2-10-7話 はじめてのダンジョン
「おじいちゃん。ここさっきも通らなかった?」
「かもしれんのぅ」
「‥‥おじいちゃん」
立ち止まって天井を見る。
見慣れると星空のように見えてまったく違うことがわかる。
あの光の中に星座みたいにわかりやすい目印になるものでもあればいいのに。それなら同じ場所を回ってるかがわかりやすいし、方向もわかる。
今出てきた横穴の前には私が置いた石はなかったから、一応、さっきとは違う場所みたいだけど、進んでいるのかいないのかよくわからない。とりあえずここにも石の目印を置く。今度は四角。
「お城の魔術みたいだね」
「いや、魔術はかかっておらん。魔法もな。単純に洞窟の構造がわかりにくいのだろうなぁ。魔獣も出てこんし、腹が減る。無駄に歩きとうないのぅ。よし、二人で行ってこい。わしはここで待つ」
そう言って魔人は立ち止まってしまった。
「ええ‥‥。無茶ぶりしないでよ。いつどこで魔獣が出てくるかもわからないのに、二人でなんて行けるわけないでしょ」
「しかしのぅ‥‥」
「招きの唄を弾いてみようか、僕」
「それは良いのぅ」
リュカの発言を魔人は普通に受け入れているけど、私は驚いて目をぱちくりさせる。昨日サソリの時はあんなに嫌がっていたのに、一体どうしたのか。
サソリが案外上手く行ったから、大丈夫と思えるようになったのだろうか。
それにしたって、前に森で弾いた時だって悪いことだって言って嫌がっていたのに、いくら大丈夫と思えたからって、それを自分から言うなんて‥‥。本当にリュカって不思議。
私の困惑を他所に、当のリュカはハープを持ってすでに弾く気でいるようで、魔人もにんまり笑って乗り気だ。私だけが一人眉をひそめている。
「ねぇ、リュカいいの? 昨日は嫌がってたじゃない」
「ううん。別に嫌じゃないよ?」
「そう‥‥? なら、いいけど」
昨日嫌がっているように見えていたのは私の思い過ごしなんだろうか。ちゃんと言葉にして聞いたわけではないから、そうかもしれない。
リュカが今こう言ってるなら、そうなんだろうな。
もしかしたらリュカの様子がたまに変な気がするのも私の思い過ごしなのかもね。
聞けば答えてくれるだろうけど、でもそういうのって些細なことすぎてわざわざ聞くのもなぁ。
なんて考えているうちに、リュカが弾き出した。
「呪術 招きの唄」
やはり、何度演奏されても耳を澄ましても、私にはその音が聞こえない。魔獣や魔物なんかにはきっとその人間の悲鳴のような音色が聞こえているんだよね。
こんな綺麗な場所で人間の悲鳴だなんて、魔獣や魔物って感覚が根っこから違う生き物なんだなぁ。
「来たぞ」
「え?」
振り返ると同時にリュカが私の手を取り走りだすので、わけもわからないまま私も走った。リュカは道の先にある横穴に向かっている。
「呪術 かくれんぼ」
「な、なにが来てるのっ」
「そこに隠れておれ。こいつらはでかいぞぅ」
姿まで消して、一体何がくるのかと思いながら石筍の隙間から魔人の方を見た。
「リュカ、何かいるの? 何も見えないけど‥‥」
「しぃ! 音は聞こえるって言ったでしょ? 喋ったら気づかれちゃうよ」
その言い方に最初の夜を思い出す。人形のリュカが今となってはずいぶんと懐かしい。
あの時みたいに私はできるだけ小さな声で囁いた。
「ごめんなさい」
再び岩の影から巨大な穴の方を覗くが、私の目には魔人が一人ぽつんと立っているだけに見える。
と思っていたら、私たちの数メートル先に毛むくじゃらの塊が落ちてきた。
「うわぁ!」
「しぃ!」
思わず口を押える。
けど仕方ないじゃない。突然あんな大きな塊が目の前に落っこちてきたんだから、驚くに決まってる。
落ちてきたそれを見てみると、魔人が大きいと言っただけあって大分巨大だった。最初のカエルよりずっと大きい。
目の前の死体は高さが2メートルくらいある気がしたし、横幅なんかシングルベッドよりあるんじゃないだろうか。
そんな巨体からは太い毛むくじゃらの足のようなものがいくつも出ていて、非常に気色悪い。昨日のサソリのような虫にも見えるが、体系的にはもっとお団子寄り。
思い浮かぶ生き物がいて、ぶるりと背が震えた。
まさかこれが沢山いるんじゃないよね?
魔人はじっと動かないものの、首だけあちこちに向いている。少し遠くでも何かが落ちるような音が聞こえた。段々とそれは増えていく。
「ほう、数が多いな。よかろうよかろう。リュカよ! その穴のもっと奥へ行けるか。奥に入り、招きの曲を弾け。こやつらいくらでも出てくるわい」
ぐいっと腕を引かれ、振り向くとリュカが真剣な顔をして私を見ていた。何も言わず、ただじっと。そういう顔はあんまり見たことがなくて、どきっとする。
もしかして、さっきのをまだ気にしてるのかな。
「り‥‥」
何で何も言ってくれないのかと思ったが、口を開きかけるとリュカが首を振る。
そうか喋っちゃいけないんだった。慌てて口を閉じる。
立ち上がり、魔人の言う通り横穴の奥へ向かうリュカについて行く。穴の奥は隣の横穴に続いているので、あまり奥に行き過ぎることなく隅に寄り、岩の隙間に隠れるようにしてしゃがむ。
まぁ、姿は見えていないんだからどこにいても同じだとは思うけど。
リュカがハープを弾くと、唱えてもいないのに音は確かに出ているようで、遠くから魔人の「そうじゃそのまま弾け」という声が聞こえてきた。
私一人戦闘にも参加できずただただ二人を見守るしかできない状況になぜか疎外感を感じ、なにか役に立ちたくて何ができるか考える。
とりあえず、リュカや自分の周りにもあんな魔獣か魔物がいないか警戒することにした。前からと思わせて後ろからきたりしそうだし、とあたりを見回す。
入口の方を見ると、魔人が横穴に入ってきていて、そこで戦っているのが見えた。かさかさと動く虫のようなそれらはリュカの唄に惹かれてこちらへくるので、それを入り口で一網打尽にしているらしい。
昨日のサソリと同じ戦法だが、すし詰め状態で襲い掛かってきた昨日に比べ、場所が広い分今日の方がマシだ。
しかし魔獣か魔物か知らないけど、それの動き方は気味が悪い。
死体が増えていくと敵が一体何なのかよく見えにくい。しかし、どうやらシルエット的に蜘蛛のようだとわかった瞬間、全身の毛がぞわっと逆立った。
あの蜘蛛からも魔石を採ることを考えると、今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られる。
「あとからあとからキリがない。しかしまぁ、質より量とは、良いものだのぅ」
声は余裕そうだったが、相手は巣を壊した時の蟻のように次々と湧いては魔人に群がっていく。
魔人と蜘蛛との距離が少しずつ縮まっていくのを見るに、その圧倒的な数を前にいくら魔人と言えども段々と追い詰められているような、そんな気がしてくる。
とうとう一体が魔人に触れそうになった。すぐさまそれは地面に落ちるが、続けて一匹、二匹と数えきれない数の蜘蛛が襲い掛かかる。
やがて一匹一匹の対処では追いつかなくなり、魔人の体が蜘蛛に囲まれた。
それを見て思わず叫びそうになったのは、魔人の身を案じてではなく、嫌悪感からだ。あの場にいるのが私だったらと思うと指先が冷たくなる。
魔人の事は心配する必要もないと考えていたが、案の定山となっていた蜘蛛は瞬きの間に消えた。
ほらね、心配なんてしなくて大丈夫。でも、長いな。
もうかれこれ三十分はああやっている。
私は何もせずただ見ているだけなので、無駄に長く感じているだけかもしれないが、それにしてもいつまでもいつまでも蜘蛛は湧く。
サソリの時ってどうだったっけ。もっと長かったっけと考えるが、体感時間なのであまり参考にならない。
「まだ終わらんか。そろそろ飽きてきたぞ。しかし、そうか。この底にまだおるのだなぁ‥‥。仕方ない。仕方ないな。もうしばし我慢するとしよう」
魔人とはかなり距離があるが洞窟だからか声がよく通るようで、そんな声まで聞こえてきた。
サソリの時もだけど、魔人って意外と飽き性だよね。
魔人は蜘蛛を素手で引きちぎったり、魔法で穴をあけたり、消したりして次々倒していく。その度に死体の小山ができていき、入り口付近は死体でほぼ塞がっていた。
狭くなると魔人は蜘蛛を誘導するようにゆっくりこちらへ後退する。数が多いために視野を絞りたいのかもしれない。
あんなに沢山の蜘蛛を倒しているのに、数は全く減る様子がない。仲間の死体を超えて、蜘蛛はどんどんと横穴へ入ってくる。




