2-8-3話 夜食
私はリュカをじっと見た。いつも通り、どこか自信なさげな頼りない表情のリュカ。いつも小さい黒目が今はいつもより大きい。
「ねぇリュカ。リュカって私を殺したくないって言ったよね?」
「うん」
「傷つけたくない?」
「うん」
「優しくしたい?」
「うん」
即答だ。
「どうして?」
「? 友達だから」
当たり前のことを答えるようにきょとんとしている。
「他の人にもそう感じる?」
「他の人って?」
「‥‥お城の人とか、ノイさんやキャットさんとか」
そう聞くとリュカは黙った。やや考え、自信のなさそうな顔でぼそりと呟くように答えてくれる。
「‥‥でも、傷つけちゃったり殺しちゃうのはいけないことでしょう? それなら僕、やりたくない」
んん‥‥。やっぱりリュカって素直でいい子にしか見えないんだけど、なんでだろう。なんかどこか引っかかる言い方をするんだよね。
「どうしてそんなこと聞くの? ‥‥チトセはそう思わないの?」
考え込んだ私を不安そうな瞳が覗き込む。慌てて首と手を振る。
「ううん! 私もそう思うよ。‥‥ただ、聞きたかっただけ。ごめん、変なこと聞いたよね」
「そっか。いいの。チトセが知りたいならなんでも聞いて」
にへっと笑う。
「でもそっかぁ。呪術って他にもあるんだ。できることが沢山あって凄いな」
リュカはえへえへと笑って照れている。
そういえば、ノイは魔法を学ぶために学校へ行っていたと言っていた。やはり、そういう専門的なことを学ぶ場所があるのだろうか。
「呪術って学校とかで習うものなの?」
「ううん。違うよ」
「じゃあリュカは誰から呪術を教わったの?」
「えっと‥‥。多分、キルターンなんだけど、全部じゃないと思う‥‥よく覚えてない」
覚えてないなんてことあるのだろうか? と思うけど、別に嘘をつかれてるわけでもなさそうだ。
リュカって天然ぽいから、多分本当に覚えてないんだろうな。
「チトセはお菓子作りをどこで習ったの?」
「お菓子? ああ‥‥。ほとんど部活で作ったやつばっかりだったけど、クッキーはお母さんとよく家で‥‥」
言いかけてあ、ダメだ。と思った。
家のことを、家族のことを少し思い出すだけならいいんだけど、口にしかけた今なんだか駄目だと、いけないと感じた。口にして音にしてそれが耳に入ってくると、帰りたいという気持ちが強まる気がする。
今すぐ帰れないのはわかっているし、いつか帰れると希望を忘れないようにしているけれど、家で私を心配しながら帰りを待っているだろうお母さんを思うと‥‥不安になる。
帰りたい。自分の家に帰りたい。
お母さんにお帰りって言われて、お父さんに修学旅行の話をして、お風呂に入って、自分のベッドで安心してぐっすりと寝て、次の日は荷解きをして、おばあちゃんにお土産を渡しに行ってついでにお茶をするんだ。そうなるはずだったんだ。
帰りたいと思えば思うほど、帰れない現実が私を突き刺す。
私の胸のなかにがらんとあいた大きな空洞があって、そこに理不尽なこの世界への不安や悲しみ、どうしようもない怒りや苛立ちが絶望となって積もっていく。このまま帰れなくて、ここで死ぬかもしれないと思ってしまう。
家族のことを話すことはできない。その話はやめよう。
「チトセ?」
名前を呼ばれて顔を上げると、リュカが心配そうに私を見つめていた。
「あ、ううん‥‥。なんでもないの‥‥」
こういう時、私も魔法が使えたらいいのに。ノイが私にかけてくれた不安とかこわいって気持ちがなくなるやつ。
「チトセのお母さんってどんな人? 部活って何?」
リュカは好奇心で聞いてくるけれど、話せそうになかった。気分が落ち込んで、なんだか答えたくない。
私は荷台で膝を立てた。リュカと繋いでいた手を離すと、リュカがしょんぼりと隣で同じように膝を立てる。
「ごめん。聞かないほうがよかった?」
「ううん、ごめん。違うの。けど、今は無理‥‥」
「‥‥」
突き放すように言うと、それ以上リュカは聞いてこなくなった。
もっと言い方があったと思うんだけど、不安に迫られるとだめになる。何も言いたくないし、聞きたくない気持ちになる。
眠れば夢の国に帰れるリュカが羨ましかった。私は普段夢を覚えていないから、夢の中でさえ会いたい人にも会えないのに。
八つ当たりのような気持になって、私は沈黙した。時折リュカが何か言いたげにこちらを見ていたけど、それも見えないふりして無視した。凄く、一人になりたい気持ちだった。
どのくらいそうしていたんだろう。
「主らまだ起きておったのか。寝とればいいものを」
魔人が戻ってきて、気が付けばあたりは静かになっていた。魔獣の悲鳴や呻き声は消えていて、馬車に繋がれた馬がたまに動く音が聞こえるだけ。
暗い森はしぃんとしている。
「ほれ。さっさと眠れ。貴様ら人間は眠らんと病にかかろう。チトセ何をしている? その鞄に入っとるんだろう。布団を出せ。人間は寒いと簡単に病にかかる」
何もしたくなくて、じっとうつむいていると、魔人にバッグを奪われた。
「手間のかかる娘よな」
魔人はあきれたように中をあさって毛布を引き出し、私たちに投げてよこす。無言で受け取り、うながされるままリュカを背にして横になった。
「なんじゃ。主ら喧嘩でもしたか」
愉快そうに言う魔人も無視して、目を閉じる。
「チトセ、ごめんね。僕‥‥」
リュカのおどおどとした声が聞こえる。
違うんだ。リュカは悪くないの。
私が勝手に不機嫌になっているだけ‥‥。
そんなことはわかっているのに、もうどうしようもなかった。なんだかひどく気分が落ち込んでいる。リュカが謝れば謝るほど、私は意固地になってしまう。そんな子供っぽい自分のことも嫌になった。
明日起きたらリュカに謝ろう。そんなことを考えて、目をつむって、私は寝ようと努めた。
眠たくない気がしていたけれど、徹夜のあとの夜更かしは私をすとんと眠らせてくれた。




