5話-2 クローゼットに隠れたら
「りゅ、リュカっ。ここを出ようっ。いますぐ!」
私はできるだけ小さな声で、必死になって訴えた。焦る私と対照的にリュカは平然としている。
「ええ。今出ていったらそれこそ見つかっちゃわない? 二人が寝るまで隠れてようよ」
「そんな‥‥! だって、これ、‥‥これっ」
そこで、さらにはっとする。
リュカって男の子だ!
しかも今、私はリュカを押しつぶす形で乗っかっている。つまり、体が密着している‥‥!
さっきまでは陶器の体を潰して割ってしまうことを懸念していたのに、今は全く別の理由から焦りが湧いてくる。
き、きまずい!
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよっ」
私は小声で訴える。
さっきからリュカの態度が全く変わらないのはなぜ?
この音が聞こえていないの!?
今の状況に何も思わないの!?
両耳を塞ぎたいのに腕を曲げるとクローゼットの扉にあたりそうになる。段々と二人の声と音が増していき、激しくなって、聞きたくないのに聞こえてきてしまう。
「ぅう‥‥っ」
必死になって唇を噛んで精神的な苦痛に耐える。
こういうことは保健体育の授業で習うからもちろん知識としては知っている。が、あくまでも知識としてだ。彼氏もいない私には想像すらできないことだった。
しかもそれが目の前で起きているなんて羞恥でしかない。居ても立っても居られない気分になる。なんだか涙が出てくる。
暗闇の中で触れる顔が熱い。顔に血が集まっている感覚がある。きっと今鏡を見たら真っ赤になっているだろう。
私は拳を痛いくらいぎゅうっと握りしめて飛び出して逃げたい気持ちを我慢する。
なんで知らない人のそういうののせいで私が恥ずかしくならないといけないのか!
『ああ‥‥っ』
恥ずかしさが怒りに変わろうとした時、ひと際大きな声が聞こえてきて、また恥ずかしさがぶり返してきた。怒りに変わってくれた方が楽だったのに、もうそんな気持ちになれなくなった。
「も‥‥、やだよぅっ」
とうとう聞いていられなくなって、たまらず耳を塞ごうとしたがまたもや私はバランスを崩した。
「わ、っ!」
「危ないよ」
あわやクローゼットの扉を押しやって飛び出すところだった私を、リュカが支えてくれた。
「‥‥っ!」
リュカの手が私の脇の下を掴んでいる。支えてくれているだけなのに、なのに無駄に意識してしまう。
もう泣きたかった!
人の行為なんて聞きたくなかった!
ましてや男の子とこんな風に暗闇で密着した状態でなんて!
なんだか乙女の心の純情を、状況にもてあそばれているような気しかしない。
さきほど私が出した大きな声は、彼彼女の声にかき消されて聞こえなかったらしい。助かった。
助かったけれども。
声は隣の部屋まで響いているのではないだろうかというくらいに大きい。
おそるおそる、リュカに聞いてみる。
「リュカは、‥‥平気なの? この、音‥‥声‥‥」
「うん? ちょっとうるさいね」
ちょっとうるさいで済むの!?
私は驚愕してやりどころのない怒りを覚えた。思わずリュカを小さく叩く。体勢がおかしかったから、それはタッチするだけのような暴力になった。
「あ‥‥」
「どうしたの?」
触れたリュカの、おそらく顔はつるりとしていて、ティーカップのようだ。それで、重要なことに気が付いた。
リュカは男の子だけど、人形だ。
そうだった‥‥。
「そっか、そうだよね‥‥」
「どうしたの? チトセ?」
人形だから、だからきっとリュカは人間のこういうことを知らないんだ。
だからこういうのを聞いてもうるさいとしか思わないし、私みたいに焦らない。
ましてや‥‥えっちな気分になんてならない。きっと。いや、おそらく。ううん、絶対に!
そうだよ。リュカは人形なんだもん。
「そっかそっか、うん」
「チトセ、なんか変だよ?」
人間の男の子だったら、お互いを変に意識して妙な雰囲気になって、こんな風に密着なんてしていられなかった。
そんなの絶対いやだ。
「どうしたのってば、チトセ」
「ううん。なんでもないの。よかった‥‥」
「そう、なの?」
「うん」
リュカは困惑しているが、私は満ちた気持ちだった。
案内役が人形で本当に良かった。リュカは、人形だから平然としているんだもんね。
という結論にたどり着いた私は、何度も何度もリュカは人形なんだもんを頭の中で繰り返し、やがて完全に落ち着きを取り戻した。
そうだ。きっとリュカはこういうことを知らない。なら、私が平気な顔をしていればいいだけだ。
気まずさにてんやわんやしていた頭の中はだんだんと冴えていく。
しかし、そこではたと一つの懸念が湧いて出る。
「‥‥リュカって人間になるって言ってた?」
「うん」
「い、いつ‥‥」
「もうちょっとかかりそう。夢から出てくるのって大変だから」
セーフ!
セーフだ。
リュカの言ってる意味はわからないけど、とにかくセーフ。
私はよくわからないこの判定を自分と今の状況に下して、あとはもうおとなしく黙ることにした。
「リュカ。二人が眠って、ここから出れるようになったら教えてね。それまで、‥‥私は耳を塞いでる」
「はーい」
おとなしく、陶器製の体に片耳を押し付けるように頭をのせて、目を閉じる。腕を上に向けて曲げれば、もう片方の耳もなんとか塞げた。
リュカの体は布越しにもわかるくらい冷たくて、心音も何もない。食器を枕にしてるみたいだ。けど今は、この無機物加減が心地よい。