2-7-1話 湖へ
朝になり、私たちは魔人と別れた湖に一旦戻ることにした。
湖で恐竜のようなものに襲われたことを伝えると、ノイさんはやばいという顔をする。その湖近くに馬を残してきたらしい。馬は借り物で、無事なら返さなければならないと。
だから道中の護衛も兼ねて一緒に来てくれることになった。ありがたい。
実を言うと、昨日森から大量に出てきたウサギじゃないウサギとかが怖くて、どうしようかと思っていたところだったから。
二人と一緒でなければ、きっと昨日のようにリュカが呪術で案内してくれるだろうけど、それだとまたリュカに負担がかかるし、それに魔獣を避けて進むと遠回りになったりもする。
それでまた夜になっても魔人と合流できなかったら、今度こそ私たちは‥‥。
頭を振って、まだ眠っているリュカに声をかける。一晩中ぐっすり眠ったから、きっと今日は元気いっぱいかななんて思ったが、起きない。
「ねぇリュカ。起きてよ」
肩をゆすってみても、起きない。
「ちょっと。私が起きてって言ったら起きてくれるって言ってたじゃない。リュカ!」
強めにゆすっても起きない。
そういえば私とノイが近くで話をしていたというのに、リュカは一度も目を覚まさなかった。一晩中話し声がしていただろうに、うるさくなかったんだろうか‥‥?
話し声が聞こえないほど深く眠っていた、というのは昨日のリュカの疲労を考えれば想像に容易いが、しかし朝になってこうして起こしてみても起きないとはどういうことだろう。
「まさか死んで‥‥!」
「いや、息してるよ彼」
言われて確認すると、胸が上下している。
「あ、本当だ‥‥。なによもう、じゃあ寝坊してるだけ? 早く起きてよー! リュカ!」
「いやぁ、こっちも起きないや。キャットは寝るのが好きだからね。‥‥あ、いいこと思いついた。チトセ、ちょっといい?」
ノイがそう言って手招きをするので立ち上がると、足に異変を感じた。びりびりしている。一晩中同じ体勢でいたからかもしれない。
でもこのくらいなら、と一歩踏み出した瞬間に地面の感覚が消えた。先ほどまでびりびりとした痺れを感じていたはずが、それすらどこかへ消えてしまった。
「わっ‥‥!」
ふらつく、というよりはもう既に体は傾いていて、このままでは足元で眠っているリュカの頭に膝が思いっきり当たってしまう。
痛いどころじゃすまない!
息を飲んだその時、とんっと体が何かに支えられた。
「おっと! ははは、痺れた?」
顔を上げると、笑うノイ。倒れそうになった私を彼が支えてくれたのだ。
「あ、ありがとう」
お礼を言いながら目をぱちくりする。
ノイは、いきなりそこに現れたように見えたさっきまで焚火の向こうにいたのに、三メートルくらい離れてたのに。
「魔法かけていい? その痺れすぐ治るよ」
「お願いします‥‥」
「パラーレ」
呪文を唱えた途端、また私の体がしゅわりとした。しゅわしゅわが去ると、足に感覚が戻り、痺れもない。すっかり治ってしまっていた。
「昨夜もですけど、魔法って凄いですね。あっという間に治っちゃう。本当に魔法って感じです」
言い終わって、なんか変なこと言っちゃったなと思ったけど、ノイは笑ってくれた。
「でしょ? 俺もそう思うんだけどなぁ。もうほとんど魔術が主流で魔法って学校でも習わないんだって」
「学校、があるんですね」
学校があるなら、ここって思っていたより文化的な世界なんだろうか。ノイも昨日裁判って言ってたし、ちゃんと公的機関がある世界なんだ。
人を簡単に殺して、それを楽しむ人たちに出会ったからか、どこか野蛮な世界な気がしていたのでちょっと安心。
それに学校と聞くと親しみ深い。
「もちろんあるよ。俺が通ってたのはちょっと有名な魔術学校でさ。この国じゃそこにしか魔法に詳しい人がいなかったんだ」
「国の中にそこだけ? ‥‥魔法と魔術ってなにか違うんですか?」
「違うよ。魔法はさっきみたいな呪文を一言唱えれば発動するけど、魔術は基本魔法陣書いて長い呪文を詠唱しないと発動しない。俺は慣れてるしめんどうだから魔法に頼っちゃうけど」
ノイさんは人差し指の先に火を出して見せた。それは蝋燭のように小さい火だったけれど、風に揺らめいたりせずしっかりと燃えている。
「魔術と違って魔力さえあれば無詠唱で出せるのも魔法のいいとこ。まぁ、無詠唱だとこういうのでさえ無駄に魔力を使うんだけど。魔術の方が魔力の無駄なく、より効率的なんだってさ」
「ふぅん‥‥?」
せっかく説明してくれたけど、なじみがなさ過ぎてよくわからなかった。
でもコスパがいいのはいいことよね。それで廃れるものもあるのが寂しい気がするけれど、便利な方がいいもの。
「あ、それでさ。一つやりたいことがあるんだけど、協力しない?」
ノイさんは悪戯っぽくにやりと笑ってキャットを見た。
「なんですか?」
「あのさ‥‥」
こっそり耳打ちされた提案に、私も笑顔になった。
そうと決まればさっそく出発で、私たちは薄暗い森へ入っていった。
「むにゃ‥‥。あれ、ノイ‥‥もう出発したのか? ‥‥起こしてくれりゃ自分で‥‥って、うぇえ!?」
「おはようキャットさん」
キャットは起きるなり私の腕の中から飛び降りた。もうちょっと抱っこしていたかったと残念がる私の足元でぷんすこと怒る。
「ノイ! なんでおいらがチトセに抱っこされてるんだよ!」
「だって俺はリュカを背負ってるんだよ? この上キャットまで持てないよ」
「だったらなんで起こしてくれなかったんだよ!」
「起こしたけど起きなかったのはキャットだろ」
「じゃあリュカ! そいつを起こせよ!」
「リュカも起きなかったんだよ。‥‥そんな怒るなよ。抱っこされてたくらいでさ。キャットだって、いつもよりずっと気持ちよさそうに寝てたくせに」
「むうぅ‥‥。だからやなんだ‥‥」
飛び降りた拍子にフードが脱げているので、二人の後ろを行く私からはキャットの愛らしい後頭部が見える。耳がぺたりと頭に張り付くように垂れていて、とても可愛い。
「ごめんね、キャットさん」
「二度と勝手に触るなよ!」
「うん。ごめん」
ごめんといいつつやっぱり可愛さに顔がにやける。
可愛いって誉め言葉が嫌いなキャットは、私が彼の愛くるしさに耐え切れずにやにやするのも嫌なんだろうなとわかっているんだけど、可愛いものを前にしてにやけないではいられなかった。
抱っこしていた間、マントでくるまっていたからほとんど触れなかったんだけども、やっぱりキャットは小さくて柔らかくて腕の中にすっぽりしている感じがちょっと大きな猫だった。
抱っこしていた感覚を思い出してにやけながら歩く私を時たまにらみ、キャットはノイの横へ移動する。
「で、どこに向かってるんだよ」
「馬を置いてきた湖。キャット道覚えてる?」
「なわけないだろ。昨日は魔獣に追われてめちゃくちゃに進んできたんだから。まさかここまで適当にきたのか?」
「それこそまさかだよ。夜のうちに星の位置を確認してたから、こっちであってるとは思うよ。そのうち魔獣が暴れた跡でも見つけられたらいいんだけど」
さすが冒険者だなぁと二人の話を聞きながらついていく。ノイさんに背負われたリュカはまだ起きない。
よっぽど疲れているんだろうか。
やがて私たちは木がたくさん倒れている場所に出た。どうやらそこが彼らが魔獣と戦いながら通った道だったようで、向かっていた方角は間違っていないようだ。
「あれ? 魔獣の死体がないね。もしかして他の魔獣に食べられたかな」
「だとしたら相当でかいのがいるんだぜ。一体何匹倒したよ、昨日」
そこからさらに二時間ほど歩いたが、道中とくに魔獣と遭遇することもなく、私たちは無事に湖までたどり着けた。




