い赤色をしていて、それがとても貴重なものだと私の目にもすぐわかる。
それが二個、三個出てきた。もっと小さいものもころころと出てくる。
ドラゴンて色んな童話の悪役として出てくるだけあって、やっぱり凄いんだ。少なくともサソリや蜘蛛の比じゃない。
「うむ。こんなものかのぅ」
あらかた魔石を採りだし終えると、魔人はナイフを頭に刺し直した。すると不思議なことにナイフは徐々に縮んでいき、やがて魔人の頭部に収まって見えなくなる。
魔人の頭が血まみれなのは、ドラゴンにやられたからではなくてナイフをとりだしたためらしい。四階では聞くタイミングがなくて聞けなかったが、やはり気になってしまう。
なぜそんなところにナイフが収納されているのか。そもそもそんなに頻繁に出し入れして平気なものなのだろうか。
脳みそとかどうなってるんだろう。
「おじいちゃん、頭平気?」
言ってから、聞き方を間違えたと自分でも思った。魔人も眉を寄せている。
「なんじゃ。わしは正気じゃぞ」
「ごめん、えっと‥‥そうじゃなくて。そのナイフなに? なんで頭の中に入れてるの」
「ああ、これは食欲を抑えるためじゃて。ほれ、その肉をここに置け」
私の質問は魔人のまるで抑えられていない食欲にかき消されてしまった。
まぁ、ナイフについてはまたいつか聞けばいいし。
今は言われた通りドラゴンの皮の上に肉を置く。両手は血まみれべたべただ。せっかくリュカが洗ってくれたというのに‥‥。
「さて、あとは火じゃが‥‥。誰ぞ火はつけられるか」
マッチはダンジョンに入る前に使い切っていた。
ワンピースの裾で手に着いた血を落とし、一応バッグを漁ってみるがやはりない。
「そうか。生肉は腹を壊しかねんからなぁ‥‥。ちと貸せ」
そう言って魔人は私からバッグを取り上げると血まみれの手で中を漁り始めた。ちょっとむっとする。
あれだけカエルだの虫だの散々食べておいて今更お腹を壊すも何もなくないか。
けど、この世界ではドラゴンだけの何かそういう事情があるのかもしれない。新鮮なお刺身はアニサキスが高確率でいるとか、そういう系。
「おお、これはスクロール用の魔法紙じゃ。ではあとはペンなどあれば‥‥」
紙とペンを取り出し、手渡して来る。それからサソリの魔石が入った袋。
「よし、これがあればできるじゃろうて」
「何する気?」
紙ってことはこれを燃やすんだろうと思うけど、そもそも火がないという話なのにこれでできるとは。まさかペンで摩擦を起こして紙を燃やすなんて言い出さないよね。
「これに火魔法を起こす魔法陣を書くのよ。つまり魔術じゃな」
「魔‥‥術‥‥? おじいちゃんできるの?」
「魔術にできるもできんもない。魔法陣を正しく書き、魔力を流せば誰にでもできる。前にそう言わんかったか?」
そうだっけ、言われたっけと思い出そうとするが覚えていない。けど、そう言われれば言われたような気もしないでもないような‥‥。
魔術にちょっと興味出てきてたところだし、実践を見るのは初めてだからちょっと楽しみ。
なんてうきうきと魔術がはじまるのを待っていたら、魔人が私を見て目を細めた。にいっと弧を描く笑み。
「さて、チトセ。良い機会じゃからよく見ておれ。次は主に書かせるでのぅ」
「え」
なんだかスパルタな気配を感じて、一気に気分が下がっていく。
次は書かせると言われても、はじめて見る謎の技術なわけで、そんなの気軽にはいとは言えない。それとも、魔術って私みたいな超初心者でも簡単にできてしまうような代物なのだろうか。
「とりあえず、やって見せてくれるんだよね‥‥?」
「当たり前じゃ。知らんやつに知らんことをしろとは言えんだろう。リュカも見ておれ。主らのどちらかができるようになれば、それでよいからのぅ」
にんまり笑いながら魔人は魔法紙をバッグの上に乗せた。ドラゴンの血をインク代わりにしてすいすいと紙に不思議な絵を描き始める。
陣というだけあって、図形は丸を基調としているようだ。丸い円の周りと中に、見たこともない文字と図形が次々書き込まれていく。
あまりに魔人がさらさら描くので、簡単なように思えてくるがよく見ると非常に綿密だ。文字と文字との空間が空いているが、よく見ればそれはきっちり等間隔に並んでいるし、かと思えば一部偏りがある部分もある。きっとすべてに意味があるんだろう。
やっぱり、魔術は素人が簡単に手を付けられる代物じゃない。
何かしらの知識がないとこんな風には書けないし、少なくともこの世界の文字を知らない私には、書いてあるそれが図形なのか文字なのかすら判別つかない。
「すごい。そんなのよくさらさら書けるね」
「術式の基礎と文字を知っておれば簡単なものじゃ。ま、大体こんなもんじゃろうな」
あっという間に紙いっぱいに描かれた魔法陣。それを凝視する。
これを模写しろって言われたら、それだけでずいぶん時間がかかりそう。
でも、こんなのいちいち書くくらいなら、単純に火を起こす程度のことであれば断然マッチの方が効率がいいように思う。日常生活ではまず使わない技術な気がする。
けど、そうだな、もし火を起こす魔法陣を日常的に使うとしたら、どんな時だろう。
あっ、火力発電とか! ‥‥けど、発電なら電気の魔法が別にありそう。
そんなことを考えながらじいっと魔法陣を見つめ続けるが、まるで覚えられそうにない。
「何をしておる」
「覚えなくちゃいけないでしょ。‥‥無理そうだけど」
「誰も今すぐそれを覚えろとは言っておらん。魔法紙ならまだあったからの。これを手本に二人で書いてみよ。わしは肉を食ってくるでのぅ」
よかった。スパルタではなかったみたい。
言われた通り、私たちはお手本を前になんとか紙に図形を描く。写しをするだけなら時間さえあればなんとかなるだろう。
そして、三十分以上はかけただろうか。
なんとか、それっぽくはできた‥‥と思う。でも美術はあんまり得意じゃないので、絵ではなくて図形と文字と言えど、あんまり綺麗に模写できている気はしない。
特に文字は見たことのない曲がりくねったミミズみたいなもので、それを試し書きや練習もなくの一発書きだから、お手本と比べると一つ一つの大きさや角度が歪んで見える。
「でも、一応完成!」
「僕も。うわぁ、チトセ上手」
「ほんと? ありがとう。リュカは‥‥」
覗いたリュカの魔法陣は‥‥ぐちゃぐちゃだった。
魔人のお手本を元にしたとは思えないほど歪な円。円というか、楕円。
文字というには塊すぎる線や、崩壊したサイズ。歪んだ図形はなんとも感想を言い難い。
「個性的‥‥だね?」
「そう? 僕こういうの苦手かも。お勉強みたいでつまんない」
「そういえばリュカはこのお手本の文字読めるの?」
「ううん。僕この世界の文字知らないから読めない」
「そっか」
そう言われて考えてみる。
私はリュカもこの世界の人だと思い込んでいたけど、実際は夢の国の人だ。けど夢の国の人ってわけでもない。
夢の国に行く前はキルターンと旅? していたらしいし。もしかしたらここでも、私の世界でもない、全く別の世界の人なのかも。
「リュカって」
「おお! 上手くかけておるではないか」
「わっ。おじいちゃん、血まみれじゃない」
振り返ると、魔人は頭からバケツをひっくり返したように真っ赤に染まっている。
「まだ動いとる血管を裂いてしもうての。では二人とも、その魔法陣をここに置け。そして真ん中に魔石を置くのだ。魔石は赤色の濃いものを使え」
汚れなど全く気にしていない様子の魔人だが、その全身血まみれは絶妙にこわい。それに凄い血の匂いがする。
‥‥また泉の階層が来てくれないかな。
「魔石ってこれでいい? はい、チトセの分」
ドラゴンの鱗だらけの皮の上に紙をのせて、言われた通り魔石ものせる。すると、魔石の真ん中がぼんやりと光り出した。
破裂音が聞こえて振り向くと、リュカの方は魔石が爆ぜて紙が燃えている。
「あ、それが成功?」
「阿呆。リュカは失敗じゃ。しかしチトセ、貴様はなかなか見どころがあるようじゃぞ」
「本当?」
見てみると、私の魔法陣は魔石が綺麗な赤い光を出し、今にも何かが起こりそうな気配がしていた。期待に胸を躍らせながら、揺らめく光を見つめる。




