2-8-2話 夜食
「ねぇリュカ。本当に呼べるの? ていうか、呼ぶの?」
「だっておじいちゃんがそう言うんだもん‥‥。チトセが嫌ならやらないけど‥‥」
「チトセ。いい加減にせい。わしが傍におって、何を恐れる必要がある。何度も言わせるでない」
そう言って笑う魔人の目と歯だけが無駄に光を反射している。それもこわいっちゃこわいけど。
「あなたの大丈夫の根拠がわからないんだもの。何が起きるかわからないのってこわいんだよ」
確かに魔人が傍にいると大分心強いんだけど、逆に魔人が何をしでかすのかがこわくなる。
今だって、魔獣を呼んで、大量の魔獣が一気に襲ってきたらどうするつもりなんだろう? 魔人は一瞬で魔獣を倒せるんだろうけど、もし十匹も百匹も襲ってきたら、そんな数を一度に相手にできるんだろうかという、そういう不安がある。
「臆病者めぃ。そこでようく見ておれ。さぁリュカ呼ぶがいい」
魔人は私からランタンを取り上げると、にんまりしながら馬車から離れていった。
「チトセ、いい?」
「‥‥仕方ないなぁ」
私には魔人を止めることはできないし、あれだけ自信満々ならもう信じるしかない。私が頷くとリュカは一抱えもある三日月形のおもちゃを取り出して、それを膝の上に乗せた。
そんなに大きなものをどこから出したんだろう?
リュカの服の中もこのバッグと同じで物がミニチュアになったりする不思議な空間なんだろうか。
「呪術 招きの唄」
そう言うと、リュカはまるでハープでも弾くみたいに三日月の真ん中を指ではじきはじめた。しかしそこには何もない。糸も弦もなにも。
私の目にはパントマイムのようにうつる。
弦もないのにどうやって音がでるのだろう? と思っていると「上手いではないか」と感心したように魔人が褒めた。
彼らにはなにかしらの音が聞こえているらしい。
「えへへ‥‥!」
リュカは体を揺らして嬉しそうにしているが、やはり私には何も見えないし聞こえないのだった。
「何か聞こえるの? 私には全然」
「人間には聞こえん。魔物や魔獣が好む音よ」
「へぇ。どんな音なんだろう。私も聞いてみたいな」
「そうさのぅ。人間の悲鳴に似ている」
「‥‥聞こえなくてよかった」
魔物や魔獣の好きな音が人間の悲鳴だなんて知りたくなかった。
リュカが弾き始めて五分くらいたっただろうか。地響きのような振動が起こり始めた。
「なに、なに!?」
「ほう。魔獣じゃ。巨大な猪が群れで突っ込んでくるわ。でかしたぞリュカ」
「もう、弾くのやめていい? 僕こわくなってきちゃった‥‥」
魔人に褒められているのに、リュカは全く嬉しそうではなく、むしろ魔獣の群れを前に怯えた顔をしている。
そりゃそうだ。私にはまだ姿は見えないけれど、どこからともなく、というよりどこからも‥‥四方八方から地響きのような足音と木々のなぎ倒されるような音、獣の鳴き声が聞こえるんだもの。こわくないほうがおかしい。
私だってこわいし、馬車に繋いだままの馬だって興奮して暴れ出した。
「リュカ! 馬が‥‥馬車が壊れちゃう!」
「じゅ‥‥呪術 夢幻!」
リュカが馬に呪術をかけると、馬は暴れるのをやめて沈黙し、落ち着きを取り戻したようだった。
座りなおしたリュカは私に体をぴったり寄せて、糸人形とハープを抱きしめながら手をぎゅっと握ってくる。私も握り返した。
足音が、地鳴りが地震レベルだ。震度三くらいは余裕でありそうだ。
「はよう来んか。のろま共め」
魔人は馬車から少し離れた場所で涼しい顔をしている。一人でどうやって四方から突進してくる魔獣をどうにかするというのだろう。
こわごわ二人で怯えていると、やがて轟音を立て迫りくるそれらの姿が見えはじめた。と思ったら群れで並走してきたのだろうそれは同時に何体も森から飛び出してきた。
「ひっ!」
振り返ると、落ち着き払った馬の向こう側からも次々やってくる。もう震度三どころじゃなかった。
揺れがすごすぎて、私は馬車の上で立ち上がることさえできない。
間違ってあのうちの一匹でもぶつかってきたら‥‥私もリュカもひとたまりもない。
「ちょっと、おじいちゃん!」
不安が勝ち、私は魔人に呼びかけた。それと同時にどこかで魔獣の悲鳴? が上がる。続いて大きななにかが衝突しあうような音。
悲鳴は一匹ではなく、数匹、数十匹、まるで合唱のように鳴り響く。
魔人はその場でゆっくりあたりを見渡しているだけだが、悲鳴は増えていった。
悲鳴が増えるごとに地響きは減り、やがて揺れは収まった。
月明りがちょうど雲で隠れていたので、私にはランタンを手にした魔人以外何も見えず、何が起きたのかくわしくはわからなかった。リュカは夜目が効くから何か見えていただろうか。
「おじいちゃんなにしたの?」
「すごいよ。みんなの足がなくなってね、転んだと思ったら、穴の中に落ちちゃった」
やはり見えていたようで、リュカはノイの戦闘を見ていた時のようにすごいすごいとはしゃいだ。
視界に入れたものを胃袋に‥‥。おそらく魔獣の足を狙って魔法を使ったのだろう。
四方八方から獣の唸り声や叫び声が聞こえる。耳をつんざくような高い悲鳴に、怒るような低い呻き声、荒い鼻息。それは永遠に続く断末魔を聞いているような、まさに地獄の時間だった。
「なんじゃ、これしきとは。もう少し来たかと思うたがの。まぁよい。あとは一匹ずつ食らうまでよ」
魔人は馬車の前までくると私にランタンを渡した。そしてからかうように笑う。
「チトセ。わしはこれからあやつらを食ってくるでの。少しここを離れるが、すぐ戻る。寂しいと泣くでないぞ。それともついてくるか」
「あ、わ‥‥わかってるよ! 大丈夫。ここで待ってる」
「そうかの」
にやりとして、魔人は一人悲鳴の方へ行ってしまった。
残された私たちは、魔獣の悲鳴が一つずつ減っていくのをBGMに荷台の中でぼんやりとしているほかなかった。
眠るためにここで止まったが、まさかこんな地獄のさなかで眠れるほど神経が太くない。お腹もすいていたはずが、すっかり食欲が失せてしまった。
「ねぇ、リュカ。呪術ってたくさんあるんだね?」
悲鳴を忘れるためにリュカに話しかける。
魔人の方を見ていた彼の手にはもう人形もハープもない。またしまうところを見忘れた。
「たくさんあるよ」
「いくつくらい使えるの?」
「‥‥たくさん?」
片手の指を数回折って、首を傾げる。数を数えるのは苦手なようだ。そういえばお菓子作りの時もそういうことがあったなと思い出す。
「けど、大体いつもかくれんぼと踊る‥‥のだよね。なんで?」
使える呪術が多いなら、きっともっと色んなことができるだろうに。なぜかリュカはその二つばかり使っている気がする。
というか、それしか聞いたことがなかった。さっきの唄と馬を落ち着けるのは初耳だ。
リュカは困ったように眉を寄せ、なにか考えていたがやがて口を開いた。
「うんと‥‥呪術って基本的に悪いことばっかりなんだって。困らせちゃったり、傷つけちゃったり、呪っちゃったり、殺しちゃったり‥‥」
そうだろうなと思う。呪術って聞くと、字面からしてよいイメージがわかない。まず思い浮かぶのは藁人形と釘だ。
私がはじめてリュカの前で喚いたとき、リュカは殺す方法もあると言っていたから、過激なものだってあるのだろう。
「だから使うときはちゃんと考えなさいって言われたの。誰かを困らせたり、傷つけることに使わないようにって」
そっかそっか。きちんとそういう情操教育をされているから、リュカはむやみに人を傷つけないのね。
うんうん、やっぱりリュカっていい子なんだなぁ。
「でも僕よくわかんないから‥‥。だからあんまり、いつも使えるやつがない」
ん? なんか引っかかるような?




